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源氏物語「桐壺巻」を読む

 より生活に密着した話題を書こうと考え、このテーマを設けてみた。

『源氏物語』を読むにあたって、何か目標を設定しようと考えたが、それがnote記事を書くというものである。

 私自身はすでに数回通しで読んだ上に、場面ごとの検討をしている。そのため初読の感想ではないが、検討というよりはむしろ直感を述べていきたい。紫式部という現代までずっと評価され続けている方の文章に対して、「素晴らしい」「評価に値する」などと述べるが、これは私自身の語彙力に問題があり、失礼極まりない行為であることは承知である。しかし、「書く」行為によって私自身も考えをまとめていきたい。


今回は「桐壺巻」である。『源氏物語』の冒頭であり、あの有名な一節から物語は始まる。


「いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひける中に、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。」


 源氏を中心として物語が進むと思いきや、その母の境遇から始まるということも興味深い。この後亡くなるのだが(ネタバレでさえないほど有名な展開)、母のことを述べることにより源氏の境遇、美しさなどの細部が描写されるという技術は流石としか言いようになく、ダラダラと述べずに端的かつきれいにまとめ上げている。


 そして、私の好きな一節を紹介したい。


「月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声々もよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。」

 

 ここは、自然の情景に人物の感情をのせて表現された美しさがあり、お気に入りの一節である。古文に限らず、小説を読むときはこのような自然の描写は好きで注目している。今回「桐壺巻」を読んでいる中では、この一節が一番のお気に入りであった。「草むらの虫が涙を誘うように聞こえる」とは、「鳴く」声を聴いて「泣く」ことであろうが、その涙の深さを知ることができよう。


 そして次に、源氏と葵上の出会いについて続く。世のイメージではもしかしたら光源氏はいろんな女を弄ぶ、女たらしの男と思われているのかもしれない。それは平安貴族文化の視点からも源氏物語の文学の視点からも否定申し上げたいのであるが、そう思っている方には意外かもしれない場面を紹介する。


「大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。」


 大臣がそれとなく姫君のことをほのめかすと、源氏は何かと恥ずかしい年ごろであるから、返事もなさらない場面である。元服は迎えたといえども、まだまだ若い源氏の初々しさが表れている。(…かわいらしい)


対して、この姫君つまり葵上はどのようであったか。


「女君は、すこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思いたり。」


 葵上が年上であり、若々しく美しい源氏をみて似つかわしくないと言い、恥じる場面である。(...かわいらしい)

 互いに恥ずかしがっている姿が印象的である。かわいらしい恋愛模様の青春の一ページのようである。


といったところで、「桐壺巻」は終わりを迎える。

今後の展開を知っている身としては、源氏と葵上の関係などは大変微笑ましいものでして。


今後もぜひ楽しみに読んでいきたい。

※引用は新編日本古典文学全集による


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いつもとは趣向は変わりますが、読んでいる人はあまりいないと思われますので自由にやっていこうと思います。

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