見出し画像

タイムトラベル(時間の高さ)について

ぐだぐだの雑文です

先日、西宮市文化振興財団主催の西宮文学案内「作品で語る青春記かんべむさしの西宮マップ(講師:かんべむさし氏)」に行ってきました

中高生のころ読ませて頂いた作家です、世代はワタシより一回り上です
学生時代を過ごされた阪神間の変貌について語っていただき、大変興味深く拝聴させて頂きました

その中で、「時間の高さ」の話がありました

小松左京氏が言っていたとのこと

その場所の変貌は、その場所に留まっていればわからないが、山に登っていくとその場所の周辺の風景が見え町の成り立ちや変化が見えてくる
さらに登ると遙か遠くまで見え、さらに変わっていく町の軌跡が見えてくる

年齢も同じように、歳を重ね高く登っていくにつれ、自分と周囲の変貌が見えてくる

こんな感じの内容でした(内容に相違があればすいません)

甲山(六甲山の麓にある小高い山でシンボリックな山です)で例えておられました、さすが関学出身者です
ご自身は既に頂上近くまできているとコメントされてましたが、まだまだお元気そうです、ワタシも頂上への道をかなり登ってきました


「時間の高さ」は、作家が語られた定義なので深く感じます
当たり前のことを別の観点から着眼する、その発想力と考察力ですね


講演で同氏の学生時代の逸話や、それにまつわる町の変貌の話を聞いていると、自身が何十年も思い出さなかった何十年前の出来事が色々と脳裏に浮かび、SF小説に傾倒していた若い頃を思い出しました
そのときワタシは、記憶の中で、その頃にタイムスリップしていました

久しぶりのタイムスリップでしたが、わたしも結構年輪を重ねてきたのか、単に昔の良き思い出を懐かしむだけでなく、その時の頃を全体を俯瞰で見渡せていることに気づきました、
思い出したくもなく記憶の底に沈めていた死にたくなるような恥ずかしかったこと、後悔することも冷静に思い出せるのは、
時間軸の中である程度の高さの年齢に達してきたのだろうと、
改めて「時間の高さ」の考え方に納得しました

このようなきっかけがないと、なかなか全体を回顧しないもんです
登り続けてきましたが、たまには立ち止まって足下の景色を見渡すことのも必要かもしれません


ただし、その高さをもってタイムスリップしても過去は変えることなど出来ないで(タイムパドラックスですね)、ラオウのように「我が人生に一片の悔い無し」ではなく、「我が人生悔いだらけ」として生きていくしかないのですが、

もう少し高くに登ると見え方はまた変わるかもしれない、などと考えながら

そう言えれば、
いつか読もうと思っていた、「失われた時を求めて」も、ロバート・A・ハインラインの作品も全く読んでいない、そのいつかはいつだろう


余談です、
当時読んでいたSFマガジンも月刊ではなくなり、SFアドベンチャーや奇想天外は随分以前に廃刊になっています

若い頃、時間を忘れて読んだ作品を思い出します
時間をテーマにした作品では、タイムトラベルやタイムマシンものになりますが、それを描いたワタシのベストは広瀬正著「マイナスゼロ」です
復刻版の表紙イラストは和田誠です、傑作です


筒井康隆氏の「時をかける少女」は今や古典ですが、語り継がれる作品です

たくさん映像化されていますが、2006年細田守監督作は異色で面白かった
この映画で「タイムリープ」という言葉を知りました
東京国立館博物館もいい感じで舞台になります



若いころ観た映画で、未来を描いていたのに、もう既に過去になっているのも多数あります

「ブレードランナー」
2019年のロサンゼルス、うどんは二つで十分です(これ知ってるヒト少なくなりました)

「ターミネーター」
「審判の日」は1997年8月29日です

「バック・トゥ・ザ・フューチャー」
デロリアンが行った未来は2015年でした

「ニューヨーク1997」
アーネスト・ボーグナインがびっくりするような役で出演してます
続編はロサンゼルスだったような

「2001年宇宙の旅」
当然、続編の2010年も過去です


かんべむさし氏の講演に関する作品は、
「決戦・日本シリーズ」「上ヶ原爆笑大学」「默せし君よ」でした

「黙せよ君よ」は、絶版と嘆いておられました

同氏は、noteにアカウントお持ちでした
軽快な文章で、面白い内容でした(是非、お読みください)
北杜夫さんの想い出の項は興味深かったです、時代はズレますが同じように、マンボウ青春記を夢中で読んだ記憶があり、懐かしい時間です
仙台に単身していたとき、同作で登場した下宿や公園を見に行きました
「仙台文学館」に北杜夫さんや向田邦子さん等、仙台ゆかりの作家に関係する場所の地図が展示してありました(今あるかどうかは知りません)





この記事が参加している募集