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精神疾患差別の土壌

ある方のブログを読んだとき、心が痛みました。

「精神疾患の理解が深まった社会になって欲しい」

という一心で、いてもたってもいられず記事を書くことにしました。


そのブログの方が結婚したそうですが、そのときに、結婚したことを伝えるハガキを知り合いに送ったそうです。しかし、今まで色んなことを祝ってもらっていた60代の独身の女の人からは何の返事もなかったそうです。

いつ会っても感じのいい女性で「そういう人生がいい人なのだ」と思い込んでいたそうです。返事がなかったときに少し落ち込んだそうです。

++++以下要約抜粋++++

「子供」という欲しいものが手に入らない人に、
剣を突き立てたに等しく自分のやったことは端的に残酷だったのだろう。

順調に見えたのに、結婚できずに年齢を重ねるごとに
奇妙に狂いだした人をみたこともある。

自分が他人にそんな思いをさせるようになったら、
それこそ目も当てられない。

++++要約抜粋終わり++++

このブログを読んだとき、心が痛みました。

感じが良いから「そういう人生がいい人なのだ」と思っていた

って、申し訳ありません、それって偏見ではないでしょうか。

うつ病の(私の)妻は「感じの良い人」としてトップクラスですが、
もしそうやって「そういう人生がいい人なのだ」と決めつけられると、
奇妙に狂い出すのが目に見えています。
(重要なポイントなのですが、何が言いたいか分かりますか?)

自分がやったことを残酷だったと言いながらも、

挙句の果てには

その60代の独身の女性の心情を

「その人は嫉妬に突き動かされている」


だの

「自由を謳歌すると平等とは両立できない」

だの、

気取った言葉で無邪気に攻撃している姿を見て、心が痛みました。
(攻撃の自覚がないので余計に厄介)

自分が他人にそんな思いをさせるようになったら、
それこそ目も当てられない。

という言語表現から

「人様に迷惑をかけるな」


という世間信仰を感じ取りました。


そして「奇妙な狂い」という表現から、

実は何も分かっていない(のに、何かを分かっている風に装いたい)

ことが読み取れます。

実際のところ「奇妙に狂っている」という表現はズレています。
正確には


真の絶望(精神疾患発症の種)

ということですね。


真に絶望している人に対して「奇妙に狂ってる」と無邪気に言い放つと、
それこそ奇妙に狂ってしまいますね。



こうやって、精神疾患差別の土壌がまた醸成されてしまいました。

精神疾患の理解が深まった社会になればいいな、といつも願っています。