⭐️心の学び:理解され難いことはある
人間は「思い込み」で生きている。そして、間違いに気づくまでそれで生きていく。
人間がなかなか理解できないことに「利他的善」ついての思い込みがある。これについて一所懸命に説明するのだがなかなかわかってもらえない。
「人のためにすることはいいことだ」というのは、「確かにそうだ」と思えるが、そのように思わせられているということはないだろうか。
ぼくが何かあれば真っ先に行くつもりでいた戦争は、「国民を守るため」「家族を守るため」といった利他的善が成り立つように思えるが、正しいのだろうか。本当にそうなのだろうか。
戦争の駒として、いいように扱われていないだろうか。強制ではなく、自らの意思によって動いているように思わせられてはいないだろうか。
「でも、人のためにすることはいいことでしょ?」と思うだろう。そう、みんなそう思って迷わず行動する。
オウム真理教の事件は、人類救済という「人のために」が動機にあり、それは迷いなく行動を促すものだ。罪悪感などあるはずがない。
「何であんなことを…」と呑気なことを言う人もいるが結果は知っての通りだ。
カルト宗教の布教も同じように、「人のため」と言いながら自分だけのために行う。
「人のために」という思い込みは、自分の行為は「正しい行いである」と信じることだ。それがどういった結果を招くか、招いてきたかを話す人もいなければ問う人もいない。
「利己的」がとても悪いと思い込むことで、その反対の「利他的」であることは良いことだと強く思い込む。有害な二項対立のお出ましだ。
そして、利他的であれば何をしてもいいと思い込む。他人を犠牲にすることもいとわない。
「だって人のためにすることは良いことなんだから」という短絡的な思い込みが理由である。
本当にそうなのかを「人のために」考えてみることをお勧めする。
そう考えることは人のためになるのなら出来るはずだ。
「人のためとは何なのか」その答えを見つけることは人間の問題を一つ解決したことになるとぼくは思っている。