⭐️心の学び:称賛について
称賛されたいという気持ちは制御が難しい。
その心は何のために使われるかを考えれば答えを見出すことはできるのだが、だからといって制御できるとはいえない。
ブランド自慢や持ち物自慢、武勇伝からモテ自慢まで。その話の後に来る「すご〜い」を求めていることがわかる。
ラ.ロ シュフコーだったか、相手を褒めるのは相手に褒めてもらいたいからだ、と言ったように記憶して いる。どんなことをしてでも褒めてもらいたいのが人間だ。
称賛されたい気持ちは適当であれば仕方がないとしても、あまりにも気持ちが強いとやらなくてもいいことまでやってしまうものだ。
以前、出会った人に、会社の同僚達とカ ラオケに行った時、「うまいね〜」と褒められたものだから、それ以降、日々カラオケ店に一人で通って歌の練習をしている人がいた。
「何でそんなに?」と訊くと「褒められたいから」と いうのが答えだった。
自分がやりたいことは、他人から褒められること、というと正当のように思えなくもないがどうなのだろう。
いつもブランド自慢する人もいる。これはいくらで、これはどこそこのという話しかない。自分自身に誇れるものがないと何かを代償にしてでも褒められたいのだ。そのために散財してしまう人もいる。
「人間は褒められたい」気持ちはあっても「褒めたい」という気持ちはほとんどない。
自然に褒めるときには余程のことがない限りないのだ。それ以外で褒める際には強い労力がいるものだ。
それがわかっていれば、自分が褒められる時は、相手はかなり無理をしているなと想像できるはずだ。
また、自分がすごいなどと自惚れてはならないこともわかる。
称賛という世界には真実でないことばかりある。何事も自己満足で終わるのがいいのだ。
ちなみにぼくは褒めたいのだ。心について学んでいくと自然にそうなると思う。
他人との比較が消えていくと、本当に良いものだけを観ようとするようになるからかもしれない。
どんな人でも何かを探究している人は、必ず何かが抜きん出るものだ。
ぼくはそれを発見したいと思っている。そんな称賛されるべき一面に出会いたいのである。それをわかる自分に成りたいのだ。