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【読書】 ともえ 諸田玲子

  現より幻のほうが真実であることも、ときにはあるからだ。

分かち合う。

それがたとえ、喜びでも、悲しみでも、人は何かを分かち合わずにはいられない生き物らしい。

でも、分かち合うのが、誰とでもいいというわけにも、人はいかない

『ともえ』は晩年の松尾芭蕉と、尼の、恋とは言い難い、因果な絆を紡いでゆくお話。二人の背景には、源氏の武将だった木曾義仲と、義仲に連れ添った巴の魂が絡み合う物語。

史実を彩る、著名な人々が、華やかなるおとぎ話の上に、誰にも理解されない孤独や葛藤を抱えながら、「何かを分かち合おう」と必死に生きる。

そんな魂の逢瀬を描いた作品です。


あらすじ

 一六八八年(貞享五年)、時は江戸時代。土地は大津の義仲寺。50を超えた尼の智(とも)は、義仲碑に寄り添うように建てられた、巴御前の塚に詣でることを習慣にしていた。
 そこへ、義仲の墓参りへ訪れた芭蕉と智は出会う。二人は初対面にも拘わらずお互いにひかれあってゆく。物語は転じて寿永三年(平安時代から鎌倉時代に変わる)。源頼朝に討ち果たされた義仲と分かれ、頼朝の娘の婿である、息子の義高救出へと、鎌倉へ向かっていた。
 和田義盛の助力を得て、息子を逃がそうとするが、なす術もなく義高は殺されてしまった。希望を失った巴に和田は跡継ぎとなる、男児を生んでほしいと懇願する。しかし、流産となり、その義盛も執権北条に追われ討ち果たされる。全てに破れた巴は義仲が果てた近江の地を目指す。
 智は自分の境遇を巴御前に重ねていく。宮中で帝の子を授かった智だったが、帝が幕府により暗殺を企てられていたために、生まれた息子は智の弟として、帝が崩御するまで、離れて育てられた。
 互いに愛する男を失い、それでも人生はおいそれと終わってはくれなかったのだ。巴は尼の姿で智の前に姿を見せ語らう。500年の時を経て、義仲寺を詣でていた。
義仲を慕う芭蕉と巴はひかれ、近づいて行くが、芭蕉が病に倒れ亡くなる。芭蕉の墓が義仲の碑のすぐそばに立ち並び、巴と智は愛する男たちの魂を慰め続けるのであった。


見ることも触れることも

ほんとうに知りたいこと以外は、見てもみえない、聞いても聞こえない。そういうものだ。ならば反対に、見えないものが見えたり、聞こえないものが聞こえたとしても、ふしぎはないのかもしれない。

 

人は見たいように見て、聞きたいように聞く。という使い古された表現が、引用文では「ほんとうに」という形で昇華されていることに驚きました。

その通りだなと感じます。

同じものを見たり聞いたりしながら、人によって受け取るものは全く異なる。そのなかの様々な事柄に、僕たちは意味を付けている。

すると、「見えないものも見えるのではないか」という諸田さんの言葉には不思議と納得できるものがあります。

魂の在処

路傍の髑髏はただの物、魂は別のところにあります。そうおもえば、寂しくはないでしょう。

「孤独死」それは現代の日本にもある。500年前は、道の途中に死が転がっていた。500年、いやそれより前から「死」について、人は心を悩ませていた。でも、未だに確かな答えがない、、

「未知」だからこそ、答えは幾通りもあるのではないかと感じます。

もし魂から、心からの願いから目を背けて死んでしまったら。きっと、家族に看取られていようが、惜しまれながらいきを引き取ろうが、満たされぬまま。心境は路傍の髑髏と変わらない。

そんなメッセージを受け取っているような気がするのです。

修羅~まとめ~

木曾義仲とは、平安時代、源頼朝の武将として戦った武士でした。味方に裏切られ、最後は路傍に果てた人。その義仲を慕い続けた巴。二人の歩んだ道は修羅の道でした。

それを偲ぶ、松尾芭蕉。「奥の細道」を完成させるため、過酷な旅を敢行した、俳諧の修羅のような人。芭蕉に好意を寄せる智は、宮中にて暗殺された帝の男児を生むという、修羅を生きている。

両者の魂は、平安の世でも、江戸の世でも、激動の渦中に巻き込まれてゆく。そこが、『ともえ』の見どころなのだと思います。

そんな孤独な魂たちが、必死に結びつこうと、何かを探し求める。

探しもとめている途中に、同じく、何かを探し求めている、孤独な魂に出会う。魂の出会いと別れ。それこそが、本作の主題なのだと思いました。


しかし、真の見どころは、「転生」というようなテーマではないように思います。

ただひたすらに、己の魂の在処を求めて彷徨う人の姿。儚く脆い、人間という生き物を描いているのだと思うのです。









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紬糸
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