蝉川夏哉/逢坂十七年蝉

『小説家になろう』さまで細々とファンタジー小説を書いている者です。構ってやると、喜びま…

蝉川夏哉/逢坂十七年蝉

『小説家になろう』さまで細々とファンタジー小説を書いている者です。構ってやると、喜びます。/創作/Civ4/HoI2/paradox/ http://mypage.syosetu.com/111955/

最近の記事

日記

2024年10月06日  うつ病を患っている人間の悪癖であるが、少し気分がよくなるとこれまでの遅れを取り戻すべく、自分の怠惰さに復讐するかのように仕事を詰め込んでしまう。はじめは具合よく進められるのだが、いざ離陸する段になってエンジンに気化噴入する燃料に不足が生じ、飛行機は見事滑走路で散り果てることとなるのだ。  今年もまたその傾向が出ており、今まさに航空管制官が異常を感知しつつあるという情勢である。  体調が悪く、出歩くこともままならない。そろそろ日用品を買いに行かねば

    • 日記

      2024年10月02日  一日中書き仕事。  病院へ行くのが間に合わず、意図せず怠薬になっており、心身共に不調である。 2024年10月03日  書き仕事。  祖母の具合がよくないので、泊りがけで遠方に行くのを控えているのだが、この日も連絡があった。  幸い回復したのだが、最近の体調不良も含めてなかなか厳しい。 2024年10月04日  人に会う用事で大阪市内へ。  たくさん喋り、たくさん学んだ一日だった。  お好み焼きが美味しい。 2024年10月05日  こ

      • 日記

        2024年09月29日  主治医である津田彷徨先生と共に神戸ワールド記念ホールへ新日本プロレスの観戦に行く。何を隠そう、人生で初のプロレス観戦である。  ライトノベル作家にして内視鏡医である津田先生は大のプロレスファンとして知られており、最近はグレート-O-カーン選手を贔屓にしている。  会場の熱気は凄まじく、これが音に聞くプロレス観戦かと大いに興奮したのであるが、一番感心したのはそのエンターテイメント性の高さである。  ぶつかり合う選手たちの戦いには一戦一戦ごとにアトモ

        • 日記

          2024年09月25日  今日も今日とて書き仕事。  書かれたのに読まれることのない文章の墓場について考える。  思いつき、喉まで出かかって言えなかった言葉も、どこか静かな場所へ祀ってあげればよいと思う。  国家が社稷の祭祀を絶やさないのは、もちろん信仰共同体であり大きな物語の共有者である国家の成員の統合のためであるが、同時に過去への責任であるだけでなく、これから社会のために死なねばならない人に「あなたも同じように祀ります」という信頼のためでもあるのだろうな、と思う。  

          日記

          2024年09月21日  一日、書き仕事をしていた。  世の人々は三連休というが、フリーランスは三日休めば三日収入がないのと同じことである。  とは言え遅筆なのでほとんど何も進んでいないのであるが。  阿呆なので予定を詰め込み過ぎ、死に掛けの鯉のようにあっぷあっぷしている。このままではまずいのだが、よき知恵は無し。 2024年09月22日  旧友の来阪。  デビュー前に短編で競作していた頃からの友人なので、14年ほどの付き合いになる。人生において14年も倦まずに友人で

          日記

          2024年09月20日  偉大な先輩作家を囲む飲み会に及ばれし、したたかに食べた。したたかに酔ったと言いたいところであるが、医者から「今生ではもう飲めないよ」と釘を刺されているし、先輩作家の謦咳に接することで、その噎せ返るほど濃厚な雰囲気に酔ったので、良しとする。  優れた作家というのは私の知る限り皆、恐ろしく記憶力がよく、エピソード記憶などについては私のような小人物の及ぶところではない。特に私は2022年の8月にコロナをやってから記憶力にいささか怪しいところがあり、どこ

          日記

          2024年09月15日(日)  季節の変わり目、特に夏から秋の端境期に、いつも体調を崩す。  全身がずっしりと重く、倦怠感に苛まれ、腹いっぱいで胃が張り裂けそうなのにバカみたいにものを食べる。気持ちは憂鬱で沈みっぱなしである。  こういう時期でもするべきことはあり、したいこともあり、した方がいいことは数え上げるのも莫迦莫迦しいほどにある。  考えてみれば「今すべきこと」を悩めるというのはまったく贅沢なことで、中世以前であれば「今しないと死ぬこと」から順番にレッドアラートを

          日記

          2024年09月14日(土)  このところ、妙に忙しい。  フリーランスのつらいところで、忙しさがそのまま収入につながるわけではないから、この忙しさのどれだけが報いられるか分からないのであるが。  取材を兼ねて居酒屋飯を食べようと思ったのだが、三連休初日ということもあってあまりに人が多く、断念した。結果、友人とうどんを食べに行ってそれなりに美味しかったのでよしとしよう。

          日記

          2024年09月12日(木)  最近、バカなTシャツに凝っている。  【ポッチャリウエスト】とかそういう奴だ。  この日着ていたのは【よごれてもいいふく】と書かれたTシャツである。  人を笑顔にしたい、と思う。  私はそれほど力がないので、人を笑わせることはできないが、嗤われることならできる。そんな気持ちでこういうTシャツを着ているのだが、やはりまぁ、白い眼を向けてくる人はいるものであり、そういう時はちょっと傷ついたりもする。  このTシャツを着ていることを忘れて、ラー

          日記

          2024年09月11日(水)  専門学校でラノベの講義をしてきた。  私は専門学校と雇用契約を結んでいるわけではないので、年に数回、特別講義の形で招いて頂いている。ありがたいことである。  講師をしているというと「え、ラノベに専門学校ってあるんですか?」としばしば驚かれる。私もはじめ聞いたときには大いに驚いた。  何を教えているのか、と言われると、私にはよく分からない。普段のカリキュラムを知らないからである。けれども、色々のことを学んでいるらしいということは特別授業でプロ

          日記

          2024年09月10日(火)  あす専門学校の講義があるので、その準備と書き仕事に一日を費やした。  教えるというのは面白いもので、そこから自分の学ぶことも多い。  巷には創作論が溢れかえっているが、結局、自分にとって今もっとも必要な言葉かどうかは、自分で判断するしかない、ということがなかなか分かって貰えない。  中級者にとって助けになる言葉が、初学者にとっては毒となることもあるし、その逆もある。大切なのは、学ぶことと、実践を反復することだ。  Web上に転がる創作論の

          日記

          2024年9月9日(月)  この日は昭和99年9月9日であった。  昭和というのはとても長い年号であったが、平成も結構長かったので、妙な気分になる。  父母の持つ”昭和”のイメージと私の持つ”昭和”のイメージは自ずから異なるわけだが、今の若い子の”昭和”のイメージと、私の祖父母世代の持つそれは、同じ”昭和”という言葉で括ることも難しいほどに違っているだろう。  人生の長さ(あるいは短さ)について考える機会が、このところ多い。  ニシオンデンザメほど永く生きるのがよいのか

          日記

          2024年9月1日(日)  何をしたのか全く記憶がないが、恐らく地球上に存在し、空間の一部を占有していたと考えられている(※誰によって?)。 2024年9月2日(月)  午前中から喫茶店で仕事をしていた。ここ一ヶ月ほど、驚異的な真面目さで仕事をしている気がする。労働力の源泉は金欠であることの証拠であろう。しかし、今書いたものが金になるのはいつのことか。そして、果たして金になるのか。それは神のみぞ知る。 2024年9月3日(火)  当てにしていた案件が一つリスケジュー

          日記

          2024年08月27日(火)  高徳の友人作家より炊飯器を頂く。  随分前から炊飯器の具合が悪く、いつか買い替えねばならないと思いつつ、なかなか懐具合がそれを許さなかったので、本当に有り難い。  身体を壊して以降はずっと玄米食にしているので、炊飯器の能力の差は如実に分かる。本当に、本当に美味い。  QOLの上昇にはいい炊飯器。 2024年08月28日(水)  なんだか調子が上がらず、仕事を切り上げてしゃぶ葉に行った。  久しく足を運んでいなかったが、嵐の中だというのに

          日記

          2024年08月21日(水)  打ち合わせ一件。  初対面というのはどうしても緊張するもので、ノンバーバルなコミュニケーションも含めて、後から「ここはあれでよかったのだろうか」と反省会をすることになる。  それでも、新しい出会いというのは嬉しいものだ。  よき出会いになればいい。いや、しなければならない。 2024年08月22日(木)  マクドナルドの「サムライマック炙り醤油風 トリプル肉厚ビーフ」が昔懐かしいニコニコ動画風のCMをしていたので興味を惹かれて食べに行く。

          日記

          2024年08月17日(土)  難波の喫茶店で友人と四方山話に興じる。  取り留めもない雑談こそが発想の源泉であり、セレンディピティの宝庫であるが、この日は空振り。そんな日もある。全ての日に天啓が下りてくるなら、デルフォイの神殿は必要ないのだ。 2024年08月18日(日)  本来であればコミティアに一般参加していたはずであるが、諸事情により泣く泣く断念。喫茶店で書き仕事をし、餃子の王将で天津飯を食べた。  考えてみれば王将の天津飯を食べるのは随分と久しぶりで、豪く大き