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哲学: 敵対する心
以前、記事にしたように人間は本来敵対するよりも仲良くしたいものだと思う。
しかし、仲良くしたいその方法がまずいことが多い。
漫画のような殴り合いから始まって、そこから分かり合える友達になるといった回りくどいことが、現実にも少なからずある。
誹謗中傷、悪口、いじめ、暴力から相手の力量を測ろうとする。それに従うことや屈服などによって認めさせようとする働きだ。
そういった人間に出会うと人間観がだいぶおかしくなるのは当然のことだ。
おかしな奴は少なからずいる。それをどう見つけるかは自分を磨くしかない。
磨き上げた自分の感覚を信じることだ。
おかしな奴と付き合う必要は全くないが、どう取り扱うかはいつも考えておいた方がいい。必ずこれからもおかしなことをしでかすからだ。
自然界なら叩き潰してサヨナラするだけだが、人間社会ではそうもいかない。
仲良くしたくても悪党とは仲良くしてはいけない。悪党は仲良くしたいのではなく利用したいからだ。
人間は強く生きることを求められる。自らを助けなくてはいけないからだ。
自分を強く生きるための哲学は「自分は他人の犠牲にならない」という信念だが、それをさらに人間として強化するのが「自分は他人を犠牲にしない」を付け加えることだ。
その信念が「自分はどうあるべきか」の行動を促してくれる。
なまやさしい「自分らしく」のはるか先を行くことになるのだ。
その上で人と仲良くするのもよし、孤高に生きるのもよしだ。
そうすると人間に対する思い込みや期待が消失して楽に生きることができる。
どう生きるかは、どう考えるかということと関連しているが、そのためには強くあらねばならない。
仲良くしたい人ばかりではなく敵対したがるバカ者も多いからだ。