見出し画像

書籍「ホテル・ニューハンプシャー」

長らく本棚に鎮座していたジョン・アーヴィング著「ホテル・ニューハンプシャー」。

先日読んだ短編集「二周目の恋」の登場人物の愛読書として登場したので、俄然読む気になりなんとか読了!

翻訳書独特の読みにくさはありつつ、目まぐるしく繰り広げられる一家のドタバタ劇(?)はスピード感があって割とすらすら読めました!
感想いってみよう!


序盤から下ネタ祭り

家族愛の話、みたいな紹介のされ方が多いので、心温まるほのぼの系?と思って読み始めたんですが、序盤から子どもたちがキツめの下ネタをそれはそれは言いまくる!

名作と言われてる本って、下ネタなしには書かれへんのかな?って思いません?
世界で読まれてますみたいな名作で下ネタを避けて通ってるのあんま見たことない。うぉおおおい!ってなるくらいおしも。

まあそれくらい、人間と性は切り離せないということですね。

けっこう悲しいことが次々起こる

コメディタッチとも言えるくらい軽快で小気味のいい文章、奇想天外な会話劇みたいなのがずっと続いて、長いわりに飽きないんですが、
上巻のラストで大切な母親と末息子があっけなく亡くなります。
ここで、えっ!てなる。
うそやん、そういう感じ?めっちゃ悲しいやん。悲しすぎる。
この家族どうなるんーー!? →下巻へのエンジンがフル

そもそも、この上巻のラストの前から切ないこと、辛いことはこの家族に色々と起きてました。
長女フラニーが「袋叩き」にあったり、
みんなの大好きなおじいちゃんであるアイオワ・ボブが、長男フランクがつくった犬の剥製に腰を抜かして亡くなったり、
次女リリーが小人症であると発覚したり、
末っ子エッグの聴覚に問題があったり。

リズミカルに面白くポンポン話が進むのであまり深刻な感じはないんですが、よくよく考えると様々な不幸が家族を襲ってます。

でもそういう事件さえも、アーヴィングの筆力で、読者に大きな痛手を負わさずになんだかすらすら読ませるのがこの小説の不思議なところ。
翻訳の中野圭二氏の力も大きいですね。

解説ではじめて著者の意図を理解

翻訳された中野圭二氏の解説が最後についてるんですが、
そこではじめて気づくことが色々ありました。
なので、解説まで読み切ることを推奨。

ジョン・アーヴィングは、
「この小説はレイプされた女性がそこから立ち直っていく話」
と言っていたそうで、
「そうなんや!!!」となりました(遅い)

言われてみればフラニーの「袋叩き」事件が家族の進む道や意識に大きな影響を与えてるし、物語の中核になっていることは確かなんですが、
そこが著者のメインの主張やったんやな、というのは、あまり気が付いてませんでした。

解説の中でこんな記載があります。

一九八五年十一月に、朝日新聞社の主催で国際シンポジウム「女は世界をどう変えるか」が開かれたが、招かれて来日したアーヴィング氏は、その席で「今日の社会で”フェミニズム”以上に可能性をもつ概念はあるだろうか」と語っているほどである。
 見方を変えれば、アーヴィング氏は弱者に加えられる社会の暴力に我慢がならない。彼は心の底から激しく憤っている怒れる作家でもあるのだ。そして現代社会の一番の犠牲者は、女性であり、ひいては子供であるという考えが彼のなかにはあるようだ。最新作の『サイダー・ハウス・ルールズ』(一九八五年)では、中絶が非合法であったためにいかに女性や子供が苦しめられたかを扱っているが、根底は『ホテル・ニューハンプシャー』と同じだとアーヴィング氏がいうのももっともである。

今よりひと昔前のこの時代に、中絶が認められないことへの憤り、女性や子供の権利を強く主張していたということにけっこう驚きでした。
今のアメリカはまたアーヴィング氏の思想とは逆行する方向に行っているようで、なんとも言えない気持ちになりますね。

まとめ

人生には本当にいろんなことが起きる、
それでも「なんてことないさ」的なマインドでたくましく生きる家族の姿は、読了後に何とも言えない爽快感と生きる力を与えてくれます。

しょうもない下ネタ小説ではないので、最初の数十ページで挫折することなく、最後まで走り切ってみてください!!!


いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集