「みんなそうだよ」だから我慢する社会ではなく、「あなたは嫌なんだね」って認められる社会に


「みんなそうだよ」その言葉の先には、「だからあなたもそのくらい我慢しなさい」がある。

でも、みんなが「やだなぁ」と感じていることなら、「それ、やめにしない?」「私は嫌だから、私にしないでね」って誰か言い出す人がいていいんじゃないの?って思う。

いじめを苦にした自殺などで、いじめた側が「嫌がっているとは思わなかった。ふざけてた」というようなコメントを耳にする度、胸が張り裂けそうになる。

女性への性暴力で、嫌がる女性を見て本当は喜んでいるんだろうと勝手に解釈する人に、怒りを感じる。

コミュニケーションは、「受け手がどうとらえるかである」と言われるけれど、私は今まで、「私は嫌なんです、苦痛なんです」が受け入れられたことは少ない気がする。

あなたは平気かもしれないけれど、人それぞれ感じ方や価値観は違うのだから、「私は嫌なんです」という気持ちを尊重してほしい。

食物アレルギーの人に、「栄養満点だから食べなさい」とは言わない。

足をケガした人に、「ジョギングは体にいいよ」なんて言わない。

だけど、心が傷ついてボロボロになっている人には、あなたの「良かれ」を押しつけてくる人がたくさんいる。

「みんなそうだから我慢しなさい」と受け手が我慢を強いられる社会ではなく、「〇〇さんは、~されたら嫌みたいだから気をつけようね」って社会にしたい。

手作りおやつ工房とさか
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