治療的哲学:自分らしくはどういうこと
「いろんなことを考えようと思って…」
とても大切なことだ。
「これからはもっと自分らしく生きていこうと思って…」
なんやそれ。
「これまでもずっと自分らしく生きてきたやんか」と叫びそうになる。
何をしても続かない。仕事はサボる。言い訳は一丁前。何一つ言ったことはやらない。三年間の間に十回近くは仕事を辞めている。
全て職場の人間が悪いというのが理由だ。(そんなに悪い人ばかりいないだろ!)
ぼくはいつも思う。自分らしくって何なん?ぼくに見えるのは気ままに生きる人間の主張だ。
「自分らしく」ではなく「人間らしく」生きることだ。
日本という社会システムの中で生きるいじょう、自分の存在は周囲の者も否応なく巻き込む。
働くというのは、自分が社会にどう貢献するかによって報酬を得るという面がある。それが出来ないという人もいるが、大抵の人はできる。
「自分らしく」というのは誰が言い始めたのかは知らないが、良くない使い方をされている。
怠ける言い訳に使うために生まれた言葉ではないはずだ。
どのようにもとらえることのできる言葉の使い方は注意がいる。
「自分らしく」や「頑張らなくてもいい」といった言葉の使い方は、妙に人を説得する力があるようだ。
ぼくは大いに不満だ。
少なくとも健常な使い方ではない。その言葉によって苦悩をかかえる人もいるからだ。
「自分らしく」を問うたときの答えと「人間らしく」と問うたときの答えは、同じでなければならないのではないだろうか。