お母さんになって4ヶ月ちょっとが過ぎた。 ほんとは生後1ヶ月の時に記録がてら文章に残しておきたかったが、目の回るような忙しさでそれどころではなく、このタイミングに。 子どもが生まれても人生変わらないって人もいるだろうけど、私はまるっきり変わったほうの人だ。 何を考えるのも息子中心、息子優先の生活。でも、それが案外辛くなくて毎日可愛いと幸せで溢れている。新生児期を乗り越えたんやから、この後もなんとかなるやろという、根拠の薄い自信に満ちている。 4ヶ月検診で68.5センチ(
初めての妊婦生活で色んなことがあったため、忘れないように記録がてら残しておこうと思って書いている。 ほんと〜に妊娠、出産は個人差がありすぎるので、あくまで私の場合とだけ。 ・妊娠初期 タイミング法で通院していたので妊娠が分かったのは5週目の時だった。その頃は全く体調不良もなかった。6週くらいからおりものが増えて、食欲が2割くらい減り出した。仕事をして帰ってくると疲れてしまってソファで横になって、夫にほとんど家事をやってもらっていた。実際吐いたのは1度だったけど、オエオエが止
眠れなくて久しぶりに書くことにした。 不妊治療でなかなか授かれず、もう期待するのやめようと思っていた矢先、2023年10月中頃に妊娠が分かり、現在9ヶ月(34週終わりかけ)になっている。 来月には男児の母となる予定。 最初生理だと思い婦人科受診し、念のため検査薬をと言われ、どうせ陰性だろ、と思っていたら薄ら線があり、その1週間後にはくっきりとした2本線が入っていた。ほんとに嬉しかった。産婦人科の帰りに夫に泣きながら報告して、でもまだ薄いから分からん、出血もあるから張り止め
※写真は阪急とちいかわのコラボを大阪に行った時見つけた時のです。 私の生まれた地域は関西圏ではないのに、関西テレビが映る。 小学校4年生の頃に「ナイトスクープ解禁令」が出された。確か金曜の夜遅くだから、小4になったら夜更かしして観ても良い、ていうふんわりした決まり事が実家にあった気がする。 祖母と一緒に応接間のテレビ前に布団を敷いて、お菓子を食べながら観るナイトスクープはとても特別なものだった。 週に1回、金曜夜のお楽しみ。 今でも毎週とまではいかなくても観ている。 あんな
不妊治療の話。 ※写真は全く関係ないルーローハン。 タイミング法を初めて7ヶ月が経った。まだ子どもを授かれていない。 毎月生理が来るたびに落ち込んで泣いたりしていた。子どもの投稿をしんどいなって思った人はミュートした。 つくづく私は優しさの範囲がきっちり決まった心の狭い奴だなと思った。自分の知人は何も感じないのに、知り合いの知り合いレベルになると、snsの投稿を見るのがしんどくなる。 こんなにタイミングもバッチリで服薬も注射もしているのに、なんで私は妊娠できないのか。卵
自分に自信が持てて自己肯定感が高いな、と感じる人を見ると、自分とは真逆だなと思う。 自己肯定感を高めようとか言うのに、自分はからっきしないので言ってることとやってることが矛盾してるなと思う。 小さい頃(といっても中学生)は自分最強!敵なし!なんて思ってたけど高校生になって地元以外の地域を知って、全然ダメじゃんって思うようになった。 習い事で怒られてばっかりだったけど、中学までは勉強ができたほうだったので、そこだけは家族にも褒められていた。 井の中の蛙大海を知って、私の勉強がで
猫舌なのにせっかちで食い意地が張ってるからよく口の中を火傷する。 酷暑にやられて毎日こんな暑さの中外にいたら死ぬなって肌で感じる。 人間、頑張って生きてるなって。 何故か急に二重がなくなってしまい、アイプチをしたのに瞼の重さが勝って、左右非対称の顔で1日過ごした。 相変わらず妊娠してなくて妊活を続けている。そろそろ授かりたいねー。 美容医療受けたいけど値段の高さで足踏みしてる。8,000兆円ほしい。 去年からカラコンに手を出したのだけど、ナチュラルかつ絶対盛れるので
※妊娠や不妊の話です。苦手な方は回れ右してください。🙏 「赤ちゃんって授かりものやから」 ってみんな言う。それを聞いて「授かりもの??することしたらできるものじゃないの??おかしいでしょ。。」て思ってた。 私が不妊体質って知るまでは。 今まで初潮がきてから、生理痛で服薬したことは数えるくらいしかないし、生理不順だと思ったこともなかった。毎月必ず生理はきていた。 ピルを通算3年間服用してた時期もあったので、挙式とハネムーンが終わって、さあ子作りだ!てなった時「すぐ赤ちゃん
物心ついた保育園児の頃から寝ることが苦手だと思っていた。 母も私が赤ちゃんの頃寝なくて大変だったとよく話していたし、今27歳だけど寝つき悪いし眠りは浅い。 一生付き合っていくものなのかなと思っている。 保育園児の私は死ぬってどういうことだろうと考えまくっていた時期があった。 寝ている間にお母さんが死んでしまったらどうしよう、死んだらどうなるのだろう、と小さい脳みそで考えて考えてして、なかなか眠れなかった。 そして寝たら高確率で怖い夢を見るし、そりゃ夜が嫌になるよな。小さい
1日の終わりに良かったこと嬉しかったことを思い出すようにしている。 ふと気づいたら、ほとんどが食べ物のことだ。 「あれ買って嬉しい」「久しぶりにこれ食べて美味しかった」とか。 ほんと食べることが好きなんやなあと思う。 でも幼少期の私は食べることが好きじゃなくて、しかも少食だったからめちゃくちゃガリガリだった。後から父より「湯はあの頃心配するくらい細かったなあ。」と言われたことがある。 回転寿司に行っても鉄火巻きとカッパ巻きの無限ループをする小学生だった。 多分中学生に
私の人生の運勢に点をつけるとしたら、恋愛運だけは9.5/10点をつける。 絶対に高得点だと思う。なぜなら夫と結婚できたから。 それくらい私の人生において夫と出会えたことは、生きていてよかったことナンバーワンなのだ。 夫と付き合い始めたのは18歳のとき。今年で10年目になる。高校生の頃、私は長期間特定の人と付き合えると思ってなかった。でも当時夫と付き合い始めた私は「あ、私、この人と結婚するわ。」となんとなく思ったのだ。 この話は誰も信じてくれないけど。。 1度別れて再
大阪城ホールのライブを観に行ってから、カネコアヤノ熱が冷めるところを知らない。 愛が止まらない。 なのでカネコアヤノについて思ったこと感じたことを書く。 1番最初にカネコアヤノの音楽を聞いたのは、大学生で県外で1人暮らしをしていて、長期休みで実家に帰っていたときだった。 NHK四国で、私のような実家に帰ってきた県外在住者向けのCM?メッセージ?だった。歌自体は1分半くらい。 「おかえりはいつでも愛のドアを開ける まだ甘えてもいいかな」 という歌詞が初めて聞いたときにすご
日記を書こう書こうと思っていて、でも全然続かなくて。 私は誰かに気持ちを知ってもらいたいから、こういうのに書いていくのがいいんかなと思った。 Twitterじゃ書ききれないし。 理解されたいとかじゃなくて目に入れてほしいって、感覚。 日記を書いてるとどんどんネガティブな内容になってしまうのも直したいけど、無理して前向きなこと書くのもやだなあ〜って思ってる。 頭の中でずっと喋ってることを文字にできたらいいな。