古代日本
今日は変なこと語ります。
興味ない方はどうぞスキップしてください。
変な新興宗教でも何でもない、神社と古代日本のお話です。
時は縄文中期、海底火山、阿蘇山の噴火と日本列島に大災害が降り注ぎます。
熊本県の阿蘇山の噴火は有名ですよね。
でも、京都府北部にも阿蘇って地名があるんですよ。
天橋立の内側の海は「阿蘇海」っていいます。妙につながりますよね。
ここは縄文後期に栄えた「豊受大神」の領地「丹波の国」の中心地です。
「あなうれし たにわえよ」との「うた」から分かるように「田」の「庭」からなまって「丹波」になったのかなと思います。
日本書紀や古事記では「豊受大神」は天照大神の後の人となっています。
一方で「ホツマツタヱ(秀真伝)」によると、イザナミのお父さんで、天照大神(わかひと)のおじいちゃんになっています。
「豊受大神」古事記や日本書紀では女性、その前に書かれた秀真伝では男性となっています。
それはともかく、この方、丹後にお墓があります。それも山一つ。
それがようやく理解できたのは秀真伝のおかげなのですが、ここで疑問が生まれます。
秀真伝ではこの「豊受大神」は東北出身(仙台、多賀城付近)なのですが、その近辺に居たような痕跡はありません。
保食神(うけもちのかみ)への信仰が厚いのか、保食国(峯山)にずっと居ますし。
秀真伝によると、東北からはるばる遠征し、「サホコ邦」後の「出雲(いずめ、いずも)」を監視する為に居たそうです。それも孫の天照大御神のお願いで。
そのあとは同居し、看取ったのも天照大御神とされています。
その後、お墓とは別に社を構えて「祭る」ことになります。
そこが「眞名井神社」なのです。そのふもとにもまた「籠神社」があります。
これらが「元伊勢」になります。
では、天照大御神はというと、同じ場所で亡くなられます。
わざわざ伊勢から遠征して、豊受大神と同じ場所で死にたいといい来ます。
そして天照大御神は大江町に祭られます。
では天皇とは?となりますが、そこは今は置いておいて。
豊受大神はその前はその前で天照大御神(わかひと)の教育をしていたと書かれています。
死に際まで教えを行ったそうです。
不思議ですよね。こんなこと習わなかった。
私は若いころバイクとたばこが大好きで、トイレ&自動販売機&喫煙所のある場所が好きでした。
それがたまたま神社でした。
たばこを吸いながらその神社の教えを読んだりしていたんですね(今思えば非常識)、そしたら疑問が沢山生まれるわけです。
まるで国境に立つかのようにある神社や、世界の中心のようにそびえる神社、また宮殿の様な神社。
何か訳がるんだろうと、ツーリングがいつしか調査に変わったのです。
あれから12年、今はイケてないのですが、また新たな疑問が生まれます。
秀真伝、古事記、日本書紀、各風土記をわせた時、書いている人の気持ちや時期を考え、考察するとまた違う見え方がある事に気が付きました。
要は「訳し方」です。
その時代背景や、時代による意味に違いです。
「かわをつたう」と現代人の我々が聞けば「川(河川)を通る」と解釈するわけですが、当時は「かわ」が海で合った可能性もあるのです。
例えば瀬戸内海、川の様に見えませんか?飽くまで可能性です。
また「あわのようのあらわれ」と訳された言葉があります。
それをそのまま聞けば「泡の様に現れ」となりますが、「阿波から来た
」とも訳せたりします。
当時意味した方角も、無理やり西洋の価値観に合わせて書き換えられたりしていますので、今の常識では語れない部分もたくさんあると思います。
今の常識が全てではない。
ひょっとしたらこの今を脱せるヒントがここにあるかもしれない。
長々と語りましたが「私の人生を変えた一冊」は今村聰夫さんの「はじめてのホツマツタヱ」(かざひの文庫)です。
古代日本に興味ある方は是非。
(正直語り足りない)
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