すべてはあの笑顔を見るために。
看護学生だった頃の話。
看護学生は病院だけでなく施設でも実習を行う。
その一つが老人保健施設。
病状が安定していても在宅療養が難しい高齢者などの要介護者が利用する施設である。
そこにいるのは患者さんではなく利用者さん。
医療行為ではなく介護がメインになっている。
そこで活躍するのが介護士。
朝、実習場所に向かうと
朝食を終え、車椅子に乗った利用者さんたちが列になり、トイレの前で並んでいた。
トイレ1ヵ所に対して、1人の介護士が付き、
車椅子からの移乗、衣服の着脱、排泄動作の介助をする。
私も1人の介護士に付かせてもらうことになった。
その介護士は男性だった。
体格がよく、利用者さんも軽々と支えることができる。
眼鏡が似合い、優しい笑顔が印象的だった。
以前は小学校の先生だったそうだ。
私はなぜこの男性が
小学校の先生を辞めてまで介護士になったのか疑問に感じていた。
トイレの順番に回ってきたのは
いつもオムツに失禁してしまっていた利用者さん。
白髪でたれ目、笑顔がかわいいおばあさん。
100歳に近い年齢だった。
この施設では、どんなに失禁していようとも、
リハビリを兼ねており、
便座に座るまでの動作を行うようにしていた。
利用者さんが立ち上がるとオムツの中を確認。
まだ失禁していなかった。
「まだ間に合うかもしれないね」
と介護士が言った。
トイレに座り、しばらくすると排泄音がした。
その途端、
背中を丸めて下を向いていた利用者さんが
顔を上げて、気持ちよさそうに笑った。
言葉はなくとも言いたいことはわかった。
トイレで排泄するのは久しぶりだったようだ。
その様子をみて私も自然と笑顔になった。
「この笑顔を見るとね、辞められないのよこの仕事」
介護士は汗だくになりながら満面の笑みで言った。
介護士がなぜこの道を選んだのか初めてわかった気がした。
看護学生の時、
私たちは授業の一環として
家でオムツを履き、
オムツ内で排泄するように言われたことがある。
いざ出そうとしても出ない。
恥ずかしい。筋肉が緩まない。
トイレで出したほうが気持ちいいに決まっている。
濡れたオムツが肌に当たるのも嫌だ。
誰もオムツで排泄できなかった。
そして学校の先生は言った。
「それが患者さん(利用者さん)の気持ちです。
その気持ちを忘れないように」と。
歩けない患者さんがトイレに行きたいと言ったとき、
車椅子を取りにいき、
ベッドを動かして車椅子のスペースを確保、
ベッドをギャッジアップして、
患者さんを座位から端座位にした後、
靴を履く介助をして
全体重がかかる患者さんを支えて車椅子に移乗、
トイレまで行き、
同様に全体重を支えながら身体の向きを換え、
下着とズボンを下げて便器に座ってもらう。
排泄が終わったら、その逆の動作をして部屋に戻る。
もし間に合わなかった場合は、
その場で下着とズボンを変える必要がある。
介護度が高ければそれに30分要する。
オムツの中で排泄していれば
オムツを交換するだけで済む。
病状からどうしてもトイレに行くことができない患者さんはいる。
立位になることで血圧低下を起こしたり、
立位保持できなければ転倒を起こしたりすることもあるからだ。
そうでもないのに
「オムツしているからオムツでして」
という先輩看護師もいた。
トイレに行くのが難しくてもポータブルトイレや
ベッド上で使用する尿器や差し込み便器という選択肢もある。
自分の怠慢でその言葉を放った先輩は
オムツをつけたことがないのだろう。
オムツのなかで排泄すること、
オムツをしているが故に清潔を保つため
陰部を洗わなければいけないこと、
どうしても羞恥心を伴う。
私も出産後1週間ほど
尿漏れが治らなかったとき、
パットを換える自分が情けなくて仕方がなかった。
それ以上につらい思いを患者さんはしているのだ。
何人もの患者さんを受け持ちながら
そのうちの1人が30分トイレ介助にかかるとすると
どうしてもタイムスケジュールが崩れる。
うっ、と思ってしまうことはどうしてもある。
しかし、そんなときはあの時の介護士さんを思い出す。
”「この笑顔を見るとね、辞められないのよこの仕事」”
なんのために看護師になったんだ。
手を抜くためか。楽をするためか。
違う。
あの笑顔を見たい。
そう思うと30分、
自分の休憩を減らせばいい話。
ちょっと残業すればいい話。
同期や先輩に仕事を少し手伝ってもらえばいい話。
すべてはあの笑顔を見るために。
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