「未確認生物」を想像・創造しよう!〜ワークショップの実践記録〜
先日、街にある不思議なものや風景を写した写真を手掛かりに「未確認生物」を想像・創造するというテーマでワークショップを開催。小学校低学年〜中学年の4名の子どもたちが参加してくれました✨
はじめに、私がワークショップ会場周辺で事前に撮影した写真をパワーポイントにまとめて提示。ここには載せることはできませんが、ワークショップ会場の外観や最寄り駅の写真を「まちでん!」アプリ(https://apps.apple.com/jp/app/%E3%81%BE%E3%81%A1%E3%81%A7%E3%82%93/id1576542992)で撮影し、さらに光線の写真と合成したものも盛り込みました。
「未確認」だから、あくまでも仮説であるという前提のもと、このような写真を「未確認生物の模様?」「未確認生物が通った跡?」などという形で示しました。
これ、ガセネタじゃん!
ワークショップの冒頭、写真を見た中学年の子どもたちが「これ、ガセネタじゃん!」「写真を加工したんでしょ!」と鋭い指摘をしてくれました。初めて出会い、かつ白衣を着て「未確認生物博士」を「演じて」いるオトナが本当はどんな人なのかを試してくれている気がして、久しぶりの小学生との関わり合いにハッとさせられた瞬間でした✨
確かに、何枚かの写真は子どもたちが言うように加工編集した「ガセ」なのです。ただ「そうです、ガセです!以上!」で終わってしまっては関わり合いが深まらないしワークショップの展開としても面白くない。そこで、咄嗟に「なるほど!そうしたら、ガセだと思う写真は切り捨てて、気になるものを見つけていこうか💡」と提案してみました。
初めての場でのワークショップであるため、子どもたちが興味関心を持つポイントを知ることができたらと思い、事前に用意した様々な写真をとりあえず一通り提示してみることに。このマンホールの写真は「未確認生物を語り継ぐ昔話の絵?」として提示しましたが、中学年の子どもたちは「そんなわけはないっ!」「ただのマンホールじゃん!」とバッサリ。
でも逆に言えば「未確認生物」なのだから「全ての写真が『未確認生物』の証拠として結び付くとは限らない」というストーリーも成り立つわけで、ガセはガセとして切り捨てる=本物かも知れないもののみを残すという工程はとても大切で面白いものなのだと子どもたちから教わりました✨
子どもたちが写真を振り返ったり表現する際の参考にしたりできるようにと、事前に提示した写真をカード化したツールを用意していました。「ガセ」と話していた子どもたちはこのカードを使って情報の取捨選択を開始。このような形でカードが活躍したことに、私自身目から鱗でした😳
「脚がたくさんあるのかも!ムカデとか…」〜子どもたちの雰囲気が変わる〜
「ガセ」だと疑う子どもたちの雰囲気が一変したのは、こちらの写真を提示した時のこと。
金属板やコンクリートに残されたいくつかの引っ掻き跡や足跡らしきものの写真(多少明度や彩度は調整したけれど、編集で何かを付け加えたわけではありません)なのですが、これを見て中学年の子どもたちから「いっぱい引っ掻き傷がある!」「脚がいっぱいあるんじゃない?ムカデみたいに…」という素敵な呟きが生まれました。私が「なるほど!ムカデって、脚が何本あるんだっけ?」と問いかけると、「んー、16本くらい?」とのこと。
このようなやり取りがきっかけとなり、子どもたちは「でも4本よりは脚がありそう!」「そもそも未確認生物は1匹とは限らないよ!2匹いるとか…」などの対話が展開していきました😊
「未確認生物」の表現①〜その場にいる人や文脈から生まれる〜
いよいよ「未確認生物」を表現していくワークに入ります。今回は画用紙を用意していただいていたので、それを用いて表現するというアプローチを取りました。ここから、子どもたちはたくさんの素敵な表現を生み出していきます。事例は大きく3つに分けましたが、その中で4人の子どもたちそれぞれが生み出した〝動き〟が見えるように書きました。
最初に取り上げる事例は「写真はもう見なくて大丈夫!だって、もうこの場に『未確認生物』がいるじゃん!」と呟き、迷うことなく絵を描き始めたAくんの表現です。
このワークショップが始まる前、会場となった場で活動されている方がオレンジ色のアフロヅラと仮面を付けて雰囲気を盛り上げてくださいました✨Aくんはその方を「未確認生物」として表現したのです🤣
これには会場のみんなも大笑い!「そうか!こういうアイディアがあったか!」ー。子どもたちからは「確認された時点で『未確認生物』じゃないじゃん!」という的を射た呟きも生まれましたが、「未確認生物」に変身してそれをスクープとして表現するという表現が斬新で感激しました✨
「未確認生物」の表現②〜生態系を即興劇で表す〜
次の事例は、体内の細胞の性質やウィルスの生態系について興味を持ちワークショップの前に教えてくれたBくんの表現です。
私が上の写真を「未確認生物」の証拠?として提示したところ、Bくんは画面右側から中央付近にかけてある5つの黒い点に着目。そして「何か穴がある!」「5本に分かれた枝とかを引き摺ったから、こういう形になったんじゃない?」と想像を膨らませ、棘のある5つの脚を持つ「めスタンプ」という生き物を想像・創造していったのでした✨
さらに2体ほどの生き物を描き、それぞれの生態系も考案。「お酒の失敗作に棲みつく」「ご飯やパンの中にいる」「体内に入ると癌を引き起こす」「鼻から入り込んで脳を溶かす」という人間を脅かす恐ろしい情報が明らかになるにつれ、周りの子から「それ、絶対に出遭いたくないやつじゃん!」という切実な意見が挙がりました。
ここで素敵だなぁと思ったのは、こうした意見を受けて、Bくんが新たに危険な「未確認生物」への対策方法を考え始めたことでした。子どもたちのやり取りをきっかけに、Bくんは「天然水をかける」「見つめる」などのユニークな対策方法を考案✨さらに「実際にこの生き物を劇でやってみようよ!博士(私)は『めスタンプ』になって!襲われる役を僕がやるね!」と提案したのでした💡こうして生態系を即興劇で表すという新しいアプローチが展開していきました‼️
Bくんが劇のために作ったお面を私がつけ、「へっへっへ〜!オレ様は『めスタンプ』だぁ〜👿オレ様が体内に入ると癌になって体が痛くなるぜ〜⁉️」と言いながら彼を捕らえます。
そして、Bくんが考案した生態系を参考に「でも、オレ様は天然水に弱いんだぁ〜。誰か天然水持ってねぇのか〜⁉️」(観ていた子どもたちからは「わざわざ倒される方法を教えちゃうの⁉️🤣笑」とツッコミが入りました笑)と演技を続けました。
するとその様子を見ていたCくんがアドリブで水筒を持ってきて天然水に見立て、私にかけるフリをしてくれたのでした✨
「うわぁ〜!天然水だぁ〜😭や、ら、れ、た〜…ちゃんちゃん‼️」ー。私も子どもたちも大笑い🤣
この即興劇は、Bくんのアイディア(や私の演技力?笑)もさることながら「アドリブで水筒を持ってくる」という働きかけをしてくれたCくんがいてくれたことが持つ意味がとても大きかったように感じます。
以前ブログにまとめましたが、私は子どもの頃に河童を見たことがあると信じています。
そんな原体験を持つ私だからこそ言えることですが、「未確認生物」を見たという体験をした時に、その語りを信じて受け入れてくれる人がいるか否かが決定的に重要となります。私や一緒に河童を見た子どもたちの場合、そのような存在は、うちの母でした。
この即興劇もそれと似ていて、Bくんと私が紡ぎ出したストーリーがより社会の中に意味あるものとして位置付けられていくためには、「嘘だ!」「つまらない!」と切り捨てることなく「Yes, and…」のマインドを持って受け入れ、一緒に新たな展開を生み出そうと参与してくれる存在が必要不可欠となります。今回即興劇がより生き生きと展開したのはCくんのアドリブがあったからだと言えるでしょう。水筒が差し出された瞬間、本当に嬉しかったなぁ☺️‼️
「未確認生物」の表現③〜立体的に表したい〜
もう一つ、初めてのアプローチに出会うことができました✨それは平面素材から出発して立体作品へと発展するという〝動き〟です。
最初、提示される写真に対して「ガセ」だという説を唱え、やがて足跡らしき痕跡を見て「ムカデ」というイメージを膨らませたDくん。
やがて画用紙にムカデのようなフォルムをした「未確認生物」を描き始めました。
同じ画用紙に描いていたのは、先程の事例でアドリブで水筒を持ってきてくれたCくん。Cくんは腕が4本、脚が2本の生き物を描いており、この2人の間で「脚が複数本あるのではないか」というストーリーが暗黙のうちに豊かに響き合っていたことが伺えます。
Dくんは描きながら「これはただのムカデだよ」と言っていましたが、一方で「いろんな色を重ねてみた」とも話しており、現実界に棲むムカデを超えようとする工夫が伝わってきました✨ちょうどCくんとDくんとの間で「うちに未確認生物の本、ある!」という話題が出ていたことから、「昔の人も、CくんやDくんみたいに手や脚を増やしたり、色を変えてみたりして、未確認生物を表現していたんだよ✨」と伝えると、さらに色を重ねていました😊
そのような流れの中で、Dくんは「そうだ!立体的に作ってみたい!」という素敵なアイディアを閃きました💡そこで、急遽会場にあったハサミとテープをお借りすることに。Dくんは同じ形の型を3つ作って筒状に貼り合わせるという工夫をし、そこに顔を描いて、見事ムカデのようなフォルムをした「未確認生物」の立体モデルを作り上げることに成功しました✨
Dくんはこの力作を作ったことでスッキリしたのか「これは持って帰らない」とのこと。そこで私が「じゃあ博士が欲しいなぁ〜!」とお願いしたところ、快く譲ってくれました✨
サイコロカードゲームへの展開
これらの一連の流れが一通り終息した時点でワークショップ開始から約1時間が経過。ワークショップ自体は2時間という枠(ある程度ゆとりを持ち、途中解散という可能性も加味した時間枠)だったため、主催してくださった方のアイディアで新たな展開が生まれていきました✨
このワークショップの前に会場からオンラインイベントを配信していたのですが、主催者の方はそこで私が紹介させていただいた「サイコロカードゲーム」を思い出してくださり、4人の子どもたちの様子を踏まえて「サイコロカードやってみたら良さそうですね!」と提案してくださいました✨
とても素敵なアイディアだったため、表現した「未確認生物」をモバイルプリンターでシール化してカードを作り、バトルをするという新たな展開を子どもたちに提案してみました(その場で急遽カードの枠を作成してくださったスタッフの方々のお力があったからこそ実現しました!本当にありがとうございます!)💡
当初子どもたちが描いたり作ったりした「未確認生物」を撮影→シール・カード化することを想定していましたが、AくんやBくんの事例で生まれた「コスプレをして自らが『未確認生物』に成り切る」という遊びの〝動き〟があったためか、子どもたちは会場内にあったオレンジ色のアフロヅラや仮面、動物やキャラクターの帽子、剣や盾、亀の甲羅などのアイテムを駆使して自らが「未確認生物」?に変身することを楽しんでいました。そこで、成り切り遊びの様子を撮影してシール化→カードを作成するというアプローチをとりました✨
「スライムかめん」は、コスプレをした私です。子どもたちも同じような感じで会場内にあるものを使って変身していました✨
カードができたら、いよいよバトル開始‼️最初はHPを全員「10」に揃え、サイコロの出目を1〜3にし、「10を割り振ってダメージ数を考える」というルールで行いました。オープニングバトルでは、私が運良く?運悪く?勝利してしまうという展開に😓サイコロなので出目を操作することができず「空気が読めない」のが難しいところでしたが、先程まで「未確認生物」の流れが終息しかけていた子どもたちは再び集まり始め、大盛り上がりでカードを作ってバトルを楽しんでいました✨
やがて「回復」ルールや被ダメージをものすごく減らすルールを考えたり、HPや与ダメージを「30万」「10億」「∞」と増やしたり、小学生ならではの「ゲームバランス崩壊」が発生!私も敢えて張り合い「そっちが30万1120が最大HPなら、こっちもそれに揃える!」と対抗すると、それを上回るルールが生まれていきました笑
久しぶりの小学生たちとの関わりなので「この感じ、懐かしい🤣」と見守りつつ、中には「それじゃあ面白くないよ〜!」と意見を出す子もいたことが素敵だなぁと感じました。私も「お互いの全部の技が相手に∞ダメージを与えるんだったら、結局先攻・後攻のジャンケンだけすれば勝ち負けが決まるねぇ」と指摘。それでもきっと、勝ち負けを越えて、子どもたちは技を考えることそのもののわくわく感や、大ダメージを与える可能性を持っているという爽快感が楽しかったのだろうなぁと思いました☺️
オンラインイベントでもお話させていただいたのですが、特に日本社会では「ルール」は予め固定的・絶対的なものとして存在し、それを遵守することの大切さについては繰り返し学ぶ機会はありますが、ルールそのものを創るプロセスや、対話を通して都度改定できるという可能性について学ぶ機会は、まだまだ十分に保障されていない気がします。
遊びの中で生まれるこのようなせめぎ合いを通して参与者同士の間に対話が生まれ、その時、その関係性、その文脈の中でローカルルールが作られる…。今回はルール作りまでは展開しませんでしたが、特に子どもたちの自治の場である放課後や学校外の時間から、こういったプロセスの重要性を発信していくことが大切なのだと改めて感じました✨
まとめ
今回のワークショップを通して、改めて小学生という段階にある人々と関わる面白さを感じることができました。様々な知識や情報を獲得しつつ、一方でいわゆる「正解」を覚えるような質の学びや、固定化された価値観を押し付けるような社会への違和感を抱き、それを越えていこうとするエネルギーが伝わってきます。時にヒリヒリドキドキハラハラするような瞬間も起こる「いま、ここ」の中で、一緒に「正解」や「当たり前」とされる価値観を問い直し、新たなものが生まれ展開していく。そして、そんなプロセスを通して私自身も自らの在り方を問い直し、それに伴って遊びの〝動き〟を面白くしていくための「次の一手」を繰り出す感覚が研ぎ澄まされていくー。そのような〝動き〟の面白さを感じることができました✨
また、今回のワークショップ冒頭で中学年の子どもたちから挙がった「ガセ」という指摘がとても面白く重要だなぁと感じました。この呟きには「初めて会うこのオトナは『いま、ここ』を共に創るに値するか」と私を試す意味合いも内包されていたのだろうと思いますが、それに加えて「今回用意した写真は、そもそもオトナ(=私)の独断と偏見で選ばれたものでしょ?」というニュアンスも含まれていたようにも感じました。つまり、いくら「遊び」「ワークショップ」と謳っていても結局提示されたものは子どもたちにとっては何の必然性もない「ガセ」であり、結果「わけのわからないオトナから一方的に与えられたもの=『シュクダイ』『プリント』『セイセキ』『ヘンサチ』…と同列のもの=疑いの眼、不快感、嫌悪感」という心理を無意識のうちに持たせてしまったのではないかと反省しました。
その後のやり取りの中で即興劇や立体化などの豊かな展開が生まれていったものの、確かに私の配慮不足であった点は否めません。そこで、今回のワークショップとは逆の発想で、子どもたち自身が社会に対して「フェイクなんだけどフェイクかどうか分からない瀬戸際をつくような『未確認生物』の証拠写真や証拠映像などを作成していく」という実践をしてみたら面白そうだなぁと思いました😊〝現代版・コティングリー妖精事件〟的な感じでしょうか。
コティングリー妖精事件が起こった時代よりも遥かに様々な技術が進展した結果、現代社会に生きる子どもたちはデジタルネイティブ・フィクションネイティブ・加工編集・「映え」ネイティブともいえる状況になっているのだろうと思います。
このような現代社会の中で「子どもたちによる、本気の『未確認生物』フェイクニュース」を生み出すとしたら、果たして子どもたちはどんなアプローチを企てるのだろう。そして、そんな子どもたちの「グル?」「共犯者?」「共企者(こんな言葉はないけど、共に企てる存在という意味)?」となるために、私たちはどんな技やマインドを持っている必要があるのだろうー。考えるだけでわくわくします💡
How toではなく、あくまで
・既存の枠組みを問い直して新たな視点を持ち、未知のものを想像、創造し続ける楽しさを体感すること。
・まだまだ社会的には「未熟な存在」として見做され、故に能力獲得型の発達段階を押し付けられてしまう子ども観を転換していくこと。子どもたちが生まれながらにして研究者・探究者・創造者であることを実践・発信し、そのような文脈での学びや育ちについての社会的な価値観を構築していくこと。
・子どもの想像や創造を一緒に企てるマインドを持つ大人たちの輪を拡げること(今回のワークショップ会場にいらっしゃった方々はこのような素敵なマインドをお持ちで、だからこそ今回まとめたような一連のわくわくする展開が生まれました)。
というマインドや哲学が重要であるという軸を持ち続け、今後も探究を重ねたいです😊
ワークショップにご協力いただいた皆様、参加してくれた子どもたち、最後までブログを読んでくださった皆様に感謝申し上げます✨ありがとうございました☺️
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