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「猫を棄てる」を読み思いに耽る

村上春樹著「猫を棄てる」読了

個人的な思索に耽っている雑文です
本作の内容にほぼ触れません
作品の内容や解説は、見識ある方のレビューをお読み下さい


この作品で使われる表現は、
「捨てる」ではなく「棄てる」

言葉の違いが気になり、ネットで調べると、ほぼ同じではあるが、それぞれ少しずつ意味合いを持っていた

あるサイトに、「捨」は手編であり、断捨離を意味する、との解説が書いてあった ( 私の理解が間違っていてればすいません) 

なるほど、それならば「捨」かな、と思う
しかし、より強く排除する意味合いを持つ「棄」を使っている、
作者の意図はどこにあるのだろう
など考えながら、読む


この作品は、普段は時間の経過とともに棄てていく過去の自分 (そして父親 ) の時間を、改めて「拾う」という作業をしている
その作業は過去と向き合うがゆえ、強い意思が必要であろう

そして、その行為は、過去を未来に繋げていくための作業となり
「棄てる」×「拾う」=「生きる」として新たな覚悟となる

なとど、更に勝手に考える 


本作読了後、
自身の同様の年齢時に拾うべき風景は何か思い起こしてみる、
そして、その時の行為から何が生じてくるか考えてみる

そこで思考は止まる、
未だにその覚悟を持つことが出来ていないからかもしれない
まだまだ小さいニンゲンである

この作品の後書きに書かれた、作者のこの文書を書く意味合いがとても印象的であった


最近は、歳をとってしまったのか、言葉や描写から生まれる景色を感じたいがために本を読み、映画を観るようになった
どんな作品であれ、ひとつでも言葉や描写から共感や感銘を受けることが出来れば
その瞬間がとても有意義な時間と感じる


是非、この作品はお読み下さい

若い頃から、この作家に引かれるのは、言葉や文章からその情景がはっきり感じれるからなのかもしれない

そう言えば、映画化され見逃したままの「風の詩を聴け」は未だに観ていない

尚、ワタシはハルキストではありません






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