吉祥・弁才天像 (日本の美術)
『日本の美術』シリーズの317号です。
仏教に登場する女神、吉祥天と、弁才天との特集号です。
吉祥天も、弁才天も、もとは、インドで信仰されていた女神です。それが、仏教に取り入れられて、日本にも渡ってきました。
この二柱の女神は、性質が似ています。どちらも、容貌が美しく、福徳を司るとされます。このために、混同されることもありました。
本書では、吉祥天と弁才天との、インドでの起源に、触れられています。中国で造像された例も、載っています。これらを知らなければ、日本の吉祥天や弁才天についても、知ることができないからです。
本書は、主に、日本において、これら二柱の女神が、どのように信仰されてきたのか、どのように造像されてきたのかを、解説しています。
吉祥天も弁才天も、日本では、よく知られた女神ですね。
なのに、これらの女神について、きちんと解説した本は、少ないです。本書は、貴重な資料です(^^)
吉祥天のほうは、古代の日本で、特に尊崇されました。
吉祥悔過会【きちじょうけかえ】という、吉祥天を中心とする法要が、国家的な行事として、行なわれたほどです。
中世以降は、それほどの勢いはなくなりました。それでも、現代に至るまで、美しい吉祥天の仏像が、伝えられています。
弁才天のほうは、中世以降、信仰が盛り上がりました。ちょうど、吉祥天と入れ替わった感じです。現代では、七福神の中に入っていることで、知られますね。
中世の日本では、秘教的な弁才天信仰が生まれました。これについての本書の解説が、興味深いです。他では、紹介されているのを、ほとんど見たことがありません。
以下に、本書の目次を書いておきますね。
はじめに
吉祥天
吉祥天信仰の発生
吉祥天の起源/経典と形像/中国の作例
『金光明【こんこうみょう】最勝王【さいしょうおう】教』の流布と奈良時代の造像
『最勝王教』の流布/吉祥悔過【きちじょうけか】の盛行/奈良時代の遺品
平安時代以降の展開
信仰の変遷/毘沙門天と吉祥天/平安時代の遺品/鎌倉時代以降の遺品
吉祥天の諸相
吉祥天曼荼羅【まんだら】/観音その他諸尊との関連
弁才天
弁才天信仰の発生
弁才天の起源/経典と形像
奈良・平安時代の造像
東大寺法華堂像と奈良時代の造像/平安時代の造像
鎌倉時代以降の信仰の隆盛と多様な展開
八臂【はっぴ】弁才天の展開/二臂【にひ】琵琶弾奏像の展開/弁才天の諸相
図版目録
参考文献
特別寄稿
弁才天信仰と民俗 東洋大学教授 大島建彦