『関心領域』という映画について…
『関心領域』という映画を観ました。
「感嘆措能わず」という言葉が浮かんでしまう…そんな映画でした。
なので、例によって例の如く、なるべくネタバレをせずに解説したいと思います。
この『関心領域』という映画…、別段、何かが起こるという訳でもなく、ただ淡々と
“ とある日常 “ が描かれていきます。
その映像は、なんら変哲のない日常の風景として流れていきます。
それはもう不自然な程に…。
不自然なんです…違和感としか言えないほど…これを “ ある違和感 “ と表現しておきます。
この “ ある違和感 “ に気付くと、今まで見ていた何の変哲も無い日常の風景が、妙に生々しくリアルに見え始めます。
舞台となるのは “ とある家族 “ の家。
至る所にカメラが設置された撮影手法によって、映像に “ 寄り ” のショットはほぼ無く “ 引き ” のショットで、家族の日常が映し出されます。
家族が庭でくつろいでいるシーンでは、その奥に煙が立ち昇っています。
何の煙なのか…?
普通なら気になるところです。
しかし、その家族にとって、それはあまりにも日常的な光景であるため、誰もそれに気を止め、目を向けようとしません。
このように、この映画では、主観的な要素をどこまでもそぎ落とし、客観に徹した演出が為されています。
その最たるものが… “ 音 “ です。
“ とある日常 “ が描かれた映像に
重なり寄り添う “ 音 “ …。
それらの “ 音 “ は、その場所或いは空間に身を置けば当たり前に聞こえてくる環境音です。
赤ん坊の泣き声、家事に炊事といった生活音から…、庭に出るといつも聞こえる音、壁の向こうからの地響きのような機械音、定期的に聞こえ来る列車の音。
生活の合間に漏れ聞こえる来る不穏な音の数々は、やがて観る者の想像を煽り始めます。
此方側と彼方側という明確に隔たれた違いが、そこに描かれているのは歪んだ平和なんだという事実を突きつけられます。
理想的な楽園の裏面に漂う怪しい気配から目を背け淡々と暮らす家族。
その見えない現実に存在感を与える環境音というBGM。
この映画の主役は音響だといっても過言ではないと思います。
劇中で流れる日常的騒音は…不穏な空気として終始映像に纏わり続けます。
やがて訪れる真っ黒の画面…音楽とも叫びともつかぬ強烈な不協和音が続き、エンドロールが始まります。
その “ 音 “ は、まるで澱み凝り溜まった怨嗟の悲鳴のように観る者の不安を煽ります。
背筋が “ ゾクッ “ となる、身の毛がよだつ感覚…、わたしは今まで、こんなに怖いエンドロールをみたこたことがありません(><)
最後に…、眠れない娘に父親が絵本(グリム童話『ヘンゼルとグレーテル』)を読み聞かせるシーンに触れておきたいと思います。
父親が娘に読み聞かせをしていると、カメラは何故か窓の外の暗闇の世界へ…、暗闇のなかで白く光る少女が、道程に林檎を置いていきます。
このシーンに抱いた違和感から、その真意を知りたくなり調べてみました。
すると、この少女は実在した人物であり、この映像は、少女が為したある行いの姿を描いたものと知り愕然としました。
監督のジョナサン・グレイザーは、本編の製作で現地取材をした際、アレクサンドリアという女性と面会したそうです。
その時に聞き及んだ、彼女の勇気ある行動こそ、この白く光る少女の姿でした。
それは正に、映画の中に散りばめられた事実のひとつとして強烈な印象を与えるものです。
賛否、好き嫌いがはっきりと分かれる映画だと思います。
もしあなたがこの映画を観たなら、あなたの心には何が残るのでしょうか…。
『木曜洋画劇場』みたいな終わりかた☺️
最後までご覧いただきありがとうございました。