cafeプリエールのうさぎ #6 28歳ゆかり②
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「うそ!!」
思った以上に大きな声が出た。
「……ごめん」
「だって……。なんで?」
「さっきも言った通り、転勤で東京に行くんだよ。栄転なんだぞ? やっぱり喜んでくれないのか……」
ゆかりは、零れ落ちそうな涙を必死でこらえながら、状況を整理した。
「俺さ、東京行くのが夢なんだ!」
彼の夢なのは知っている。
酔うと、最後はこのセリフだ。
どこにいても同じセリフを言う。
夢なんだ、と言いながら、もう5年もたっていた。
友達だった期間も含めたら、もう10年の付き合いになる。
大学で出逢い、仲良くなって就職してから付き合い始めた。
私の、はじめて実った恋だった。
「ゆかりってさ、なんか地味だよね」
「そうそう、胸があってかわいいくせに、なんか地味」
大学のトモダチには、そう言われ続けたけど「それがゆかりのいいところじゃん」と彼は言ってくれた。
そこからずっと好きだったけど、告白なんかできずに、友達として待つだけ。
彼のことは好きだけど、わたしなんかに告白されても迷惑だよね、と思ってた。
たしかに、胸は大きいけど大きいだけだ。
大好きな洋服も、
胸のせいでかわいいシルエットにならないし
着たい服のボタンが閉まらなかったこともある。
ぶしつけにじろじろ見られるのも大嫌いだもの。
どうせ顔も性格も見てないじゃん。
男はこの胸にしか興味ない馬鹿だと思うもん。
そんな悩みは、友達には、わかってもらえなくて、それも悔しかった。
それが、彼に会って変わったのだ。
「いつもありがとう」
「部室きれいにしてくれたのって、ゆかりちゃん? ホント気遣いできる女だわ」
「飲み会の段取りもサンキュ! ゆかりちゃんに任せてよかった」
彼は、ゆかりの、今まで誰にも褒められたことがない、当たり前のことに、気づいて褒めてくれる人だった。
好きになるのに時間はかからなかった。
5年も付き合った。
お互い就職してから、そんなには会えなくなったけど。
初めのころは毎週末会っていたけど!!
少しずつ熱も冷めたせいじゃなくて、ふたりとも仕事が忙しかったせいだし、それでも2か月に1回は会っていたし、電話もメッセージも頻繁にあったと思う。
だから、久しぶりのデートが、函館山のふもとにある、かの有名なフレンチレストランだったとき、いよいよプロポーズだと思った。
なのに……。
転勤で東京。
今以上に忙しくなる。
ゆかりも仕事好きだろ?
地元から出たくないって言ってたじゃん?
だからそれぞれ夢を追いかけような。
って、満面の笑みで言うなんて思わなかった。
とどめに「祝ってくれない」みたいな言い方って、どういう神経しているんだろう。
感情があふれそうになるのを、ぐっと我慢した。ここで泣いてすがっても、東京行は確定しているし、私とは別れるって決めているみたいだし。
恋愛偏差値が低い自分には、なんて言ったらいいかわからなかった。
そのあとの記憶なんかなくて、気づいたら朝。寝たかどうかもわからない。
それでも何一つ考えられなかった。
ぼんやりしていると電話が鳴った。
「ゆかり?
始業5分前なのに居ないから心配で……
30分前からいるのが当たり前と思ってたから連絡したんだけど。
大丈夫? 今どこ?
昨日、デートだったんでしょ?
……ゆかり?」
「ごめん、今ちょっとおなか痛くて
連絡できなかったの。
体調不良で有給出しててくれる?」
こんな時でも、気丈にふるまってしまう。
彼氏にフラれて無断欠勤しました、
なんて言えない。
「わかった。
痛みおさまったら、病院行きなよ?」
「……うん、ありがとう」
電話を切ると、
彼からのメッセージ画面を開いた。
ここには思い出がたくさんある。
アルバムもたくさんあるし、
うれしかったメッセージはスクリーンショットして取ってある。
でも、これも全部おしまい。
きっとおしまい。
現実、なんだよね?
不安になるけど、現実なんだ。
「お互い、夢を追いかけような!」
というメッセージが最後。
なにか返信しないと、と思うけどうまく整理がつかない。
「今まで楽しかったよ! ありがとう」と絵文字全開で送る?
「なんで相談してくれなかったの? 私も行きたかったのに」と言う?
「ついていくつもりだったんだけどな」と言ってみる? 無理すぎる。
22歳で卒業して、23歳から付き合って、もう28歳だよ?
今から誰かを好きになる体力も、気力も元気も、もう何もないよ。
彼と結婚すると信じてたのに、こんな結末はあんまりだよ。
そう思ったら、なんだかむかむかしてきて、勢いのままにメッセージを送った。
「私はまだ好きなのに、なんで勝手に決めちゃうの?
夢なのは知ってたけど、ずっと叶ってなかったじゃん。
私と一生一緒にいるって嘘だったの?
ねぇ、本当にもう終わりなの?」
既読
でも、待っても待っても返事が来ない。
「読んだくせに、返事くらいしてよ」
と、再度送った。
トイレに行って確認しても
メッセージは既読にもなっていないし返事もない。泣いているウサギのスタンプを送る。
結局、泣いているウサギは4つ送ったけど、
すべて送信取り消しをした。
こんなの送っても無意味だ。
私の人生も、もう無意味かもしれない。
だって、結婚すると思ってたのに。
28歳、
今更、恋愛市場返り咲き?
ずっと付き合っている彼氏がいる、と言っていたから、
合コンなんか1度しか行ったこともないし、アプリ婚活なんか絶対に無理だ。
地味
胸だけ
学もなし
言っていて泣けてくる。
本当にどうしよう。
彼がいなくなった瞬間、見えないモヤが一気に押し寄せてくる気がした。
友達は最近結婚したし、
子どもがいる人もいる。
私は仕事に生きるの、と言ってたくせに、
国際結婚した友達もいる。
知ってる?
28歳ってもう若くないの。
会社に居たら、お局様扱いだし、
ベテランあつかいだ。
彼が忙しかったから、
家でお料理しながら掃除して、彼の帰りを待つ生活がしたかったのに。
そんなことを考えてたら、ふっと思った。
会社に無断欠勤した手前、
アリバイつくりのために、
せめて病院の方向には、行っておこう、と。
髪をとかして、
着の身着のまま病院へ向かう。
行ったけど、治ったと言えばいいよね?
行ってない、というのは嘘つきみたいでなんか嫌だったのだ。
行く途中にカフェを見つけた。
失礼だけど、流行っている雰囲気はなくて、夜に開いてそうなカフェだ。
スタバは無理でも、ここなら、こんな私でも受け入れてくれるかもしれない。
知り合いにも合わないだろうし。
こんな奥にあるんだから、知る人ぞ知るって感じ。
ゆかりは、
何かに誘われるようにカフェの扉を開けたのだった。
カラン
「おかえりなさい。こちらへどうぞ」