![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/157774905/rectangle_large_type_2_ea5c3b1d6f40b1bdfc0d3ac151fa14cb.jpeg?width=1200)
パワハラ死した僕が教師に転生したら 20.死にゆく労働者達
パワハラ死の後、意識体となり、時間の流れて行く現在と過去を行き来し、色々な出来事を垣間見てきたと言う教師。
そして教師は、自分と同じように死んだ労働者を山ほど見てきたと言う。
教師の13回目の社会の授業は続く。
「そう、僕はそういう人達を山ほど見てきた。僕は意識体になってから、自分が何故あのような最後を迎えたのかを考えるようになる。そして僕は思った。僕と同じような最期を迎えた労働者が他にもいるのだろうか?そんな労働者がいるなら、どうしてそうなってしまったのか?僕は知りたいと思った。それで、僕と同じような最期を迎えた現代の労働者をイメージしてみた。そういう労働者は、山ほどいた。
最初に見たのは、地方の居酒屋チェーンで働く三十代半ばの店長だった。彼の店は利益目標の未達が何年も続き、彼はエリアマネージャーから何度も罵倒され、暴力を振るわれ、謝り続けていた。彼は未達を避けるため、ただ一人、おびただしい時間をサービス残業に費やし、休日もタイムカードを押さずに働くようになる。他の社員やアルバイトにしわ寄せせず、自分一人でけりをつけようとしていた。エリアマネージャーからの悪意と暴力は激しくなり、次第に彼の身も心も尽き果てて行った。彼は夜明けに、店の前に駐めた車の中で、練炭に火をつけた。止めろ、死んでは絶対に駄目だ・・・・・そう伝えたかった。そして彼はすぐに最期を迎えた。僕の中に行き場のない深い悲しみが生まれた」
うつむいて、声を震わせながら、授業を続ける教師。
「次に見たのは、プラスチック部品を製造する工場で働く二十歳位の男性だった。工場では誰もが些細なミスを繰り返していた。でも、彼だけが上司から大声で叱責されていた。そして、工場長がこれに加担するようになり、彼を会議室に連れ込み、長時間に渡り詰問し、暴力を振るうようになる。やがて彼は一部の部品の製造ラインを管理する立場に立たされる。でも、誰も彼に仕事の手ほどきをしなかった。彼は見よう見まねで必死に仕事に臨んでいた。彼には厳しい製造数のノルマが課されていた。彼は毎日、深夜まで働き続けた。彼のラインのアルバイトが成形機の温度設定を誤り、不良品が次々と生まれてしまう。上司はそれを彼に投げつけ、『次にこんなもん作ったらお前を殺すからな、俺に殺されたくなかったら自分で死ね』と罵声を浴びせていた。そんな状況が半年も続き、彼はアパートのドアノブを使って首を吊り、最期を迎えた」
「その次に見たのは、住宅を建てて売る会社で営業マンをしていた四十代半ばの男性だった。彼はスランプに陥って、何ヶ月もノルマを達成できないでいた。毎朝の営業会議では皆の前で上司からひどく罵られ、社長からは『今月2件売れなかったら死刑』というラインが毎日何回も届いていた。彼は休みもなく夜遅くまで、手当たり次第にアパートや古い団地や公営住宅に訪問し続けていた。憔悴しきった彼を心配する奥さんに『このままじゃ会社にいられなくなるから。俺は大丈夫だから』と言っていた。生活のため、奥さんと子供のため必死だった。それでもノルマは達成出来なかった。彼は忘年会で皆の前で土下座させられ、酒に酔った上司が死刑と連呼しながら彼の頭を踏みつけていた。それを見て労働者達は笑っていた。その翌日、彼は『ごめんな、ごめんな、ごめんな』と繰り返しながら、電車に飛び込んで最期を迎えた」
陰鬱な表情で深呼吸をし、しばらく黙り込んでから、授業を続ける教師。
「こういう人達が山ほどいた。僕は、パワハラや長時間労働で自殺した労働者や過労死した労働者を、何百人も見てきたのです。男性も女性もいた。大きな会社の労働者も、小さな会社の労働者もいた。幅広い年代の労働者が亡くなっていた。社会に出てすぐに亡くなった若者もたくさんいた。多くはごく普通のまじめな人だった。そしてほとんどは僕と同じ、ニュースにもならない、社会に知られない死だった。今日もどこかで、知られることなく、労働者の命が消えているはずです。
亡くなった労働者達の悲しみ、苦しみ、無念が、僕の中に流れ込んで来た。そして深い悲しみの中で、どうなってるんだ?と僕は思った。こんなに大勢の労働者が無残に殺されていく。こんなことが許されて良いのかと思った。嵐のような激しい怒りが湧き上がってきた。ふざけるなと思った。そして、何故このような死が繰り返えされるのか、何故社会ではこんなことが許されているのか、どうすれば死を防げるのか、知りたいと思った。
僕は初めて、何かを真剣に知りたい、学びたいと思ったのです。怒りとともに、そういう欲求がとめどなくあふれ出てきた。
僕は取り憑かれたように見て回った。亡くなった何百もの労働者、彼らに強いられた過酷な労働、彼らが受けた暴力、彼らを死に追いやった集団と階層、そこに属する社長、上司、労働者を見て回り続けた。労働者の人生を、命を、死を、なんとも思っていない社長が山ほどいた。労働者を追い込み続ける社長が山ほどいた。平然と部下に過酷な長時間労働を強要し、悪意と暴力を行使し続ける上司が山ほどいた。僕は彼らを深く憎悪しながら、洞察を続けた」
目を閉じてしばらく息を整えた後、授業を続ける教師。
「そして多くの洞察を続けるうちに、僕の関心は変化を遂げます。株主や社長が労働者を激しく追い込み、労働者がこれを受け入れる。労働者はひどく苦しみ、苦しみの中で悪意と暴力も生まれる。そして一部の労働者が犠牲者となる。この現象が当たり前のようにありふれていた。あまりに普遍的だった。それは、現代の社会そのものなのです。
僕は、このような社会が、いつ、どのように形作られたかに関心を持つようになる。起源があるはずです。僕は過去を見たくなった。焼け野原から社会の再構築が始まった終戦直後、そこから現代に至るまでの社会を、そして労働者を見て、知ろうと思った。
僕は見て回った。終戦直後、社会が激しく混乱し、失業者があふれ、誰もが飢え、苦しんでいる時代があった。隣国での戦争に使われる兵器や物資を売り、日本の会社が、人々が立ち直っていく時代があった。
そして1955年から、高度成長の時代が始まります。日本の会社が作った安くて品質の良い商品は外国に驚くほどたくさん売れた。日本の会社のビジネスの規模はどんどん大きくなった。どの会社もお金をたくさん借りて新しい設備を導入した。これまでなかった新しいビジネス、新しい会社がたくさん生まれた。
労働者は長時間、働いていた。労働者の安全は軽んじられ、工場での爆発事故や化学薬品中毒で亡くなる労働者もいた。けれど、多くの労働者の給料は増え続け、失業者はいなくなっていった。テレビ、洗濯機、冷蔵庫、自動車、エアコンが普及していった。誰もが豊かになっていくことを実感していた。あの食べ物がなくて飢えていた時代と比べて、自分たちはどれだけ豊かになったんだろうと思った。だから労働者は、自ら進んで、納得して、長時間がむしゃらに働いた。転職する労働者もたくさんいた。日本の会社のビジネスは急拡大し、労働者は不足していた。新しく生まれた会社にも労働者が必要だった。彼らはより高い給料を、より良い条件を求めて転職した。多くの労働者に、そして労働に、希望があったのです」
「次いで1973年、外国から買っていた石油の値段が突如、急激に上がる石油危機が起きる。エネルギーを外国から買う石油に頼っていた日本の会社は利益が出なくなった。商品の値段を上げざるを得ず、これまでのようには売れなくなった。倒産する会社、クビにされる労働者が次々と現れた。株主、社長、労働者の誰もが震え上がり、地面が揺らぎ崩壊していくような恐怖を感じた。
そして株主や社長は、この危機を乗り越え、利益を出すために、労働者を猛烈に追い込み始めたのです。
彼らは労働者に対し、会社に全人格的な忠誠を誓わせた。会社の利益のために自分も家族も犠牲にして働く心、人生を会社に捧げる心を要求した。そして株主、社長、全ての労働者は仲間である、一体であるという洗脳を行った。
株主や社長は、労働者に更なる長時間労働を要求した。ビジネスが拡大しても、彼らは安易に労働者を増やさなくなった。ビジネスが拡大した時に労働者を増やせば、ビジネスが縮小した時に労働者をクビにせざるを得ない。そうはしないのだ、ビジネスの拡大時には仲間の頑張りで乗り切ろう、その代わり、ビジネスが縮小しても仲間を誰一人もクビにしない、と彼らはほざいた。結局、労働者は朝早くから夜中まで働くことを求められた。
彼らは労働者に、過酷なノルマの達成を求めた。誰もが高い期待をかけられ、自発的に高いノルマを設定し、それを成し遂げるよう求められた。仲間の一員ならそうすべきだと恫喝された。
さらに彼らは、これらの要求に対する達成度を細かく評価し、評価の高低に応じて階層や給料を決定する仕組みを導入した」
「そして多くの労働者が、これらの要求を受け入れた。増え続ける失業者を見て怯えきっていた彼らには、過酷な要求を受け入れてでも今の会社に残ることが最も有利な選択だと思えた。多くの会社が、定年まで労働者を雇うかのように振る舞っていた。その保障は、我慢するのに見合う価値があると思えた。そして労働者達は、要求を達成し、高い評価を得て上の階層に進み、より多くの給料を得ることに希望を見出した。
労働者の間には、高い評価を得て上の階層に進むための激しい競争が生じた。競い合って会社に忠誠を誓い、長時間のサービス残業をし、自ら高いノルマを設定し達成のため死力を尽した。競争に勝ち残るために彼らはより激しく働く。その結果、労働者達は、ひどい苦しみを、怒りを、虚しさを味わうようになった。やりきれない気持ちは集団と階層の中に悪意と暴力を生み出し続けた。労働者の自殺や過労死が多発した。
株主や社長が労働者を激しく追い込み、労働者がこれを受け入れ、一部が犠牲者となる、そういう社会が始まったのです」
「2度目の石油危機を経て、1980年から10年程、再び日本の会社が成長して行く時代が来ます。自動車や家電製品が外国にたくさん売れた。アメリカの学者が、日本の会社は世界一だ、アメリカが学ぶべき株主と社長と労働者の理想的な関係があると讃えていた。しかしそれはかつての高度成長の時代のように、労働者の多くに希望を与えるものではなかった。労働者の給料には、大きな差が生じていた。極端な長時間労働が蔓延し、集団と階層には悪意と暴力が渦巻き、労働者の自殺や過労死はあふれていた」
「高まり続けていた上場会社の株や土地の値段が急落し、この成長の時代は終わります。そして、失われた20年と呼ばれる、日本の会社が行き詰まり、徐々に衰退して行く時代が始まる。多くの会社が次々と倒産し、多くの労働者がクビにされていった。クビにされて自殺する労働者もいた。貧しい派遣社員、アルバイトで食いつなぐ労働者、失業者が大幅に増えた。大学を出ても正社員になれない若者が大勢いた。労働者の給料は下がり続け、多くの人々が貧しくなっていった。
そして、株主や社長が労働者を激しく追い込み、労働者がこれを受け入れ、一部が犠牲者となる社会は堅固に維持されていた。さらに、給料を少ししか払わず、極端な洗脳を行い、より苛烈に労働者を追い込む新興の会社が多く台頭してきた。行き場のない労働者達は、仕方なくそこで働き、要求を受け入れた。彼らは病的な長時間労働と止むことのない悪意と暴力の連鎖の中で生きていた。労働者の自殺や過労死は増え続けた。山ほどの労働者が死んでいった。社会に出たばかりの若い命も失われていった」
「・・・・・そして、今もそうなのです。何も変わっていない。そう、私達の社会は、何十年もの間、労働者を殺し続けて来た。その数は何万人にも及ぶ。そして、今も殺し続けている。みなさんが出て行くのは、このような、異常な社会なのです」
いいなと思ったら応援しよう!
![くらきあお](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/155829682/profile_d8f575b325a936c9cb8784eb8ec97afe.jpg?width=600&crop=1:1,smart)