Take-35:映画『碁盤斬り(2024)』は面白かったのか?──“日本映画”は死んでいなかった
【映画のキャッチコピー】
『妻を想う男、父を信じる娘、誇りをかけた闘いが始まる!』
【作品の舞台】
江戸時代。浅草、阿部川町の裏長屋が主人公、柳田格之進の住まいとなっている。
また碁仇である萬屋源兵衛の住まいは同じく浅草馬道一丁目とあり、観音さんから吉原へ向かう方面にあります。娘のお絹が身を落とすのはその吉原の大店「半蔵松葉」です。
【上映時間】129分
皆様、よき映画ライフをお過ごしでしょうか?
𓃠N市の野良猫、ペイザンヌです
え〜、何気にボクは邦画を劇場鑑賞の選択肢に入れることが他より少ないので、たま〜に観たりすると
「あ! じ、字幕がねぇ!Σ(゚Д゚)」
──と、妙な驚きを感じるというか、スクリーンが広く感じます。脳ミソも一部使わなくていいので楽ちゃ楽な気がしますな。
水清ければ魚棲まず──
映画でも元の落語でも出る言葉です。
あまりに綺麗すぎる水には魚も住めないという意味ですが、世には必ず汚い部分もあり、また逆に言えば現代のように、あまりにルールに縛られ過ぎた世の中、潔癖すぎる世の中でも少し息が詰まるという意も込められているのかもしれません。安全ではあるけど監視され過ぎてるような社会というのも、やや本末転倒というのか人間どこか嫌気がさすものでございます(おっとなんか落語の枕みたいな口調になっちまったw)。
やっかみ、不信、人の噂……いったい誰が悪いのかわからぬまま不幸になってしまう人もいます──また、それが真面目であればあるほど……
「それでもあなたは清廉潔白でいることができますか?」という憤りこそがこの『碁盤斬り』というタイトルに濃縮されてる気がしますね。
で、実際どうなんよ?──というと「日本映画は死んでなかった!」と、つい叫びたくなるほど面白かったですね!
冒頭に書きました道徳・教訓などを含みつつ……ん、ならば「少し固いのか?」とも思われる方もいるかもしれませんが、全くそんなことはなく、「エンタメ」としても抜群でした。
ペイザンヌは「自分の鑑賞中の態度やモゾモゾする動き」で面白さを計ることがあるのですが『RRR(2022)』を観た時と変わらずだったんすよね。というのも「129分、ピクリとも微動だにせず」、つまりは「めっちゃのめり込んで観てたな……」って証であります。
監督は──リリー・フランキーさんの怖さがトラウマになった人もいるでしょう『凶悪(2013)』や、阿部サダヲさんがトラウマになっ(以下同文w)『死刑にいたる病(2022)』などの白石和彌さん。
そして脚本に『クライマーズ・ハイ(2008)』や『日本沈没(2006)』などの加藤正人さんですね。
何がなくともとにかく草彅剛さんが引っ張ってってくれますね
彼独特の抑揚のない語り口から声を荒げるところまで……
特筆すべきは、観れば一目瞭然だと思いますがクライマックスで「ある台詞」を吐く時『エクソシスト(1973)』のリーガンに憑いた悪魔の如く全く違う声になるんすよ
「あ、憑依したな…」て。
元の落語にはない、映画ならではの「脚色」のパートが邪魔をするどころかよりストーリー性を高めてたのも良きですね。
原作ありきの「脚色」は、派手さや、より映像的、映画化に見合うよう付け足されたり変更されたりすることも多いですが、残念なことにそれが功をなしているなというパターンは少ないように思えます。逆に「なんでこんな余計なことすんだろ」と思う映画──皆様も一本二本は思い浮かぶのではないかと……
今回はその脚色がとても効果的であり、まるで「良いリメイク作品」を観た気分にもなれましたね。
元となるのは古典落語の人情噺『柳田格之進』。また『碁盤割』や『柳田の堪忍袋』などとも言われることもあります。また「角之進」と書かれることも少なくないようです。そもそも講釈(講談)だったものを落語にしたというのも有名な話です。「ならぬ堪忍、するが堪忍」という言葉も有名ですよね。
主人公である柳田格之進はもともとは奥州彦根の城主「井伊家紋の御家来」でしたが
「讒言(他人をおとしいれるため、ありもしない事を目上の人に告げ、その人を悪く言うこと)するものがあって君側(君主のおそば)を遠ざけられる」
──という過去があります。
実は落語の方で主人公の過去が語られてるのは僅かこれだけ、たった数行なんですよ。
そこに目をつけたのか「格之進の過去に何があったか?」という回想シーンやそこから派生する復讐パートは映画オリジナルの脚色となります。なので斎藤工さんが演じる柴田兵庫という役どころも映画の(ノベライズ・小説の)オリジナル・キャラクターとなります。
しかも元の落語の方で格之進は、映画のように髭面で身なりが落ちぶれることはなく、長屋を去ったあとは、逆に「今では帰藩が叶って江戸留守居役で三百国を頂戴しておる」──と大成、返り咲きしてるんですよ。
留守居役といえば江戸駐在の今で言う外交官のような役職です。
それを偶然、萬屋の番頭が見つけることになる展開です。
また落語ではオチも様々ありますが、基本は娘のお絹と萬屋の番頭(映画では十五夜の宴でベロベロに酔っ払ってた方ですね)が最後に祝言を上げるのがパターンなのですが、どうやら「さすがにそれはないんじゃないか?」ということで源兵衛が養子にとった侍の子、弥吉(演:中川大志さん)という、これまたオリジナルキャラクターを加えたそうです。
これがまた最後の「お互いを庇い合うシーン」でより感情移入しやすくなっており、とても良い改変なんですよね。
正直、ボク自身も落語を初めて聴いたとき、所詮は他人の「主と番頭」が庇い合っててもあまりピンとこなかった部分があったんですよ😅
改変してもなお「自分を吉原に入れる張本人となった男と結婚なんてするか?」という疑問をお持ちの方もいるでしょうが、元の落語よりは「まだわかる」風にはされてたよねと。それなりに若い二人の恋心を序盤で描いてましたし、そういう意味では観る方に対しても良心的な演出だったのでは、と。
娘のお絹役は現在公開中『青春18×2/君へと続く道(2024)』にも出演されてる清原果耶さんですね。
まあいくら「お絹」が自ら選んだとはいえ、娘を吉原に入れて得た金で、その父親が武士のプライドを貫くために借金(厳密には借金じゃないけど)を返す──てのもどうなのよ? と、思われる人もいるとは思いますが……(やはりボクも落語の時にはそこが少し引っ掛かりましたw)
噺し手側もそこは考慮したんでしょうね、冒頭にこんな「枕」を置いてます。
「世の中のしくみというものが違いました、昔と今。今じゃとても考えられないなんてぇことがよくあったもんだそうです」──と
また、娘を返してもらった後、最後にも「これが今だったら大変なことになってた『冗談じゃないわよ、慰謝料どうにかしてよ!』なんて言われても仕方のないこと……」──と現代の人にでも納得してもらえるよう笑いを挟んでるのも絶妙です。オリジンをなるだけ崩さず、客の心もでき得る限り納得へと導く──そんな細心の注意を払っていたようにも思われますね。
但し立川談志師匠などに至っては「この話が現代に合ってるとは思えない」──という理由で生涯一度もこの噺をやらなかったという記事を先日見かけましたが、その辺りも関係してるのかもしれませんね。
前回、このブログで書いた『鬼太郎誕生/ゲゲゲの謎(2023)』は面白かったのか?の時、「綺麗だけど数式みたいな脚本」に見えた──と書きましたが、本作、この『碁盤斬り』こそ脚本になにやら書き手の熱情、炎のようなものが潜む、また「事件と感情を」段々と重ねつつ歩いていく──と言いますか、とにかく「😮なんとまあ美しい脚本か……」と惚れ惚れしましたね。
しがない武士だが「碁」にかけては天才的なものを持つというキャラクター性、「賭け碁」というギャンブル的要素も人はつい目を惹きつけられますし、大晦日までに娘を救うというタイムリミットも組まれ、五十両はどこへ消えたというちょっとしたミステリ要素もあります。いってみれば基本中の基本が詰め込まれてるホンです。
また「碁」の初手、打ち方の癖で仇の柴田兵庫をついに発見する──なんて細かい小技も効いてましたね。ああいうの好きです。
まあ、そもそも落語というもの自体が「日本のシェイクスピア」のようなもんで完成された物語の核みたいなところがありますからね。
凄いなとつくづく思うのが「起承転結」の「起」のうまさ。強いけれども嫌味な「碁」を打つ萬屋の源兵衛と勝負をし、「負けて勝つ」というアクロバティックな信念を見せる主人公格之進。源兵衛はその心意気に打たれ自らも改心していく──これはほんの冒頭なんですが、ね、まるでこれだけで一本話が出来上がりそうじゃないすか?
「え、あとは?──残りの一時間半、何を見せられるのよ?」──と、ちょうどそんなことを思ってる瞬間にすかさず次の事件を投入、さらにそこで弱ってる主人公に追い打ちをかけるように「新たな真実が」──そんな畳み掛け。先ほど重ねていくと書いたのはこの辺りですね。
また冒頭で書いたように「誰が悪いのか」がとても曖昧に描かれてるのもニクいですね。
そもそも主の源兵衛自身が「金を獲ったのかどうか確かめてこい」と格之進を疑ったわけではないのがミソですよね。それどころか「深い事情があったに違いない。私の金だ、余計な詮索するな」と怒ってすらいます。
若い衆の弥吉もまた、そんなこと「したくもない」のにしぶしぶと、仕方なく格之進のもとへ向かいます。そりゃそうです、上司に命令されただけなのですから。
さて、前述もしましたが、落語の方にはない脚色された部分、「復讐譚」のエピソードの方で重要な役を果たすのが『シン・ウルトラマン(2022)』の時とはまた違う演技を見せてくれた斎藤工さん──
草薙さんのせいか時々キムタクに見えたり😂
終盤の碁の勝負時の、あの少し目のクリクリっとした感じ、髭面、また声のトーンも少し似てた気がするんですよねw
むしろいっそ木村拓哉さんがあの役でも面白かったかもな……なんて思ったりね😁
「碁の勝負などに時間を割くなら、その分を他に回せ」──なんて感想も見かけましたが、別に『キングダム』や『ゴールデン・カムイ』を観てるわけではないですからね😅
ボクはむしろピンと張りつめた「碁勝負」での心理戦の方が、刀を使った立ち回りよりも数倍熱く感じたものですが──まあそれも人それぞれ。「わちゃわちゃと動きがないとつまらない」と感じてしまう人も少なくないのかな……?🙄
まあそういう人たちに媚びた作りをしてないからこそ「日本映画は死んでなかった!」と思った理由でもあるのですが。
なぜ碁盤を斬ったのか?──というのはこの物語において最もいろいろと考えてしまうポイントですが、憎むべきは「罪」でも、ましてや「人」でもなく、全ての発端となった「碁盤」──そこに目には見えぬ宿命や風のようなものを感じ、断ち切った──と、いったところでしょうか。
黒澤明監督の『羅生門(1950)』で三船敏郎さん演ずる多襄丸が言った「あの時たまたま風が吹かなねば、あいつも死んでなかったろう」と、そんな台詞を思い出します。
そう、単に主人公は「物に当たった」わけではないのです(あたりまえw)
この物語のオリジナルは明治25年(1892)、『碁盤割』のタイトルで『百花園』に掲載された三代目春風亭柳枝(鈴木文吉、1852〜1900、蔵前の)の速記が、唯一の古い記録とされています。
せっかくなので『碁盤切り』の元となる古典落語、古今亭志ん朝師匠による『柳田格之進』も下に貼り付けておきますので、お暇な時にでもぜひ聴いてみてくださいませ。
主人公の気品のある声色、そして、なんといっても『間』が絶妙です。お聴きいただければすぐわかりますが、ここぞという時の「無音の間」がゾワっとします。
話が少し固くなってきたなと思えば「え、こんなとこで?」という場所でもすかさず一度笑いを入れてます。そしてまた緊張へと戻るのです。笑いも恐怖も弛緩によるもので表裏一体となってるのがはっきり見て取れるのが落語の良いところですね。
「観に行こうかな〜」って方は、話にも取っつきやすくなると思うので先に聴いておくもよいかもです。
いずれにせよ良い噺ですし、37分と短いので寝ながら聴くにも丁度よいかと。
では、また次回に!
いや、今回の場合「おあとがよろしいようで──」って感じですかねw
【映画『碁盤斬り』予告編】
【古今亭志ん朝師匠による『柳田格之進』】
【『碁盤斬り』オリジナル・サウンドトラック】
【小説版『碁盤斬り/柳田格之進異聞』】
【本作からの枝分かれ映画、勝手に6選】