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「白か黒か」決められない件 イギリスのEU離脱

▼ここ二、三日続けて「白か黒か」決められないシリーズを書いているが、

きょうはイギリスのEU離脱について。「週刊東洋経済」2019年2月23日号。オックスフォード大学教授の苅谷剛彦氏のコラムから。

余談だが、苅谷氏は名著『知的複眼思考法』の著者である。

▼見出しは〈優先すべきは国の形か、経済か〉。

イギリスのEU離脱をテーマに、具体的に何を論じているかというと、「合意なき離脱」ではなく、「憲法」である。

▼切れ味鋭い論理的な思考で知られる苅谷氏が、イギリスのEU離脱をめぐって「どうしても理解できない」ことがあったという。適宜改行。

■なぜ、もう一回、国民投票しないのか?

〈現地では、高まるリスクを受け、すでにいくつかの大企業が合意なき離脱を前提とした行動を始めたと報じられている。大陸欧州への拠点の移転や雇用縮小などを決めた企業が現れるたびにニュースとなる。合意なき離脱の英国経済に与えるダメージが大きいことは、誰の目にも明らかだ。

 にもかかわらず、現地に住む私がどうしても理解できないのは、なぜ、国会で、2度目の国民投票をしてEU離脱の是非をもう一度国民に問おうという労働党の修正案が否決されたり、離脱を一時棚上げする案が否決されたりするのかである。経済へのダメージが国民の目にもこれだけはっきりしているのなら、再度国民投票をすれば、EU離脱という1回目の投票結果は覆るのではないかと思えたからだ。〉

▼これ、ニュースを読みながら、筆者も思ったことがある。「いま国民投票やったら、結果がひっくりかえるんじゃねえか?」と。そこで出てくるのが、イギリスの「憲法」だ。

■なぜなら、民主主義の伝統が崩れるから

〈この「なぜ」に答えたのが、1月21日の首相演説であった。「2度目の国民投票は、われわれが国民投票をいかに取り扱っていくかということに対し、困難な前例を作り出してしまう。そればかりでなく、連合王国の統合をバラバラにしようとする政治勢力に手を貸すことになってしまう」というのだ。カギとなるのは、「困難な前例」を作ることへの懸念である。

 法律や政治の専門家ではない、しかも日本人の私にわかりにくかったのは、英国が、このような国会での立法や「習律」(法律ではないが、慣例として国家の運営に使われるルール)といった前例の集大成を「憲法」として、民主主義を作り出してきた国だからである。成文法の憲法ではない。前例を積み上げてきたルールの複合体が憲法と見なされてきたのである。

 だとすれば、国民投票をどのように扱うか、国会での決議とどのように関係づけるかは、その対応のいかんによって、英国の将来の民主主義のあり方を縛ることになる。首相の懸念はそこにあるというのだ。

 しかも新たな前例は、連合王国からの離脱をちらつかせるスコットランドなどの独立をめぐる国民投票の扱いにも関係してくる。

 愚直にさえ見える首相のかたくなさとそれがもたらす困難は、こうしたこの国の歴史に根差すものといえる。経済を優先し、ときに民主主義の原則などかなぐり捨てているように見えるどこかの国とは大違いである。目先の経済が先か、国の形を守ることが先か。この老獪(ろうかい)な国の出来事が示唆する問題の根は深い。〉

▼たしかに深い。これまでの民主主義の伝統が崩れるから、国民投票のやり直しはしないわけだ。金儲けよりも目に見えない「掟」を重んじて、守ろうとするものを、何と表現すべきか。それは日本語でいう「国体」に近いのかもしれない。

このイギリスの価値観は、「憲法改正」で名を残そうとしている安倍晋三氏が総理大臣をしている日本の民主主義観とは、かなり異なる。

▼この問題では、そもそも、なにが「白」で、なにが「黒」になるのかがわからない。「白か黒か」の唯一の利点は、そういう判断基準では何もわからないし、捉えられない、ということがわかる点だ。

(2019年2月26日)

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