『知性改善論』の好きなところ

スピノザ哲学についてのエッセイだからといって、哲学をまったく知らない人でも読めるように書いた。

スピノザの『知性改善論』は、主著『エチカ』が書かれる前の、彼自身の思索の過程のような本として読める。出だしでは「それを見出し、また獲得することによって、私が絶えざる最高のよろこびを永遠に享受することになる或るものが存するかどうかを探究しよう」といった宣言がなされる。しかし現実問題、その障壁になるものとして、富、名誉、快楽といった、いま風に?言えば煩悩とでもいえるものが壁として立ち塞がる。大哲学者スピノザでさえ、そういうものを振りほどけずに悩んでいたと率直な述懐がなされる。

面白いのはここからである。引用を見てみよう。

「ここにひとつ、私が見てとっていたことがある。それは、以上のことがらに思考を向けているあいだにかぎって、精神はこれら〔富、名誉、快楽〕から自らを引き離し、ひとえに新たなもくろみについて思考していた、ということである。これは私にとって大きな安らぎとなった」(秋保亘訳)

明瞭に書かれているので解説は不要かもしれないが、つまりは「どうやったら煩悩から抜け出られるかな」と考えているその間だけは、現に抜け出られていた、という発見をしたとスピノザは言っているのである。この「自分で発見した感」がとてもいい。読んでいて読者もその発見を共有できる。

これと少し形は違うが、坂口恭平は、うつの人はうつの時ただただ悩み苦しんでいるのではなく、「うつとは何か」ということについて誰よりも思考しているのだ、だから彼らは哲学者と言っても過言ではないのだ、と言っていた。これもきっと彼が自分の苦しみの中から発見したことだろう。

事柄の成否が問題なわけではない。それを自分で見つけ出し、そのプロセスが書物に刻まれており、読者がそれを追体験できる。読書の楽しみのひとつはそこにあると思うのだ。『エチカ』は一見するとかなり無味乾燥な書かれ方をしていて、初学者がいきなりそのすごさを分かれ、といっても難しいだろうが、『知性改善論』にはスピノザの本音が溢れており、また本音だけでなく思考のプロセスがはっきりと刻まれており、今なお読むに足る古典的名著だと思った。私が今回取り上げたのはほんの導入部に過ぎないから、その先のスピノザの思考をぜひ直接確かめてほしい。

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