「共生」は「格差」に鈍感な件(1)「共生」は官製標語
▼日本という国家は、依然として「移民」を否定しているとてもおかしな国だが、日本という社会のほうは、そんな悠長なことを言っていられる状況ではない。
「ジャーナリズム」の2019年5月号に、樋口直人氏が移民論を寄せていた。これが鋭い内容だった。適宜改行。
▼樋口氏は「共生」という言葉を吟味(ぎんみ)することによって、「共生」という言葉に共感する人に対して、共生とは何ですかと問いかける。
〈(移民恐怖症がはびこっているなかで)管理より共生を基調とすべきという野党やリベラル派メディアの主張は、唯一の前向きな論点といえなくもない。
しかし、多文化共生は20年以上前から自治体が、10年以上前から総務省が奉じる官製標語でもある。つまり、技能実習生に対する労働搾取としか呼びようのない状況は、共生の掛け声と並行して生み出された。
共生は技能実習の問題解決に無力だったわけで、共生という言葉の響きの良さに思考を停止しているのではないか。〉
▼この前提が、すでに鋭い。樋口氏はこの眼でもって、まず日本政府の発することばを吟味するところから切り込む。
〈日本政府の「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」では、「共生」が35回登場するのに対して、「管理」は49回も使われている。「入国管理局」といった組織名が含まれているとはいえ、「共生」ではなく「管理」重視の対応策といわれても仕方ない。(中略)
特定技能1号の対象となる14分野は、待遇が悪いから人手不足になるのであり、そうした仕事に移民をしばりつけることを管理という。
しかし、移民は意に沿わない仕事でも受け入れ続けるロボットではなく、機会があれば管理の目をかいくぐろうとする。
期間5年で転職不可という厳しい管理体制下にある技能実習生ですら、劣悪な労働条件から逃れて「失踪」する例が後を絶たない。
特定技能で入国する移民たちも、日本での就労に慣れれば自らの待遇がよくないことを理解し、もっとよい仕事を求めて14分野以外にも進出していくだろう。(中略)
移民は、よりよい就労機会を求めて国境を超える存在であり、その能動性を認めず管理しようとする政策は往々にして失敗する。むしろ、移民の潜在能力を伸ばすような方策を考えるべきだが、特定技能をめぐってそうした積極的な提案がなされることはなかった。〉
▼〈移民は、よりよい就労機会を求めて国境を超える存在であり、その能動性を認めず管理しようとする政策は往々にして失敗する〉という一文などは、言われてみれば当たり前のことなのだが、だからといって当たり前のことを言う人は少ないものだ。(つづく)
(2019年6月20日)