season7-3幕 黒影紳士 〜「手向菊の水光線」〜🎩第四章 光の導くままに
第四章 光の導くままに
「大体ね、先輩が湖を恥ずかしがって囲むから、余計に何があったか分からないじゃないですか」
と、サダノブが言った。
「……そうだ。だからやはり、僕が湖を囲む前に沈めたんだ」
黒影は皆んなが黒影と白雪のデートを見てやろうとしていた事を思い出し、時間を絞って行く。
「だぁ〜かぁ〜らぁ〜!そうじゃ無くて、中で犯人が何をしていたかが見えなかったって話しです」
と、サダノブが言うのだ。
「何故、中と限定する?」
黒影は不思議に思い聞いた。
「何故って……全部監視カメラを観ても映っていませんから。先輩が影で見えなくしちゃった後、暇だから確認しましたもん。昨日から先輩が影を張る迄の間の記録」
と、サダノブが言うのだ。
黒影はある事に引っ掛かり……
「なぁ、サダノブ。勝手に忙しいからと外注を出して良いと、誰が言った?」
と、聞くのだ。
サダノブは一瞬ぎくりとし、
「だって菊の庭探しに、監視カメラ映像……先輩の押し付け過ぎがいけないんです!俺だって人間なんですからねっ!……外注じゃないですよ。穂さんが今日は遅くなるのか心配していたから、メールで返したんです。そうしたら今日は「たすかーる」の店の方は平和で暇だから、少し手伝うって……だから……その……折角だし……とか……まあ……ねぇ?」
サダノブは語尾をごにゃごにゃいって誤魔化すのだ。
「人ねぇ……ポチだと思っていたが。まぁ、穂さんなら情報漏洩の心配は無い。構わない…………が!……後で、良い日本酒持たせるから、夫婦で水入らずでもしておけ」
と、黒影は言ってまた湖を見詰めた。
「優しいんだなぁ〜結局」
「五月蝿い!」
そんな会話をしてみるも、黒影の興味は二つに在った。
一つは、底にあった錘、二つ目は監視カメラに映らない時間である。
「……そうだ、先輩!」
「何だ、五月蝿い!耳元で叫ぶなと何回言えば……」
サダノブの思いつきの大声に、黒影は思わず耳を塞ぎ苦虫を噛み潰した様な顔をした。
「さっき、先輩を助ける前に一隻のダックちゃんボートとすれ違ったんですよ」
と、サダノブが今更言うではないか。
「何だと!?其奴が限り無く犯人に近いじゃないか!何故さっさと言わないんだ!」
黒影は犯人をみすみす取り逃した事に気付き、そう言って悔しいのか下唇に人差し指を当て、トントンと軽い苛立ちを見せる。
「だって先輩、溺れ掛かっていたじゃないですか。……其れに心配しなくても監視カメラか青龍の野朗がはっきり顔を見ていますよ」
と、気にしなくても……と、言わんばかりだ。
「何を暢気な事を。良いか?ザインの目の前を通過させるぐらいなら、ザインに捕まえる様一言言えば良いだけの話しじゃないか。また調べて探すなんて、手間を増やして……」
黒影は顔を掌を広げ隠して呆れたが、その間からジロりと真っ赤な瞳を覗かせサダノブを睨む。
「ちっ、違……。俺は先輩の為にって!ザインだって早く先輩の所へ行けって急かしたんですよ。青龍の野朗が悪いんです!営業妨害ですって!」
と、サダノブはおっかないので、見苦しい言い訳を披露する訳である。
「全く……。……で?ザインは見たか?」
黒影はならばとザインがしかと見た筈だと確認した。
「敵意が無い奴等一々気にしない。大体その犬っころがトロいから、俺が龍を放つ羽目になった。そんな時に視界はシールドと水の青龍で見える訳が無い。俺の所為では断じて無い」
ザイン曰く、サダノブがトロいから悪いと言う見解らしい。
「ほら見た事か。二人が何時迄も仲違いしているから、いざと言う時のチームプレイを掻き乱す!」
黒影は態と二人に聞こえる様に言って、背を向ける。
助けようとしてくれた……その気持ちに変わりはないのに……。
黒影は何とも複雑な気持ちになり乍らも、停泊しているダックちゃんボートを一台一台、中を覗き込み確認する。
「しまった……」
黒影はある一隻の中に紙袋があるのを見て言った。
足元に置かれた開いた紙袋の中に見えたのは、フード付きのパーカーとマフラーだ。
着替えられてしまった。
もう、服装の特徴は追えない。全ての監視カメラの画像がら人物の顔を拡大し、行動を追わなくてはならなくなったのだ。
12箇所、10秒……全てで2分。
監視カメラとしては十分に感じるかも知れない。
然し、逆に言えば、1分50秒の映らない空白があるのだ。
そこで着替えられたとすると、移動出来る距離を考え人物を推測しなくてはならない。
そしてこの定点監視カメラには弱点がある。一点から時計の様に、隣りの画像へと切り替わり録画する。
詰まり、犯人「も」黒影達と同様に、監視カメラの動きを知っており、追い掛けっこの様に、先へ先へと周回すれば映らない。
「監視カメラには弱点があり過ぎる。如何せんサダノブとその謎の人物が接近した時も、映ってやしないよ」
と、黒影は詰まらなそうに言った。
「黒影……目覚めるぞ……」
ザインはそう言うなり青龍を巻き込み大剣を鞘に納めると、ガードシールド毎また天空へ、水の渦となり消えて行く。
「風柳さん!湖の底に沈まされたと思われる男性を一名、此方で救助しました。此方の無線で既に救急車の手配はしてあります。ザインがいたので恐らく治癒も完璧だ。僕等は気になる不審人物を追いたい。至急、此方側に何人か寄越して下さい」
黒影は風柳に応援を頼んだ。
「僕は風柳さんに、これは連続殺人である可能性を説明しなくてはならない。サダノブ!犯人らしき人物を見たのはお前だけだ。逃げた方角は分かるか?」
「……ええ、確か2時の方角……」
と、サダノブは少し思い返して答える。
「曖昧だなぁ。……まぁ、良い。白雪!聞こえるか?」
黒影は白雪に話しかけた。
警察無線を風柳と聞いているのは分かっている。
何故なら警察無線も夢探偵社で傍受しているからだ。
「白梟になって2時の方角に逃げた人物を上空から探してくれないか。後、風柳さんに何人かその方角から外に出ない様に封鎖して欲しいと伝えてくれ」
と、言うのだ。
風柳が連れている警察関係者は、能力者犯罪特殊対策課なので、夢探偵社の能力に感じては特に気にする者はいない。
夢探偵社は能力者犯罪に特化した、民間であるにも関わらず、業界No.1の探偵社である。
黒影が元より、その能力を警察内で極秘裏に使っていた為、同じ警察出扱いで、現在は能力犯罪者を共に上げる事は日常茶飯事だ。
民間に逃げられた為、署長からすれば領収書が嵩むのだけは頭が痛い様だが、夢探偵社からすれば警察も顧客に過ぎない。
「風柳だ。聞いていた。……全く、警察無線は黒影のトコの無線じゃ無いんだぞ。あまり人数がまだ初動で揃っていない」
風柳は呆れ乍らも何時もの事なので、人数の事について話す。
「……そう……ですか。顔が分かりませんし、着替えた様でしてね。此方もやれるだけやってみます。……で、誰でも良いんですがね。僕のコートと帽子……あのダックちゃんボートから回収して貰えませんか。寒くて……はっ、はっくしょん!」
黒影は回復したとは言えびしょ濡れである。
最後に嚔をして身震いさせた。
「サダノブ、僕はそう言う訳だから、犯人らしき人物を探して来い!犬の嗅覚の方が使えそうだ」
と、黒影はその場に蹲み込み、少しでも風に当たる面積を小さくしようと無駄な足掻きをするのだ。
「……先輩、ナイーブは仕方無いとして免疫力上げないと。風邪ですね、完全に。じゃ、代わりにサダノブ選手……行って来まーす!」
と、サダノブは前傾姿勢を取ると、一気に走り出した。
「ふんっ、自分が取り逃したんだろうが」
黒影はそんな悪態を吐き乍も、サダノブからの無線連絡を待つ事にした。
サダノブは犯人が逃げた方向へ向かう。
通常の人間より、より速く追い付きたい。
犬の遠吠えを上げ、バク転し二匹の狛犬の姿、阿行と吽行に化ける。捜索には持って来いの小回りの効く姿ではあるが、此れでは足が短い為スピードが出ない。
更に二体をくるりとジャンプし打つかると光りを上げ、一体の大きな野犬に姿を変える。
目が金色でギラつく、黒と茶の大きな犬。
本来の狛犬の力と、サダノブの野生的な力が融合された姿である。
威力も速さも此方が勝るが、守護では無く交戦的な性格とも言える。
この姿を黒影は「ケルベロス」と巫山戯て呼んだ。
……此の姿ならば逃しはしないっ!
サダノブは湖周辺の草や枝をへし折る勢いで走った。
その途中で、またもや袋を見つける。
中は何も入っていない。
……今度は何かを羽織ったのか!全く姿が違う!
犯人は元よりこの湖に詳しく、計画的に犯行に及んだ事だけは明白であった。
更に走って行った時、サダノブは唖然とした。
……まさか……この中に……?!
サダノブの金色の目に入って来たのは湖の外周を取り囲む様に一周して併設された、サイクリングロードであった。
自転車で逃げたに違いない。
サダノブは辺りを見渡すが、その日は天候も良く数人のサイクリングを楽しむ人々がいる為、特定出来ない。
天候まで味方につけるなんて……。
元より、今日が晴天だからこそ、犯行に及んだのかも知れなかった。
サダノブは大きな遠吠えを上げバク転し、姿を戻す。
犬の姿では話せない。
黒影に指示を仰ぐしかなかった。
「……分かった。お疲れさん。丁度今、警察無線で捨てられたサイクリングのレンタル自転車が見付かったようだ。此処のレンタル自転車はコインを入れてロックが外れる簡易的なものだ。投げ捨てた先には道路。車かバイクで逃げられたら、もう追えない。……中々に計算高いか何日も前から企んでいたんだろうな。今は二人殺せば死刑って事もある。……犯人の執念の勝ちだ」
と、黒影はサダノブに言う。
「……でもそれじゃあ……」
サダノブは取り逃したバツの悪さも相俟って、黒影が落ち込んで言っているのでは無いかと気にする。
「そうだ。……僕等はその執念に勝つしか無い」
黒影のその言葉に、サダノブは安堵した。
相手の執念に臆する事等、黒影には無いのだ。
もっと……執念を持って、捕まえれば良い。
黒影にとっては、其れだけの事。
其れだけの事が……今日、取り逃がしてしまった自分の勇気になる。
黒影はその後、全無線に犯人らしき不審人物の追跡が途切れた事を報告した。
――――――――
君は希望を持って
この見知らぬ地へと飛び込んだ
その頃の君の瞳には
絶望の中にも小さな希望が見えていた気もするのだ
人が本当に絶望する瞬間と言うものは
知らなかった事に気付いた時など無いと思い知らされた
この世の一番の絶望は
一番幸福を感じる時に
絶望を知ってしまう事なのかも知れない
濁って行く君の心に反し
瞳はみるみる澄んで
この世の物では無いのかとさえ想える程に美しい
その機能を無くし
青く薄く……
さぁ、行こう……
時を止めに……
「時泥棒」
――――――
「黒影が助けた男な。さっき病院側の許可も下りて、今事情聴取に入った頃だ」
夢探偵社の事務所も併設している、風柳邸のリビングで先に疲れを癒していた黒影、白雪、サダノブに、帰って来た風柳が言った。
「彼は心中相手等では有りません」
黒影はそう言い乍ら、少し濡れてしまったコートや帽子にブラシを当て、乾かす様に空きの椅子に掛ける。
白雪が一人あのダックちゃんボートを黒影にコートと帽子を渡そうと、四苦八苦して漕いでいた姿を思い出すだけで、黒影は可愛らしくて思わず微笑みたくなった。
「で?サダノブ……菊の花がある場所、見付かったか?」
白雪からドライヤーを受け取り、帽子の内側を乾かして、黒影がサダノブに聞く。
何時もならばとっくに調べはついている筈なのに、今日は妙に静かだ。
「……其れが……未だなんですよ。花を栽培している業者や流通を探しても、あれ程迄の多種多様な種類を揃えている所が無くて。あるとしたら、一番からの買うぐらい。けど、花屋意外でそんなに大量に買った人物なんて、誰も思い出せないって。……市場の関係者や客は、ある程度見知った仲ですからね。新参者が来たら直ぐに分かった筈なんです。……もし、あるとしたら、元から花の売買の大口取り引きをしていたんじゃないかって。穂さんと必死に上空から探したんですよ?」
と、サダノブはそれ以外には、何とも言えないと言いたそうな口振りではないか。
「なぁ……甘いよ。上空じゃなきゃ、地上だ。言われたままを調べて結果を述べない。可能性を全て消してから報告しなさい」
黒影はそう言ったが口調は強くは無く、逆に優しかった。此れも探偵の一つの教えであると、サダノブは感じた。
黒影はサダノブがそんな風に考えている事もお構い無しに、白雪の作った愛情たっぷり珈琲に、今日も舌鼓を打っている。
「そんなに、あれやこれやと違うと言うのなら、ちゃんと分かるように話しなさい。一応、警察側はクライアントなんだ。義務を果たしなさい」
と、知っている様で黙っている黒影に痺れを切らした風柳が言った。
「出し惜しみしている訳ではありません。勿論、クライアントには必要な情報を開示しても良い。けれど、其れは悪魔でも正しい情報のみです。少しでも正しくない可能性が含まれるのならば、我が社の信用に傷が付く。情報が足りないのですよ、風柳さん。……特に、被害者、沈められた男や、周りの関係性について僕は知りたい。此方でも調べられますが、調べないのは警察が既に調べているのに、二重苦労をする必要は無いと言う判断の上です。一つの事件を解決したい気持ちは同じ。ならば、此処は協力していかなくちゃね?……一応、前科が無いのは此方で調査済みです。ただ、被害者が数年間、スイスへ行かれた様ですね。確か最新の医療を受けるとかで?……その辺の人間関係や経緯を詳しく知りたいのですよ」
と、黒影は風柳に素直に話した。
大まかな調べは夢探偵社の膨大なデータとFBIのデータで事足りる。
然し、細部迄となると、足で稼ぐ警察の方が調べ易い。
此の特性と出来る事や苦手を補って、調査しようと言っているのだ。
◎被害者
式田 揺波(しきた ゆらは)
小さい頃から病弱で、高校生の頃から原因不明の病に侵される。大学へは進学したが、その病が原因で大学は休みがちであった。
◎沈められ掛けた男
式田 暁春(しきた としはる)
小さい頃から被害者とは学校も同じで親しかったと思われる。式田 揺波の従兄弟に当たる。
身体が弱かった式田 揺波に、親身になって付き添っていたのが近所でも多数確認されている。
◎サイクリング自転車で逃亡した人物
…………未だ見付からず。
此処まで風柳が情報共有すると言った。
「被害者の式田 揺波だがね……去年、思い切って大学を休学し、一年スイスへ赴いている。友人に聞くと、母も父も早くに無くし、式田 暁春がさして年齢もあまり変わらないのに、親代わりの様なものだったと皆、口を揃えて言う。朝から晩までアルバイトをして、それでもスイスに連れて言ったのは最先端の医学で、式田 揺波の病が治るかも知れないと一類の希望を持ったかららしい。奨学金で大学を受け、休学すればそれも難しとは考えていたらしいが、従兄弟想いの優しい人物の様だ。……だからこそ、二人の関係に何かあったのでは無いかと我々は最後迄疑うけどな。こっち(警察)は疑うのが仕事みたいなもんだ。……男女の友情なんて、信じる程若くはないよ」
などと、言うのだ。
「何を言っているんです、気だけは若い癖に。」
と、黒影はそう言って微笑んだ。
兄に、少しでも若々しくいて欲しかったからかも知れない。
体力は滅法ある方だとは言え、刑事としてはそれなりの年齢になって来た。
何よりも刑事と言う仕事に実直で、黒影や白雪まで育ててくれたのだ。出来る限り、刑事でいさせてやりたいと弟ながらに思ってしまう。
「では、海外で…スイスでしたね。スイスで治療中だった頃の交友関係、恋人等はいませんでしたか?」
黒影は被害者が若く見目美しい女性であった事から、恋人の一人や二人いても可怪しくはないと考えている。
「……それが、居ないから不思議だ。担当医にも聞いたが、不治の病で其れどころでは無かったのだろうって。かなり全身の関節の痛みや痺れに毎日苛まれていたらしいからな。若くて綺麗と言っても……其れじゃあ人生も楽しめない。哀れな話しだよ」
と、風柳は被害者の人生を想像したのか、悲壮さを顔に浮かべ答えた。
「其の医師と言うのは?」
「日本にいた難病専門の担当医だ。日本に医者はいれども、難病を診断出来る「難病指定医」は未だ少ないからね。何軒かアポイントを取ったら、直ぐに見付け出せたよ。その「難病指定医」ですら、「難病指定」になっていないと言うだけの病気だとは思えなかったそうだ。世界で数%あるか無いかの病気さえ把握して新しい情報を共有しているのにも関わらず。式田 揺波の訴える痛みの原因は神経、または本人が気が付かない別の場所に原因がある、ペインクリニックの範中だと最初は思ったそうだ。勿論、式田 揺波は其れを聞いて、神経内科やペインクリニックにも行ったが痛みが増すばかり。医師は余りの痛みの進行の速さに、只事では無いと感じたらしい。脳の伝達、若しくは脳そのもの、免疫の攻撃を考え、調べる時間の余地は無しと判断し、最先端医療を受ける様に、高い費用は掛かるが、命には変えられないとスイスへ医療用体制を組み、向かわせたそうだ。」
風柳は、事の流れを黒影に説明した。
「……時間があれば、原因は分かったかも知れない。だが、痛みが急速だったが為に渡航せざるを得ない状況。……ただの痛みでは無い。生活には支障が出るレベルだったのでしょうね」
黒影はそんな風に言うが、余り同情等は見せない。
「先輩は可哀想だと思わないんですか?」
サダノブが不思議がって聞いた。
「思うが、病は明日は我が身だ。……其れに想像してみたところで、恐らく健康な我々には式田 揺波の痛みの何億分の一も理解等出来やしない。だから理解しなくて良い。……大事なのは、その事実がどの様に彼女の人生を変えたかを考える事だ。式田 揺波が我々に同情してくれとでも、一言でも言ったか?……少なくとも、僕は聞いていない。……其れよりも、そこまでして苦しみと闘い生きてきたのに、何故殺されなければならなかったのか。我々が考えるのは無念無き様……安らかに眠って貰う事だけだ……。」
黒影はサダノブにそんな風に答えた。
一見冷たいが、きっと其れで合っている。
同情したところで、命が帰って来た試しなど、無いのだから。
サダノブは緑茶を啜り、逃した犯人の事を考えていた。
「……何処へ……逃げたんでしょうね?上空からも見当たらない。姿が丸っきり変わってしまったとは言え……」
取り逃して、今も見付からないのが煮え切らないのだ。
「仕方無い。きっと道路へ行き乗り物に乗ったのだろう。あの付近は渋滞している。何れか見分けは付かない。歩いてもいないのだから、歩行認証も使えない。……ただ、一つだけ言える事がある」
其の黒影の言葉に、サダノブの表情が一瞬明るくなる。
「……犯人は単独犯では無い!……そもそも、ダックちゃんボートに置いてあった袋が一人分の服だから勘違いするんだよ。あのボートに監視カメラの映像をジャック出来る様な危機類は無かった。なのに完璧に映らずに犯行を行うのはかなり難しい。……が、此れを簡単にする方法がある。其れは、もう一人共犯がいて、映像を確認して実行犯に教えていた。此れならば、安易に可能だ。更には犯行後、実行犯にまんまと我々は集中したが、其の間に何食わぬ顔をして共犯者は車に乗って悠々と実行犯を拾うだけで良かった。僕が思うに、この共犯者は元から車にいて、渋滞の事も予測出来た地元民である。更に、最初から最後まで車にいた。電力も取れるし、快適に実行犯に指示を出していた筈なんだ。僕の様にびしょ濡れにもならん。高みの見物とは些か腹立たしいがな」
と、黒影は如何にその共犯者が強かであるかを言った。
「電気が取れるなら、ある程度大きい車か知らん?」
白雪が想像し、黒影に聞いた。
「精々ワゴンぐらいは欲しいところだが、何せ観光地だ。家族連れのワゴン車も多い…。その手で追わない方が利口な様だな」
と、黒影は苦笑す。
「……と、なれば……後は菊を探すのみ……か」
風柳は遠回りだが、もっと足で稼ぐしかないと腹を括った時だ。
「……何を言っているんです?風柳さん。何か勘違いしている様なのではっきり言いますね。「あれだけの菊が無くなったのです」……良いですか?……大事な事だからもう一度言いますよ。「あんなに大量の菊が消滅したんです!手品でもあるまいに」……花を探すのではありません。花の在った「痕跡」を捜して欲しいと僕は言ったつもりです。以前に咲いていたが、今は無い場所を」
と、黒影は如何も進まない菊捜しに嫌気を感じてはっきり言った。
「えっ?そうなら早く言って下さいよ〜」
サダノブまで、勘違いしていた様だ。
「本当に僕が一から全部言わないと……全く……」
確かに己の指示の出し方も悪かったが、何年一緒にいても指示を鵜呑みにしてしまうこの二人に、頭が痛く感じなくも無い。
信じ切って貰えているのは嬉しいが、其れが時々重責にも感じなくもないのだよ。
黒影が大きな溜め息を一つ吐く。
だが、白雪が乾きたての帽子を、笑顔で巫山戯てふんわりと被せるのだ。
長年……変わらず頭の上にあった帽子。
今更新しい物を新調する気が失せる程に、しっくりと己の頭に馴染む。
代えの効かない物だ。
今更無理に変えようとなんて思わなくても良い。
そうだ。
此奴がいつも教えてくれた。
気楽にこう、「雨に唄えば」の陽気なステップを鳴らし言うのさ。
……変わらない物が……在っても良いじゃないか……と。
――――――
翌日、湖の底の泥を掻き出す勢いの大捜索が行われた。
「きっとご遺体の在った真下。沈められ掛けた式田 暁春さんの足に結ばれていた物。最低二つ。後は菊が特に浮いていた場所を重点的に捜して下さい」
黒影は、捜索隊に在った場所を指差し確認し、指示を出す。
「何で黒影が指示を出しているんだ?」
其れは流石に俺の仕事では無いかと、風柳が言った。
「先輩はこれから他の聞き込みが入っているんですよ。手短に済ませたいってところでしょうね」
と、サダノブはタブレットを開いて、今日の黒影の予定を見て答える。
「……そうか。別件なら仕方無い」
と、風柳は何処か物足りなさそうだったが、納得した様だ。
「だけど、先輩!風柳さんまで差し置いて、警察が一度した聞き込みをまた洗い出すなんて……」
サダノブは呆れ顔で、小声で言った。
「まさか当てにならないとは言えないだろう?署長の許可はとっているし、大丈夫だ!」
と、黒影は用意周到だと答え、社用車とは名ばかりのスポーツカーに乗り込む。
何時も白雪が座る筈の助手席に、何時も預けるのと変わらず、帽子とロングコートを軽く畳み置いた。
「あのぉ〜!白雪さんがいない時ぐらい……俺、助手席でも良くありません?」
サダノブは思わず言った。
「此処は白雪の席だ。仮に風柳さんが座っても、サダノブは未だ早い!」
そう言うなり、黒影はキーを回してエンジンを掛けた。
そして、助手席前にある収納のグローブボックスからサングラスの入ったクリアグラスケースを取り出し、中の透過性のある黒のサングラスを掛けるのだ。
「先輩、スタートダッシュ無しで!」
黒影の人格が運転で変貌したと思ったサダノブは、何時もGで首が後ろに持っていかれるのを奇遇して、先に忠告する。
「安心しろ。この辺一体は渋滞だ。幾ら俺でも木々をへし折って近道する程野暮じゃないよ」
と、一人称は見事に「俺」に様変わりしているが、スピード狂には成れないらしく、今日はパトランプの出番も無さそうだ。
サダノブは安堵に、肩の力を抜いた。
……が、それで黙って待てる黒影では無かった。
「こういう時は、光が導くままに……真っ直ぐ行けば良い!」
と、訳の分からない事を言い出したかと思うと、にやりと口角を上げ楽しそうに笑うと、ある方角をビシッと指差した。
……ある……道が……あるぅううーーーっ!!
サダノブは其れに気付くと同時にドア上のハンドルにしがみ付いた。
木々の間が真っ直ぐ僅かに空いているのだ。
つ、ま、り……
「真っ直ぐ行くが、横に行くぞ!」
と、黒影はさも楽しそうに言うと同時に、車体を横にさせ木々の間を木の葉を巻き上げ、擦り抜けて行くではないか。
ふらふらにらなったサダノブが意識を戻した頃、辺りを見渡すと、車体は渋滞の中で黒影はのんびりと缶珈琲を開けて飲んでいる。
先程迄見ていたのは夢か幻かと、サダノブは思ったが、良く見るとワイパーにあの舞い上がった葉が挟まっているでは無いか。
「先輩!また無茶苦茶な運転して!白雪さんに怒られますよ」
サダノブは頬を膨らませて言う。
「其の頬を膨らませて怒るの……白雪の癖が移ったな。良いじゃ無いか、公道では無いし、かなりショートカット出来た。これでも今日は急いでいるんだ。早く知りたいんだよ……式田家の事がね」
黒影はそう言って平静を装っていたが、サダノブには分かる。
ルームミラーに映ったサングラス越しの黒影の瞳が血の様に真っ赤に染まっている。
鳳凰の炎の瞳を宿したものとは、全く違う。
「真実の目」が、飢え始めたのだ。……それは即ち……真実に近付いている気配を、黒影自体が感じ取っているからであろう。
人間関係しか見えなかった式田家に何があるのか、サダノブも気にはなり先のテイルランプが並ぶ道の先を見詰めた。
黒影もまた、Windowを開け、肩肘をだらんと肘掛けの様に使うと、缶珈琲をまた一口飲んだが、視線は道の先にある。
……光が導く真実のままに……真っ直ぐ進めば良い……
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