出来ていたことが出来なくなるということについて…

形あるものは必ず壊れる。
エントロピー増大の法則から逃れることはできないという真実を受け入れることに抵抗する心の働きは誰にでもあるはずだ。
私たちは記憶力の臨界期にある幼少期から10代、20代前半の体験に形成された世界観で生きているのではないだろうか。
「歳はとっても気持ちは若い」と言いながらピンクの服を着て大声で喋りまくるご婦人。中年以降にありがちな心理傾向が垣間見える。
「歳は若いけど気持ちは老人」と言わないのは老人の経験がないからである。
形成された自分像は現実と乖離しているものだが、「自分は特別である」という心理傾向はいつも現実を、見誤るのだ。
老いるということは年齢を重ねることを意味するのではなく、「出来ていたことが出来なくなることである」と明確にしておけば、そこから何をすればいいか、どう考えるべきかが見えてくるのではないだろうか。
「諦めなければ必ず叶う」といった傲慢な勝者の意見は、普通人には関与しないということに気づくはずだ。筋力、体力、持久力、瞬発力、記憶力、思考力など「力」という名のつくものは衰えていく。
ここらあたりで、繁殖を目的とした利己的な遺伝子に従った生き方も同時に消えていく。残るは生存への心の使い方である。
人間は若いうちは本能に従った生き方に偏りがちだが、歳を重ねると思考に従った生き方に変化していく。
この能力は、歳を重ねるごとに出来なかったことが出来るようになる唯一の能力かもしれない。
出来ていたことが出来なくなることへ抗う能力は「思考」である。
体力の衰えを「鍛える」ということで抵抗しようとすると「壊れる」という現実に叩きのめされる。
出来ていたことが出来なくなるという現実に向き合う人は少ない。
「なるようにしかならない」という諦めの境地に入り込むからだが、それも病気か不幸に陥ってからなので逆転は難しい。
ぜひ一度、自分自身の出来ていたことが出来なくなる現実の中で何が出来るかということを問うてみて欲しい。

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