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今ここにある生と死,未来にある生と死

死は人生の果てにあるのか?
それとも,今ここにあるのか?
そんな疑問を少し考えてみたいと思います。

哲学者アリストテレスは人間がおこなう様々な行為を,
「エネルゲイア(活動)」「キーネーシス(運動)」に区別しました。

キーネーシスとは,一定の目的に向かう末完了的な過程を持つ行為です。
端的に言えば将来の目標を達成するために,未完了の現在から完了する未来に向かって生きることだと理解しています。

そして,世の元気な人々の大半が人間の生をこのキーネーシス的な考えで認識しているように思います。
つまり,生の最期に死があるという時間軸的な捉え方です。
そう捉える理由の一つは,自分自身が元気だからです。重篤な病気を持たない者にとっては,明日が来ることは確実だと認識しているからです。さらに言えば,たいていの人が来週も来月も来年も自分は確実に生きているという予測で生きています。

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対して,ネルゲイアとは,現在進行と完了が同時に成立する行為です。
こちらも端的に言えば,今ここで全ては完了し,今この瞬間が全てということだと理解しています。
荘子の言う,“死生一如”もコレであると思っています。つまり,生と死はコインのように表裏一体であり,今この瞬間にも裏返ることがあるということです。
例えば,重篤な病気を持つ者にとっては,明日が確実ではなくなります。未来はより不確実なものとなり,自己の意識は今この瞬間に注力されることになります。まさしく,“死”というものを自分事として認識した時,キーネーシス優位の思考がエネルゲイア優位に変わるように思います。むしろ,未来の不確実性が強まることで強制的にエネルゲイア優位にするのかもしれません。

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さて,哲学者の三木清は,『幸福は“なる”ものではなく,“ある”もの』と言いました。人間は今この瞬間に幸福であり,それに気づいているかどうかということです。
まさしく,それもエネルゲイア的な考えです。しかし,それが難しい。
私たちの多くが,幸福は成功の先にあると思ってします。なぜなら多くの人がキーネーシス的な生き方をしているかです。
とは言え,これはキーネーシス的な生き方が悪いということではありません。未来の目標に向かって今を生きるというのもまた,生きることへの活力を与えます。つまりは両者のバランスが大切なのだと思います。
それは,『未来を見据えてなお,今この瞬間をも大切にする』ということです。それは時に矛盾した思いを私たちに抱かせるかもしれません。しかし,それでいいのです。どちらかに振り切る必要などありません。不確実な世界を不完全な私のままで生きていくのです。

【参考文献】
・アリストテレス(著),出 隆(訳):形而上学
・三木清(著):人生論ノート

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