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cafeプリエールのうさぎ #6 28歳ゆかり③


ゆかりシリーズの①はこちら


「おかえりなさい。こちらへどうぞ」

入って早々、ゆかりは少しだけ後悔した。
こんなにかっこいい人がいるなら、もっときれいにしてくればよかった。
でも、失恋したばかりだし、こんなに素敵な人が、私を好きになるわけがないからどうでもいいっか。
フラれてすぐに恋愛市場に戻れるほど、たくましくできてないのだから。


「いらっしゃいませ! 
 ゆっくりしていってくださいね」

とてもかわいらしいお姉さんまでいる。もう帰りたい。
私とは正反対なのだ。
彼女は、笑顔で明るくて、みんなが好きになるだろうなぁ。

どうせ私は、
フラれたばかりで、
恋愛経験なんか皆無で、
胸ばっかり好かれて、
私なんか見てもらえなくて、
お勉強もできないから、
おもしろい会話もできなくて、
いつも聞いてばかりだった。

目の前に並ぶ美男美女に、ため息が出そうになる。ゆかりは顔を上げられず、カウンターの机を見つめ続けるしかなかった。

「ほうじ茶、お飲みになりますか?」

やさしい重低音が聞こえた。
ふっと顔をあげると、うさぎのようなクリっとした目と、目が合って、とっさにそらしてしまう。

「……はい」
「では、淹れてきますね」

ゆったりした動作なのに、さっと店の奥に消えて行った。
音楽が室内を包み込む。聞いたことがない曲だったが、やさしい音楽だった。


「ほうじ茶なんてメニューにあったんだ」
「えっ?」
ゆかりが顔をあげると、彼女と目が合った。

「コーヒーと紅茶は知ってたんだけど。
 ほうじ茶もあったんだ、と思って」

彼女は、にぱっと笑う。

「お店……ですよね?」
「勤めてるんだけどね、いろいろ謎なのよ、ここ」
「そうなんですか?」
「うん、わかんないのよね……地元こっち?」
「……はい」
「いいよね、函館。
 私もこっちが地元なんだけど、
 仕事で本州にいてさ。最近帰って来たんだ」
ゆかりが返事をする前に、話が続いていく。
「でね、ここに就職したってわけ。そう言えば、なんでこの店に来たの?」
「あっ……えぇーっと」

とっさに聞かれ、ゆかりは正直に言うか迷ったけど、正直に言っても大丈夫な雰囲気を感じたのだ。


「つまり、こういうこと? 
 結婚しようと思ってた彼氏にあっさりフラれて。
 悲しかったから無断欠勤してここにいるの?」

身も蓋もない言い方に、ゆかりはますます縮こまった。
間違ってないんだけど、責められている気がするのだ。
消え入りそうな声で「はい」というのが精いっぱいだった。

「よかったわね!」

とても明るい声が降ってきたのだ。

よかった? 

ゆかりにとって、人生最大のピンチで、もう全部無意味だと思っているのに、どこがよいのだろう? 
意味が分からない。


「ほら、和泉さん?」
「だって、店長! 
 フラれたんですよ。よかったですよね?」
「いい加減になさい」


店長と呼ばれる美青年が、かばってくれてよかった。
かわいいと思ったのに、なんて失礼な人なんだろう。

「すいませんね」
そう言いながら、店長はゆかりの前に飲み物を出した。

湯気の立つ武骨な湯呑とともに、包みを渡される。

「他人軸で生きてきた君へ、というタイトルのほうじ茶です。温まりますよ。
 本はセットなので、ぜひ読んでみてください」

湯呑を持ち上げようとするも、熱くて持てない。仕方がないので、ゆかりは包みを開いてみることにした。


そこにはカードとともに、本が一冊入っていた。

1回目は、今開いて。
2回目は、お茶を飲んでから。
3回目は、メッセージの後に


そう書いてあった。

渡された本は白い表紙の本。
タイトルはピンクの文字で「好きでいて」と書いてあった。
恋愛系小説なら、今は絶対に読みたくない。
とりあえず中を開いてみると、詩集のようだった。
そこには、まさかのメッセージがあった。



泣けるのはそれだけ真剣な証拠。
 気持ちより先にカラダが教えてくれる。



私、泣いたのはいつだっけ?

彼と付き合って幸せだった。
仕事で忙しくて、会えない日々もあったけど、彼も頑張ってると思えるから、勇気もやる気も出た。
今、何してるかな? と考えるのは幸せだった。
彼がいることで、友達も増えたし、会社でも話題になった。
「ゆかりちゃんって長く付き合ってる彼氏がいるんでしょ? いいわね」
「いつ結婚するの? それを考えるだけで幸せよね!」
結婚していく友人を見て、次は私だと思ってた。
5年も付き合ったのだから、結婚するのは当然だと思ってた。

地元で、親の近くで、大好きな人と友人に囲まれて、いずれ子どもも生まれるんだと思ってた。
結婚前に子どもができても、もう28歳だし、別にいいよ、と思ってた。
だって周りは子供を産んでシアワセそうだもの。
なんでこうなったんだろう??


そう思っていると、静かに、涙がこぼれた。


彼のこと、大好きだった。
ううん、まだ過去にできてない。

寝癖が残る髪形も、必ずデートは遅れてくることも。
仕事が忙しくて既読スルーでも、電話には出てくれることも。
仕事への姿勢も好きだったし、熱心に夢を語る姿が好き。
周りの人をよく見ているところも好き。
みんなが気づかないところに気づいて、それを褒めたり感謝できるところも好き。
感情の処理も上手。好きなところが多すぎる。


涙がこぼれていく。


なんで私を連れて行ってくれないの?
なんで私に相談してくれないで決めちゃったの?
なんで私のこと、置いてくの?
私のこと嫌いになっちゃった?
私なんてこんなだもんね。こんな女、嫌いだよね……。
私がこんなに自信がないから、嫌われちゃったんだ。

悲しくてふがいなくて、涙が止まらなくて、あふれる感情が嗚咽に変わる。


すっと湯呑を近づけられた。
ハッと気づくと、目の前にやさしい笑顔の店長がいた。

「どうぞ、飲み頃ですよ?」

ひとくち。
また、ひとくち。

ほうじ茶が乾燥したカラダに染み渡る。

そういえば、朝から食べてないもの。昨日のご飯の味さえも覚えていない。
もしかしたら、食べたのに、感じなかったから食べてないことと同じなのかもしれない。


ほうじ茶を飲み干して、もう一度、本を開きなおした。
しおりなんかないから、本当に感じたままに開いたのだ。



 悲しいときはそのまま
 悲しみのままいていいと思う。
 とことん悲しい気持ちでいて
 いつかその気持ちを受け入れて
 自分の中で消化できたときに
 新しい優しさに変わるかもしれない。
 悲しいときは悲しいまま。
 自分の感情に
 逆らわずにいることはとても大事。
 受け入れたその先に
 また新しい自分がいるはず。



そう書いてた。

そっかぁ……私、彼と一緒に居たかったんだ。悲しかったんだ。

涙はとめどなくあふれて、もっていたハンカチがぐちゃぐちゃになっていた。

「あの……ティッシュありますか?」
「どうぞ」

涙と鼻水で、すごい顔面のままティッシュをもらった。
こんな顔で、なんて思われるんだろう。
変なお客さんって思うのかもしれない。

「なにも思いませんよ?」

ぎょっとして顔を上げると、目が合った。

「好きなだけ、泣いていいんです。
 好きなだけ、感じていいんです。
 誰か、じゃなくて自分はどう思うか感じてください。
 好きなだけ感情を味わってください。
 そのためにこの店はありますから」


あぁ、国際結婚した友人が、酔うと私に言っていた言葉だ。

「あんたは人の目を気にしすぎ」
「誰も、そんな牛みたいな大きいだけの胸に興味ないって」
「なんで人の目を気にするの?」
「正解なんか自分で決めたらいいじゃん」
「自分の人生なのに……意味わかんない」

あなたみたいに強く生きれないもん、と思ってた。
あなたみたいにしっかりしてないもん、と思ってた。
あなたみたいに意見ないし、あなたみたいにいろんなものを敵に回して生きてないもの。
あなたみたいな生き方は憧れるけど、私には無理だし。
私は普通に大好きな人と結婚して、子どもを産んで、親も友達もいる好きな街で暮らすんだもん。

そこまで思い出していると、店長に話しかけられた。

「自分は、どう思っているか? ですよ」


私は……?


「自分の思いを大事にできるようになると、
 同じように、他人の思いも大事にできるようになりますから」


私は、普通に結婚したかった。だってそれがシアワセだもん。
シアワセって、そういうものでしょう?
みんなそういうじゃない。だから、結婚は? とみんな聞くんでしょ?




あれ?



みんなって、誰? 


あれ? 

えっ? 

あれ??

普通って、なに? 

あれ?



「どうぞ」

取っ手に、黒ネコが付いたカップ。
そこに、湯気の立つラテが入っていた。

「ほうじ茶ラテです」

にっこり微笑む店長に、少しだけ心がほぐれる。ゆかりは思わず、聞いてしまった。

「あの……みんなって誰ですか?」
「……?」

小首をかしげる様子でさえかっこいい。
ゆかりは、つまりながら……
でも一生懸命伝えることにした。

「えっと……普通に結婚したかったんです。
 だって、結婚は幸せって、
 みんないうんです。
 彼氏がいたら結婚と言われ、
 結婚したら子どもって言われて。
 それが普通で、それがシアワセですよね?」


そうですね……僕の意見ですが、

宇佐は言葉を選ぶように、ゆかりに話し始めた。


「普通、という言葉は、
 とても難しいと思うんです。
 函館では5月に桜が咲くのが普通ですが、
 京都では3月末から4月が普通です。
 普通は、場所によっても変わりますし、
 年代によっても変わると思います。
 各ご家庭でも違うんですね。
 誕生日に祝ってくれる「普通」もあれば、
 誕生日はいつもと変わらない「普通」も存在しますから。

 だから「シアワセ」の「フツウ」は、
 人によって違うと思います。

 こういう仕事をしていますし、
 こういう場所ですから、いろんな人が来ます。そして、いろんな悩みを置いていくんです。
 それを聞いていて思うのは、
 「当たり前」も「ふつう」も「常識」もないんだな、ということです。
 人を傷つけちゃいけない、という
 最低限のネガティブなものはみな同じように考えていますが、
 ポジティブなもの……
 たとえば、夢や人生、家族の形や愛のカタチなんかですね。
 そこには普通も常識もないと思います。
 大切な人を大切にする。
 それだけなんですが、大切な人を大切にするときに、
 大切のカタチを間違ってしまうんですよね」


わかるような、わからないような、
言葉遊びの感覚に襲われる。
大切な人を大切にするカタチとは何だろう。


「店長、難しそうな顔してますよ?」

いつの間にか和泉もいた。
カウンターの中に来て、ほうじ茶を飲んでいる。

「和泉さん、考えることも大切なんですよ?」
「でも、こういうことでしょ?
 自分はりんごが好きだから、
 彼もりんごが好き、って思ってて。
 だから、りんごばかりプレゼントしたら
 ダメってことで。
 もしかしたら、イチゴが好きかもしれないんだから。

 りんごもイチゴも、
 お互い好きじゃないなら、
 お互いに好きなものを探して歩くのも面白いよね! 
 グレープフルーツが好きかもしれないし、
 ぶどうかもしれない。
 二人で探していく過程が面白いし、
 それが愛だと思うのよ」

自信満々に答えるお姉さん。

なんとなくわかった気がする。

私は、彼の話を聞いていることで
「あなたを大事にしているよ」って伝えてるつもりだった。私のたどたどしい話を、真剣に聞いてくれる彼が好きだったから。大切にしてもらってる気がしたから。

でも、彼は? 
彼はどう思ってたんだろう。


ふっと思う。
考えても考えても、思い浮かばない。

「私……
 彼が、そもそもイチゴが好きか知らない……」
「知らないなら、知ることから始めてみてはどうですか?」

にっこりと宇佐が答えたのだ。

急いでメッセージを確認するも、既読スルーのまま、返事はなかった。
深呼吸してメッセージを打つ。


「ごめんね。あなたのこと、何も見えてなかったことに気づいたの。
 もう1度だけ、会って話したい。仕事終わりの20時すぎか早朝なら、時間空けられるから。このままサヨナラしたくない」

最後まで打って、
送信する前にほうじ茶ラテを飲む。
やさしい甘さが、口いっぱいに広がって、
傷んだ心がほんの少しだけ回復した。
よし、と気合を入れて、ボイスメッセージにした。
大事なことは、自分の口から伝えたい。


メッセージを送った後、
カードにあったように、もう一度だけ本を開く。



幸せは自分が感じるもので
他人から与えられるものではない。
自分が幸せと思うなら、それが本物。



「送っちゃいました」

ゆかりは、泣いているような笑っているような複雑な顔で、ふたりを見つめた。
ふたりは、ゆかりの勇気をたたえるように、やさしい顔で頷いたように見えたのだった。

その本をはじめから読み、読み終わったところで、店を出た。
長居をしてしまった。
病院はとっくに閉まっているだろうし、会社の勤務時間も終わっていた。
なんだか妙な日だったけど、少しだけ気が晴れた気がする。

彼のシアワセのカタチって何だったのだろう。最後にそれだけは聞いておきたかったから、あんなボイスメッセージを送ったけど、送っただけでもういいかな、と思っていた。




あと少しで家に着く。

家の前に、車が1台停まっていた。
彼のだ。
走って駆け寄ると、彼も車から降りて走ってきた。

「心配したんだぞ!! 
 あいつから、ゆかりが腹痛って聞いて、
 仕事早く終わらせたら、
 あんなボイスメッセージが入ってるし。
 急いで来たら、車はあるのに、いないし。 
 何度も電話したのにつながらないし」

「うそ……」


急いでスマホを確認するも、カバンの奥に入っていてなかなか見つからなかった。
開くと着信履歴もメッセージも【9+】と表示されていた。10回以上不在着信が入っているのがわかる。


「……心配、してくれたの?」
「当たり前だろ?」

あー、もう……と言いながら、彼がしゃがみこんだ。

「うちによる時間ある?」
「当たり前だし」
「ちょっとだけ、話、聞いてほしかったんだ」
「俺も。昨日の話、もっとちゃんと聞いてほしい」
「うん、わかった」

ゆかりは家の扉を開き、ふたりで中に入る。

今朝は涙でいっぱいだったはずの部屋は、
夕日に照らされて
中までオレンジ色に染まっていた。


―― 自分を大事にするってことは、
   他人も大事にするってこと ――





また1章出来上がったら、アップします
はじめからお楽しみください

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とみいせいこ @おさんぽ日和
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