「明るく前向き」はゴミ箱に捨てよう。

明るく前向きに生きたい・・・?

 明るく前向きに生きられたら、そう思って日々を過ごしている場合があるかもしれません。そして、一瞬、一時、今、明るく生きられてる!前向きになれてる!という心地になっても、またすぐにいつもの自分に元に戻る。そんな繰り返しの日々かもしれません。しかし、そもそも本当に明るく前向きに生きたいのでしょうか。

技術だけでいいかも

 明るく前向きな人のイメージとして、挨拶や返事ははっきり大きく、明るい表情で人と接しているということが挙げられます。そういった対応をすると、相手の反応も良いので、仕事等でそうしたことを意識して技術として、明るく前向きな人に見せることは時折、自分を助けるかもしれませんが、素の自分を明るく前向きな人に変える必要はないかもしれません。また、心がつらくなる場合は、紙に書き出したり、その出来事に対して別の側面を見つけたりして心を軽くするような技術があると思いますが、つらいときは技術を使えば良いのです。技術を使っているだけであって、素の自分が 明るく前向きな人になったというわけではないですし、明るく前向きな人に変わる必要もありません。

素の自分を嫌いになるのは 

 暗くて後ろ向きだと、明るく前向きな人よりは社会生活に苦労します。そして、周りから否定されることや思うとおりにいかないこともたくさん起こります。そういう日常の傾向や暗くて後ろ向きな気質が後押しして、素の自分を自然と嫌いになってしまうかもしれません。

似たような性格の身近な人のことは好き?

 しかし、似たような性格の身近な人たちの中で、自分が好きと思える人は1人はいるのではないでしょうか。暗くて後ろ向きな人に対して、その内容が共感できたり、親近感を覚えたり、人間性・考え方が好きだったりしないでしょうか。一方で、明るく前向きな人については、世間的には高く評価されますが、そういった人たちのことを心から好きでしょうか。もちろん好きな場合もあると思いますが、すべての明るく前向きな人を好きになるわけではないでしょう。つまり、明るく前向きであろうと暗くて後ろ向きであろうと、好きなものは好きなのです。

素の自分を嫌うことで心を守っているかも

 今までに受けた否定で、自分が傷ついているのかもしれません。そして、自分も自分の気質を嫌うことで、ある意味、心の整合性を保っているのです。暗くて後ろ向きな自分を好きになると、それ自体また否定されて大きく傷つくのを防ぐためです。

好きになる必要は1ミリもない。ただ、受け入れる。

 しかし、本来、自分を嫌う必要はありません。暗くて後ろ向きな自分だからこそ、感じること、出会う人、楽しめる世界があります。自分の性格が好きか嫌いか。とはいっても、すでに嫌いなものを無理に好きになることはできないので、好きになる必要は全くありません。ただ、受け入れましょう。自分はこういう人なんだと。そして、それにより自分を責めてしまうこともあるかもしれませんが、それもまた自分です。自分は自分をよく責めるものだ。それぐらいに考えておけば良いのです。

複雑で扱いづらい自分だからこそ。

 そんな複雑で扱いづらい自分だけれど、好きなことへのアンテナ、楽しいことへのアンテナ、人とはキャッチするものが違うだろうけど、それも個性であり、大切なもの。ゆっくり優しく、自分の扱い方を知っていけば良いのです。それだけ、深く複雑な分、自分の扱い方を知ったときは、目の前の何気ない景色1つが、少しだけれど変わって見えるかもしれません。

「明るく前向き」はゴミ箱に捨てよう。

 明るく前向きを目指す必要はないのかもしれません。それよりも自分の扱い方を知ることを楽しみましょう。「明るく前向き」はゴミ箱に捨てましょう。 

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ぱわぼう
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