Take-2:映画『ブレードランナー(1982)』は面白かったのか?──このタイトルの本当の意味とは──
【映画のキャッチコピー】
『2020年、レプリカントは人間に宣戦布告』
【作品の舞台】
2020年(=公開年から38年後の近未来という設定):アメリカ・カリフォルニア州ロサンゼルス
【原題】
『Blade Runner』
直訳すれば当然『刃-走る人』ではあるが、タイトルの由来は本文の最後、【追記】にて
「二つでじゅうぶんですよ~。わかってくださいよ~!」
これは映画の冒頭近く、うどんだか何だかを四つ注文しようとするハリソン・フォードに屋台のオヤジが日本語で言う台詞なのだが未だに何が二つで十分なのかわからない。というか、うどんにしろ天丼にしろ一つで十分な気もするのだがw
ども、N市にねぐらとする考える野良猫、ペイザンヌです。
本作『ブレード・ランナー』は点数などつけられぬほど好きな作品なので今日はこちらを選んでみました。
リメイクがあってもいいんじゃないかとずっと渇望している、いや"していた”映画ですが『ブレードランナー2049(2017)』という続編も作られました。
が、まあ今回それはこっちへ置いておくとしましょう。
人間と識別することすら難しいレプリカント(書いてて懐かしい響き……)と呼ばれる精巧なアンドロイド。それを追う賞金稼ぎの物語ですが、原作『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』での主人公の動機は実はこうなのであります。
〈激減した「本物の動物」をペットとして飼うことがステータスとされている未来。
見栄のため飼っていた安物の「ロボット羊」が壊れたため主人公はなんとか高額な本物の動物を手に入れたいと願い、賞金のかけられた六体のアンドロイドを追う〉
しかもキャラ的には住宅ローンを支払うため無茶な仕事を引き受けるお父さんみたいなキャラなんですよね。なんとなくw
クールでシリアスな本作もいいけどそんな若干ユーモラスなペーソスのある原作寄りの『ブレード・ランナー』もリメイクとして見てみたいものです。
映画版の方でも「レプリカント六体が逃亡」と最初に言っているのに、実は五体しか倒してないんですよね。残りの一体は? というのがこの作品に残された長年の謎であったわけです。
主人公デッカード(ハリソン・フォード)は彼らを追いかけているうちに自分こそがその一体なのではないかと疑問を持ち、自らをテストする場面もあります。まあ事実は最後までほのめかされてますが。
その辺りが続編『ブレードランナー2049』ではキモになるのではと当時噂されてましたが……あまり関係なかったみたいですね。
※ちなみに現在、リドリー・スコットはデッカードはレプリカントであることを公言しております。一方、演ずるハリソン・フォードはそのことは「知っていた」がデッカードは人間である──とも言ってます。面白いもんです。
映画版の『ブレードランナー』は物語を非常にシンプルにまとめてあり、その分視覚効果の方に力を注いでいます。
まだC.G.ではなくS.F.X.と呼ばれていた懐かしき時代ですやね。
空を飛ぶ車の着地シーンなど釣ったピアノ線が見えないよう雨のシーンを多用した──なんて試行錯誤もアナログならではの雰囲気も醸し出し、結果、後世に受け継がれる「味わい深い近未来世界」、そのお手本のようなビジュアルとなってしまったってんだからまた凄い。
「限られた時間と命の儚さ」そして「偽者と本物の違いは何か」という二本の絡み合った大きななテーマは四十年近く経った今でも観るものの心を引きつけます。
近年のChat-GPTなどもそうですが人間とA.I.の違いというものの距離が狭まれば狭まるほど人はその「僅かな違い」というものに今後悩まされていくことになるのでしょうね。
近年ドラマなどでもリメイクされた──アミューズメント・パークでガンマン型アンドロイドが人間を襲う──ユル・ブリンナー主演の映画『ウエスト・ワールド(1973)』の時代から、いやもっともっと昔からそれらはほのめかされてるわけで。
またピクサーのアニメーション映画『ウォーリー(2008)』ではロボットが花を摘もうとして一瞬戸惑い、土と一緒に根っこごと持ち上げる場面があります。
そういった感情をA.I.が持つようになれば、無差別に殺人を犯す人間の方が逆に「アンドロイド」として診断されてしまうかもしれない。それが本作の世界観。
原作では人間とレプリカントの違いを見分けるのは「共感覚」の有無だといっております。それこそが人間特有のものであると。
それを見分ける心理テストがまた絶妙で面白いんですよね。「君はひっくり返った亀を見ている。だが助けない──なぜ?」とか「ここに蝶のコレクションと虫ピンがある。どうする?」とか質問しながら瞳孔の動きをチェックするなど。
自分がされてたらハタシテちゃんと合格するのかな……と、ちょっとドキドキしますわ。
たとえば自分がアスペルガー症候群であるのか?──などという判断は非常に難しく曖昧だと言われてますよね。
ただ、怒りっぽいだけと言われれば、ああそうか、ともなるし、例えアスペだと診断されても自分で「はい、そうですか」と簡単に認めるのもなかなか難しい。
自分は本当に正常なのか、狂ってるのか?
幽霊は本当に存在するのか、それとも幽霊などやはり幻覚に過ぎず自分が統合失調症なだけのか?
などなど……
どちらが正しいのかなんて疑問は多々存在し禅問答のごとく続いていくわけであります。
公開当時、そんなアングラな思想は一部の人しか興味がなかったかもしれないけど『シャッター・アイランド(2010)』や『インターステラー(2014)』のような映画が次々と公開されている現代としてはすでに昔のSFは既にSFにあらず、より人間の内面へ、より現代人の本質へと近づき始めてきているような気もしますね。
しかも、本作『ブレードランナー』に登場するテレビはブラウン管。まあ、そんな時代に作られた映画ですしね。
さらにそれで写真の画面を拡大するために『右へ、ストップ、引いて、ストップ』なんてやってますが、今やスマホの画像なんて指をぐわ~んと広げて拡大すりゃ済むだけですからね。電話といえば主人公が公衆電話を使ってる場面もあったりなんかとw
現在の十代や二十代がこの『ブレード・ランナー』を観る感覚はがボクがちょっと昔の映画『禁断の惑星(1956)』や『ミクロの決死圏(1966)』に抱いたそれと似ているのかな~などとも思ったりします。
そんな十代二十代、Z世代アルファ世代と通じ合える「共感覚」は今の自分にあんのかな? など、そんなことも時々テストしてみたくもなります。ちょっと恐怖におののきながらw
【追記】
そもそも「ブレード・ランナー」って言葉の意味はどこからきたの? 劇中でそんな言葉使われてないのに……? 確かにそうだな~と思っているとこんな記事がありましたので載せておきます。ご興味あればどうぞ。
御存知の通り、ブレードランナーの原作はフィリップ・K・ディックの『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』という名の小説であります。
ですがこちらの原作でも主人公のリック・デッカードは警察署職員であり「ブレードランナー」と呼ばれることはありません。では、ブレードランナーという単語がどこからやってきたのかというと、これは、リドリー・スコット監督がデッカードにふさわしい職業名を探しているうちに、別の小説家の作品に出会ったためだとか。
ブレードランナーという言葉を最初に作ったのは、リドリー・スコットでも原作者のフィリップ・K・ディックでもなく、医師でありSF作家だったアラン・E・ナースという人物だったそうです。
このタイトルをリドリー・スコットが気に入って借りたみたいですね。なるほど、これでボクも長年の謎が解けました。
【今回取り上げた作品からの枝分かれ映画7選+原作】
『ブレードランナー ファイナル・カット』
日本語吹替音声追加収録版 ブルーレイ(3枚組) [Blu-ray]
『ブレードランナー 2049』 [DVD]
『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』 https://amzn.asia/d/eD68mVl
『ウエストワールド 』[DVD]
『 ウォーリー』 [DVD]
『シャッター アイランド』 [DVD]
『インターステラー』 [DVD]
『ミクロの決死圏 』[DVD]
『禁断の惑星』 [DVD]