【感想】夫婦のあり方について考えさせられた
はじめに言っときます。
「夫婦のあり方」だなんて題名にしてますが
わたくし、独身でございます。
以前「坂元裕二脚本の作品」が好きな友人から、「カルテット」をおすすめされたことがあった。しかし、観ることなく4、5年経った今、
サブスク(アマプラ)の世界へ足を踏み入れたことをきっかけに鑑賞に至った(激しく申し訳ないほどに今更感…)
そして、全話視聴後、
いやいやなんなら最中から
なぜ私は、もっと早くこれを観なかったんだ!
と過去の自分を悔いることになる。
それぐらい好みの世界観だった。
さて、本題に入る。
私が特に印象に残ったのは、夫婦のあり方が描かれていた第6話の内容だ。
愛している人と家族になれて嬉しかった妻と、結婚しても恋人のような関係でいたかった夫。この価値観の違いから、2人は離婚することになってしまう。
両方の視点に立って考えてみる。
すると、うん、これ、
悲しいことにどちらも悪くない。
…だからこそつらい。
重複してしまうが、
この夫婦の決定的な離婚原因は
【結婚(愛すること)に対する価値観の違い】だった。
幼少期から複雑な家庭の事情により、自分を偽って生活していた「妻」が望んでいたのは「普通の家族」
そんな彼女にとって、夫との結婚生活は「ありのままの自分」でいられる、かけがえのない時間だった。没頭していた趣味も忘れてしまうほどに、彼女にとっては、それが心地よく、貴重だった。
対して「夫」は、そんな妻のことをつまらないと思った。「いつまでも恋人同士のようにいたい」それが、夫が求めていたことだったから。夫にとって妻は、品があって、音楽をやってて、どこかミステリアスで、今まで出会ったことのないような人だった。それなのに、結婚をして、共に生活をするにつれて、妻も他の人と同じ「普通の女性」だった、ことに気づく。
「彼と家族になれて嬉しかったし、愛しています」という妻と「彼女のことは愛しているけど、好きではない」という夫。
いつのまにか、妻にとっては、家族だと思ってた夫が「片思いの相手」へと変わり、夫にとっては、恋人でいてほしかった妻が「家族の一人」となっていた。お互いに欲しかったものが、気づいた時には逆さになっていたのだ。
そして最終的に2人は離婚してしまった。
結婚後の価値観なんて、結婚してみなければわからない。結婚前も後も価値観が変わらない人だっている。人間なんて、その時になってみないと、自分でさえも自分のことがわからない。その立場、状況に自分が身を置いて初めて「あ、自分はこういう人間(価値観)だったのか」と知ることもある。
人間は置かれた環境に合わせようと柔軟に対応し、変化する生き物だけど、時として、頑なに守ろうとすることもある(信念)。
夫婦って何だろう。
愛するって何だろう。
価値観なんて、違って当たり前だ。
人間だから。
それぞれが譲れないものがあるのは当たり前だけど、どうにかして思いを伝え合って、擦り合わせることはできなかったのだろうか。
結局ドラマでは、夫婦の気持ちがそれぞれの相手に届くことはなく、お互いに愛しているのに離婚に至ってしまった。ちなみに、離婚後夫は、妻の生い立ちを知ることになって「ああ、妻はただ、自分と普通の家族になりたかったのか…」と理解するのだけど、それを夫婦の時に気づけてたら、果たして2人は離婚せずに済んだのだろうか。
でも、それもこれも、その夫婦(その人たち)が、その状況に直面してみないとわからないことだ。同じ状況に立って離婚する人もいれば、そうせずに続ける人もいる。
人間は謎が深い、奥も深い、時々めんどくさくなって、逃げてしまいたくなる。
考えてみると、この世界は白黒思考なことが多い。結婚か離婚か、好きか嫌いか、 0か100か。
グレーを許せる人でいれたら、どれだけ過ごしやすいだろう。
欠けていたっていいんだよ
欠けているからこそのあなた
それを含めてのあなた。
そんなあなたでいいんだよ
そんなメッセージを勝手に感じた。
うん、もしかしたら私は「カルテット」を観たのが今でよかったのかもしれない。巡り巡ってこうして作品は私のところにやってきてくれた。これも縁だ。今この作品に触れることになったのは、私にとって何か意味があったんだ。