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哲学:普通を描く(デッサン)
「芸術だ!」「アートだ!」とやかましく言われることがある。本当のところわかっているのだろうか。
ぼくは普通の人を描きたい。巷にありふれている人のことだ。
特別に美人の人を描くと「芸術だ!」「アートだ!」と言われるが、あえて「普通の人」を描きたい。
今回、普通の容姿で、ポーズ中に居眠りしてしまう普通の人を描いた。
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「普通の人」はなぜアートと呼ばれないのだろう。おそらく「普通」だからだろう。「普通」はアートではないようだ。わからなくもないがハッキリしない。
「普通」がアートでないなら、なんで普通の人はアートをわかったかのように言うのだろう。
それはアートではなく「特別だ!」と叫ばなくてはならないのではないだろうか。
「特別な人」を描かなければ「アート」でないならぼくはアートとはサヨナラだ。
それでも特別な人を崇拝するというなら、それはアートではなく「憧れ」と呼ぶべきではないだろうか。
ぼくは普通の人から何がいえるかということを考えたいので、「普通の人」から滲み出る「何か」を描き続けて人間を表したいと思っている。
ぼくの描くものはアートではないけれど、哲学的でありたいので大いに満足している。