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たった6粒のピノを選ぶ子どもなんて、
ピノは、何もわかっていない。
6粒。
たったの、6粒だ。
少なすぎる。
シンプルに足りない。
え? 6……粒? 「粒」ってなに。それアイスの単位じゃないのよ。
子どもって、ダイソンなわけ。
吸引力の変わらない、ただひとつのアイス欲。
アイスの価値=デカさだと信じて疑わないダイソンに、6粒はキツい。もはや風だ。吹いた瞬間消えていく刹那の味わいに、大切な100円は出せない。
ピノを選ぶ子どもなんて、人生2周目か、舌切りすずめで小さい方の箱をもらう優しいおじいさんの末裔だけに決まってる——
ずっと、ずっと、そう思っていた。
幼いころのわたしにとって、ピノは興味の対象外の存在だったのだ。
アイスといえば、とにかく容量のあるカップアイス。もしくはチョコの存在感が抜群のチョコモナカジャンボ。
味がおいしいことは認める。でも、だからこそ、6粒の悲しみが激しく自分を襲うのだ。子どもにはあまりにも、需要とミスマッチしたものだと決めつけていた。ピノをお小遣いで買ったことは、たぶん一度もない。
大人になれば、変わるのだろうか?
いや、足るを知る歳になっても、あいかわらずピノとわたしの人生は交わらなかった。
そもそも、大人は忙しい。季節ごとに装いを変え、太ももを大胆にチラつかせるハーゲンダッツたちを、かたっぱしから抱いてやらねばならない。ピノにかまっている暇はないのだ。
都会の絵の具に染まった大人からすれば、故郷のピノはあまりに幼く思えた。わたしがピノにしてやれることがあるとすれば、木綿のハンカチーフを送ることぐらいだろう。
このまま別々の道を歩むようにみえたピノとわたしだったが、ふたりの運命の糸は、思いがけず絡まり合うことになる。
きっかけは、息子の夜泣きだった。
2年ほど待ち望んでようやくわが家にきてくれた息子は、一晩中夜泣きをしたかと思えば、またすぐ早朝に目を覚ますタイプの「構ってちゃん」。集合住宅のプレッシャーもあり、毎晩夜がくるのが怖かった。
その日も夜通しの合戦が繰り広げられ、わたしは勝利の旗を掲げたまま寝つけずにいた。寝てはくれたが、次いつ目を覚ますかわからない。
今だけでも……と、祝杯のアイスを求めて冷凍庫を開ける。いつも何かしらのアイスがストックしてあるのに、今日に限ってない。最悪だ……
ともに戦士として戦い尽くし、息子の横でのびた輪ゴムのように転がっている夫に手をあわせ、負傷した体を引きずりながらコンビニへと向かった。
アイスケースでは、新商品の主張がうるさい。高級アイスと戯れる元気もない。ほんの一口でいいから、ささやかでがっかり感のない、気分転換になる甘みがほしい。
ゆっくり視線をケースの端まで動かすと、見慣れた赤い箱が目にとまった。
……そうだ、ピノは?
粒単位での管理ができるピノなら、途中で子どもが泣いたり起きたりしても問題ない。1粒の気軽さが、今のわたしにぴったりなのではないか。
はじめて、6粒に対し、需要と供給が一致したのである。
祈るような気持ちで、ピノを買う。数年ぶり、いやもしかしたら数十年ぶりかもしれない。
箱を開け、1粒をつまんで口へ運ぶ。かたい。
たった今まで、冷たく暗い箱の中で、じっと体育座りをしていたのだ、しかたないだろう。リードするように舌で軽くころがすと、チョコがゆっくり溶けていく。そして、チョコを追いかけるように広がっていく、心地よい乳白色の沼。
「……?!」
久々に食べるピノは、安達祐実だった。
え、ちょっと待って。国民の幼なじみぐらいの感覚でいたのに、冷静に見ると魅力突き抜けてない……?
1粒ごとに、ちゃんとしっかりおいしい。あんなに少ないと不満だったはずの6粒で、見事に心身が満たされている。
よく考えてみたら、ピノの乳固形分は15.0%以上。つまり、「アイスクリーム」に分類される。もともとポテンシャルが高いのだ。
しかも、調べてみると、1976年の発売当時から現在まで時代の変化に合わせて人知れずあかぬけイメチェンをくりかえす努力の子、シンプルなだけだと疑わなかったミルクのコクには練乳を配合し絶妙な親しみやすさを仕込んでいるというすっぴん風メイクのあざとさ完璧さそしてカカオの風味の豊かさを存分に感じられるチョコはパリパリではなくなめらかさの申し子として人間の体温と同じ温度で溶けるように計算され尽くされているその小悪魔な味わいをスーパーあるいはコンビニで手軽に入手できるジャパン is ヘブンという事実そして全国津々浦々でわれわれを待機しているけなげな感じとかもう、
愛じゃん……
ピノは、愛だ。
6粒の愛。
気づいたらわたしは夢の中へと落ちていった。乳白色の沼が広がる、温かい夢。気持ちはゆるみ、手足を思いっきりのばして、わたしはいつまでも母なる沼を味わうのだった。
翌日も、その翌日も、気づいたらピノを買っていた。冷凍庫にピノを常備するようになるのに、時間はかからなかった。
当然の流れである。
ピノは間違いなく、わたしの救世主だった。
完成度の高いスイーツとして。
食後のお茶として。
昼下がりのご褒美として。
仕事終わりのエンディングロールとして。
ときに、「イライラの鎮静剤」や「自分を取り戻すトリガー」としても機能しながら、日々のわたしを支え続けてくれた。
仕事に行き詰まったら、1粒。
子どもに感情をぶつけそうになったら、1粒。
心に余裕がなくなると、赤い箱をバリバリとあけて、口に放る。
何度か子どもにバレそうになったが、なんとかうまくあしらいつつ、わたしはピノとの密会を続けた。ピノにしか満たせない心のカロリーがあるのだ。
6粒。
たったの、6粒だ。
ずっと、ぜんぶ、ひとりじめしたい。
わたしの大切なピノ。
こんなに愛と安らぎに満ちた6粒を、わたしは他に知らない。
ピノのチョコミントは本当においしいし、アイスミルクとかラクトアイスじゃなくてアイスクリームで作ってくれてるところに心から感謝するし、いつ店頭から消えるのかと不安すぎて、ピノチョコミント専用の小型冷凍庫買おうか本気で悩んでる……
— 大塚ぐみ (@kagumiii) July 9, 2024
はぁ…はぁ…
— 大塚ぐみ (@kagumiii) July 10, 2024
なくなると禁断症状でちゃうよ#ピノチョコミント狂 pic.twitter.com/ykrvtZWTjz
※去年の夏は、とくに中毒性の高いクリーミーチョコミント沼をずぶずぶと堪能させていただきました
こうして、わたしとピノは、いつまでも幸せに暮らしたとさ。
めでたし、めでたし。
……とはいかないのが、人生である。
すっかり年季の入った夫婦のごとく、ピノと穏やかに過ごしていたある日、事件が起きた。
夕飯の片付けを終え、さて、と冷凍庫をあけると、なにやら様子がおかしい。
嫌な予感がする。……まさか!!
冷静になるために、一度冷凍庫を閉め、辺りを見回す。誰もいない。
深呼吸をしてから冷蔵庫をあけ、予感の原因をそっと拾いあげた。
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ピノがこじ開けられ、1粒連れ去られている
おおおおおおおおおおおお!!!!
なんじゃこりゃぁぁぁぁ!!!!
こんな暴力が許されるなんて、この国(リビング)の秩序は崩壊してるよ!
つらいけれど、奪われた1粒が無事である可能性は、極めて低い。
ピノたちは、さぞかし怖かったことだろう。よしよし、もう大丈夫だからね。
怒りと同時に、しかし複雑な愛おしさが全身を駆けめぐる。だって、こんな連れ去り方をするヤツは、ひとりしかいない——犯人は間違いなく、長男(当時6歳)だ。
学童から帰宅する彼が、保育園組を引き連れて帰るわたしより少し早く家に着くことがある。監視の目が行き届かない空白の時間に、予兆のような事件はたびたび起きていたのだ。
「ただいまー」と玄関をあけると、長男は明らかに動揺したそぶりで「今ちょうどお風呂入ろうと思ってたところ〜」と服を脱ぎ、風呂場へ逃げ込む。
怪しい……。
鼻をきかせ、おやつをしまっている戸棚をあけてみると、乱れたフォーメーションが目に飛び込んでくる。そして、ゴミ箱の一番上には、生まれたてホヤホヤのお菓子ゴミ。証拠しかない。
おやつ泥棒の存在に気づきながらも、わたしは彼を泳がせていた。夕飯が食べられないレベルで暴食するなら考えものだが、お菓子の盗み食いぐらい、かわいいものではないか。
せめてゴミは見えないように、奥の方へつっこめよと教えてやりたいぐらいだが、その初々しさがむしろ愛おしい。
わたしの寛大な許容により、成功体験を積んだ長男は、ついにわたしの聖域である冷凍庫、こともあろうが愛しのピノに手を出してしまったのである。
6粒。
たったの、6粒だ。
いくらストックがあるとはいえ、愛おしい6粒を無断で奪われるなんて、さすがに黙ってはいられない。
ただ……
愛おしいピノと同じぐらい、いや、それ以上に、わたしは息子が愛おしいのである。ピノと出会うきっかけを作った、かつての夜泣き将軍である長男のことが。
ピノの魅力を知った長男は、むしろ同じ沼につかる仲間ではないか……?
「あのさ、ピノ、食べたよね?」
長男がお風呂から出てくるのを見計らって、話しかける。少しこらしめてやるべきかどうか、まだ決めかねていた。
「え? 食べてないよ!」
必死に否定する長男の声がうわずっている。動揺がすべて態度に出てしまうようだ。
どうする?
勝手に食べるのはダメだと伝える?
それとも……
「……まだあるから、夕飯のあと一緒に食べる?」
「えっ? いいの?」
長男の顔が、パァッと明るくなるを確認し、気持ちがゆるむ。でも、これでよかったのかな。正直わからない。
だって君、まだ、ダイソンでしょう?
一度食べたら、きっと止まらなくなっちゃうよ。
6粒で足りるわけないんだから。
自分のことを棚にあげて恐縮だが、子どもにアイスの習慣がついてしまうのは困る。もっと1粒の貴重さや、合理的な有能性に気づいてからじゃなきゃ、ピノを食べさせるのは、なんだか惜しい気がするのだ。
6粒。
たったの、6粒だ。
……だけど、6粒ある。
愛と安らぎは、6粒すべてに存在している。
ふたりで分けたら、もっとすてきな景色が見られるかもしれない。
「いいよ。こっそり食べるより、一緒に楽しく食べた方が、おいしいかもしれないでしょ?」
夕飯後、わたしと長男は、冷凍庫の前で正しく箱を開け、1粒ずつピノを食べた。保育園チームの兄弟たちには内緒だ。
長男はうっとりして「やっぱピノ最高だわ〜」とつぶやいた。おいおい、「やっぱ」ってなんだよ、この誘拐犯め。
でもね、わかる。わたしも、同じこと思ったよ。
やっぱピノ最高。
子どもと一緒に食べるピノって、最高だ。
週末、スーパーの買い出しに、長男がついてきた。
お気に入りのちくわ、フレーバーチーズなどを勝手にカゴに入れていく。そのままどさっとお菓子を追加するので、「ちょっと、お菓子はひとつだけにしてよ!」と制すると、長男は文句を言いながらあふれんばかりのお菓子を抱え、棚に消えていった。
「これにする〜」
戻ってきた長男の片手には、いちごのポッキー。もう片手には、見慣れた赤い箱がある。
「ちょっと、お菓子はひとつって……」
「いいじゃん、また一緒にピノ食べよ!」
長男は、わたしよりずっと早く、ピノの真価に気づいてしまったようだ。まったく、生意気だ。
たった6粒のピノを選ぶ子どもなんて、人生2周目か、誰かと分け合う幸せを知っている者だけに決まってる。
したり顔でピノをカゴに入れた長男は、満足げに別の棚へ消えていく。
「調子いいんだからさぁ……」
そうつぶやきながらも、口の中に広がっていくあの乳白色の余韻に、心が浮き立つ。軽くなる足取りを感じながら、わたしはレジへと向かった。
▼このnoteを書いた人
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食の仕事14年目。8歳5歳3歳の母。自家製好き。Xでは朝ごはんの知恵袋を発信中。noteのフォローはこちら、Xはこちらからお気軽に!
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