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【短編小説】御結

 わたしは、梅乃うめのと申します。
 恥ずかしながら、間近にせまった誕生日でかれこれ八十二歳になるお年頃でございます。
 もうね、背も丸まって手も足もゆっくりなのだけれども、それでも頭だけは何やら「しゃん」としておりますのでね、それから有り難いことにわたしの握る飯が大好きだというお客様がおりましてね、今もゆるゆるとおむすび屋を営んでおります。

 今日も早朝からどっこいしょと寝床から起きまして、一人分の朝食の支度をいたします。
(ぴー、ぴー。ハクマイ、ヒカゲン、ジャク、ガ、タキアガリマシタ)
 そうでした、かしこい炊飯器の予約機能で時間ぴったりに炊きあがった一合釜から、わたしはお仏壇に備える仏飯器を洗いカゴから取り出し、こんもりと山のように炊きたてのごはんを盛り付けました。描かれている蓮のお花は金色でぴかぴかしています。

「おはようございます、おとうさん」

 長年のクセで夫のことは「おとうさん」と呼んでいます。ままごとみたいな小さな器、隣にこれまた小さな湯呑み。むかし宗派がどうのこうのと説明はあったけれど、難しいことが分からないわたしは、ごはんを食べる時に喉つまりしては怖いから、お茶もあった方が親切よね、と思ってこうしているだけなのです。

 白いごはん、お味噌汁、お漬物、冷奴。
 いつもの朝食、いつもの朝。
 ——あぁ、今日も昨日と変わらず目覚めて身体も動いています。

 このような歳になれば嫌でも「去り際」のことを考えなくてはなりません。幸い息子たちは心配のあまり近所に引っ越して来てくれましたし、お客様にもちゃぁんと伝えてありますのでね。

『わたしがお店を開けない日があれば、その時はもしや……と思ってくだすって結構』

 炊くお米があり、具の食材があり、握るわたしが生きている限り。

御結おむすび屋』

 どっこいしょと膝とテーブルに手をついてわたしは立ち上がります。
 窓を開ければ秋深し。色とりどりの紅葉や銀杏イチョウの風情で心に浮かぶ彩り。

      ***

「いらっしゃいませぇ」
「はいよ、鮭が二つと梅一つ、それとおかかが一つですね」
「もうすぐ炊きあがるから、庭でも見て待っててねぇ」
「ありがとうございましたぁ」

 保温器から炊きたてのごはんを取り出して計量し、具を入れてアッツアツをぎゅっと握ります。握るから、おにぎり。おむすびとも言いますね。一度くらいは誰かに作ってもらったことがあるんじゃないでしょうか。
 わたしは水色のビニール手袋をはめて両手を赤くしながらおむすびを握ります。

 きゅっ きゅっ きゅっ

 アルバイトの笑子ちゃんが接客のかたわら、わたしのフォローに入るかどうか見てくれています。レジ打ちと注文取りだけでも十分助かっています。昔は夫と二人で、夫が先立った後しばらくはわたし一人でやっていたけれども、さすがに七十、八十になればいろいろ不都合が出てくるってものです。

「梅乃さんのおむすび、家でも真似て練習しているところなんですよ」

 笑子ちゃんが嬉しいことを言ってくれます。わたしは目尻の深いしわをさらに深くしました。笑子ちゃんならここを継げるだろうか……。でも、ボロくて修繕も必要なこの小さな店は、引き継いだところで古臭いだろうし、笑子ちゃんのように笑顔や気遣いが素敵なは、奥まった厨房で作らせるのはもったいないとも思います。

「おむすびなんて、誰にでも作れるんじゃろ。んな、練習なんてしなくていいだろうに」
 わたしが言うと、笑子ちゃんは驚いた顔をしました。
「そんな、誰でも作れるわけではありませんよ、梅乃さんのおむすびは。炊くのも、季節が変わってもずっと同じになるように考えられていて、水加減も握り具合も塩加減も、全部誰でもできるわけではありません。そして誰でも続けられるわけではありません」

 おむすびで結ぶもの。
 それは農家さんの愛とやら、お客様、笑顔、人との繋がり。
 何が魅力かはわたしはもう、気にしていないのだけど。
 食べたいと言ってくださる方がいるから握るだけ、明日もまた来ますと言ってくださる方のために開くだけ。

      ***

 仕込むための野菜が足りなくて、笑子ちゃんに近所の八百屋さんに買い出しに出てもらうことになりました。
 しばらくして、カラカラカラと入口の扉が横に開き、若い女の子がやって来ました。

「いらっしゃいませぇ」
「……あ、えっと、ここでおにぎり……あ、おむすびか。食べることってできますか?」

 そうね、最近のおむすびと言えば、コンビニやスーパーのお惣菜コーナーで買って帰る人がほとんどだろうと思います。わたしのお店ではお持ち帰りもできるし、中で食べることもできるのです。

「えぇ、できますよ。ちょっと狭いですけれどね」

 そう言って、わたしが店の角の二人掛けベンチを手で示すと、女の子は安堵した表情になりました。
 女の子が梅おむすびを注文したのでわたしは作りました。
 梅干しから種を取って実だけをほぐし、みりんで煮切りしたものを、蜂蜜と白胡麻で和える……それがわたしの梅おむすびの「梅の具」の作り方。

「はい、どうぞ」

 薄くお化粧をしていたり服装などから大人みたいに見えるので、大学生……なのかもしれません。この歳になると女の子の幅がえらく広くなります。五十でも若いです。まだまだ現役。彼らからしたらわたしなぞ、生きている化石のように見えるのでしょうか。

 いただきますと両手を合わせてから女の子は海苔でぴちっと巻かれた梅のおむすびを一口食べました。二口、三口と食べ進めると、ほろほろと白飯がこぼれてしまいました。慌てて女の子がおむすびを傍らに一旦置いて、持っていた肩がけポシェットからティッシュを取り出し、こぼれた粒を集めました。

「ほろほろで……! すみません……!」
「あららぁ、ごめんなさいねぇ、初めてのお客様なので握り加減が分からなくって。ほろほろこぼれてしまいましたね」
「あんまりおむすびって食べ慣れていなくて……」
「そう。もし、もしね、次回また来た時はほろほろにならないよう、もう少し強めに握るようにするわね」

 わたしは両手でぎゅっぎゅっと握る真似をしながら、あるかないか分からない「未来」の話を口にしてしまいました。握る好みは人それぞれなので、柔らかく握るのが好きな人、固めの方が好きな人、いろいろいるものなのです。
 そういう他のお客様のお話も交えながらふと女の子を見ると、ほろほろと涙していました。

「あららぁ……」

 幸い今は他にお客様は誰もいませんでした。わたしは目をパチクリさせて女の子を眺めました。若い頃はいろいろなことがあるもんです。悩んだり、くじけたり。
 ゆっくりと女の子が話し始めました。

「突然……すみません。こんなこと急に言われても困らせてしまうと思うのですが、わたし……」

 ——わたし、ついさっき、彼氏と別れてきたところなんです

「あらまぁ」
「このおむすびは美味しいです。梅も、よくある蜂蜜漬けの甘いタイプじゃない、おばあちゃん宅で作って送られてくる酸っぱいやつ……」
「そう。わたしのお店ではずぅっと何十年もこの梅干しを使っているのよ。二種類出していた時期もあったけど、結局年寄り一人でやることになったから、梅はもうこの一種類だけ」
「うん。……美味しい」
「……別れてきたばかりで、気持ちもいろいろあるでしょうね。そういう時期もあるでしょう。おむすびしかないお店だけど、ゆっくりしていってね」

 わたしが静かに言うと、女の子はちょっと頷いてまた食べ始めました。一口ずつ噛み締めて、ゆっくりと。わたしほどの年寄りが何かを言うと、積み重ねた時間みたいなものまで一緒にくっついて届くらしく、たった一言でも噛み締めて聞く人も多い気がします。女の子は泣きながら、ゆっくりと食べていました。

 別れを切り出したのは女の子の方だとか。女の子と彼氏さんは大学生で、お付き合いして一年ほどになるらしい。女の子はデートのたびに張り切ってお弁当を作ろうと頑張るのだけれど、いつも上手く作れず辛かった。
 おむすびを握ればべちゃっとして、卵焼きもぐちゃぐちゃになった。だからいつもゆで卵……それも、カットはせずに丸のままお弁当箱に詰めるものだから、のっぺりとした白く丸いものが見た目にも大変貧相に感じていたのだった。料理が苦手なくらいでどうして……とも思うわたしだけれども、自分が納得できるところまでできなくて自己嫌悪を感じているその女の子は、彼のそばにいることが苦しくなり、それで別れを切り出した。


 笑子さん不在の小さなお店でシワシワの年寄りと俯いた女の子がお話しています。
 年寄りだから話せるのでしょうか。こんなわたしに、女の子は一生懸命言葉を選びながら思いを伝えてくださっています。

「……いっぱい、お話しちゃった」

 ちょっと照れた表情で女の子が微笑んでわたしの方を向きました。頬を桃色に染めて、幾分すっきりした風に見えました。

「食べて、寝て、それで気分も少し上を向けたら、彼のことを思い出してみたらどうかしら。今はその梅みたいに酸っぱくても」
 そう言って、わたしはおむすびを包んでいた薄い紙を指さしました。

 おにぎりではなく、おむすびとめい打ってお店を開いている理由わけは。やはり「結ぶ」という言葉に愛を感じているからだとわたしと亡き夫は思っています。

——ごはんの粒を通して農家さんの愛とお客様を結ぶ
  人の笑顔と健康を結ぶ
  そんな願いを込めて握る おむすび屋

      ***

 帰り支度をした女の子が立ち上がったと同時に、扉が勢いよく横に開きました。

「あ」

 息を切らしてそこに立つ、女の子と同じ歳くらいに見える青年。

「考え直してほしい、ユイ……! 僕は、君のこと……!」

 驚いている女の子を、泣きそうな青年ががしっと抱きしめました。わたしには聞き取れないほどの声で何かを伝えているように見えました。女の子が——顔はわたしからは見えないのだけれど——うんうんと小さく頷いております。
 わたしは「あららぁ」と開いた口元をシワシワの両手で隠した。

 この歳になってもなお、こんな小さなお店でドラマみたいなことを目の当たりにして、お久しぶりに心の臓が波打ちました。これはこれは、今晩はおとうさんに素敵な土産話ができそうで、常連のお客様にも(名は伏せますよ)お話もできそうで、まだまだ例の川を渡れそうにもありません。


 さぁ、御結おむすび屋は明日も一体、何を結ぶ?



(おしまい)


カフェはもう関係ない食べ物シリーズ(おむすび)(約4,200文字)
テーマ/おむすびが結ぶもの
初めておばあちゃんを主人公にしました。厳格な祖母ではなく、穏やかで優しいおばあちゃん(ご近所にお住まいの元料亭の女将さん)がモデルです。

人生山あり谷あり。
たくさんの感情をぎゅっと握っておむすびにして、大好きな具と美味しい海苔で巻いて食べちゃう。ぱくり!
あとはお腹が消化してくれます。
いいところだけ吸収して不要なものはポイ!
それで明日への活力になりますから、やっぱり食事は大切なのです🍙

推敲後、おむすびを食べたくなってしまった私。
米不足、新米の値上げ……。現実は厳しい〜💦

最後までお読みいただき感謝申し上げます。


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