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一汁一菜「が」よいという提案

土井善晴氏が『一汁一菜でよいという提案』を上梓されたと知ったとき、驚きのあまり腰を抜かしそうになったのを思い出します。

世には「一汁一菜」を冠した著作がそれ以前からありますが、これほど世に知れ渡り反響があったのは土井氏の思想への共感ありきでしょう。


ついに、世に説いてくださる方が出現した。

一汁一菜とは、飯+汁物+漬物

土井善晴著『一汁一菜でよいという提案』


「古くから一汁三菜は食の基本であり、健康的な食生活を支えて献立を考える上でも欠かせない概念」

遅くから栄養士養成施設で学んだわたしは、そのような教育を受けました。現在のカリキュラムはわかりません。

栄養学や調理学等を学んだ時は一汁三菜、五大栄養素、バランス、廃棄率など基本をたたき込まれ、枠からのはみ出しにはことごとくチェックが入りました。もちろんベースがないと何事もいつかは崩れるので、当時の教えには心から感謝しています。

ただ、その四角四面っぷりにだんだん気持ちが離れていく学生が出現するのは顕著であり(学力問題も要因)、頭ごなしではなくライフスタイルや高齢期を生きるまでの全体像を説いた上で、食事と健康の重要性を知りたかったと今頃になって強烈に思うのです。言い換えると、現在必要な食事は、作るだけ食べるだけではない、未来を食べているのです。

2年間ずっと数字合わせばかりで、栄養素を使って福笑いをしている感覚でした。楽しくない福笑い。

数字合わせと実習は、もやもやが多かった。



 「先生は毎日一汁三菜なのですか?」と思ったものです。当時わたしは社会人学生でしたが、毎日一汁三菜を作る気力も技術も気持ちもなく、もちろん三食摂取すればOKのテキトー族でした。

昼食には毎日おにぎり2個を持参し続けて、本当に栄養の勉強をしている人なのかと疑われても仕方のない食生活でした。健康問題は特になくて、本人はこれが一番楽で何も思わず、今でもその習慣はさほど変わっていません。



現在は時間にゆとりができて料理に向き合える環境にいながら、一汁三菜ではありません。作れるとも思わないし、何も変わっていない。

そこで前述の一汁一菜です。汁の中に動物性と植物性の食材を入れるのは非常に優れた方法であり、栄養価アップ、腹持ちがよい、食欲増進など、多目的でどの世代にも適用可能な食事スタイルでありスキルです。

わたしがnoteに少しばかり投稿している料理は、メインにならない小さなおかず(副菜)がほとんどです。+α部分をストックしておけば、追加の一品(一汁一菜の「菜」にあたる)が可能で心丈夫です。ストックがあれば時間を買うも同然。きっと自分を助ける材料になり、不足しがちだといわれる栄養素の摂取も可能な上に、気持ちの負担を軽減します。

仕事で献立作成をしていた時に、頭の中には常に一汁三菜がありました。そのフレームに料理を入れ込むと、ある程度栄養価はキープできて見た目も量も整います。しかしそれを365日分考え続けるのは消耗して頭を悩ませました。嫌いではないが得意ではない、むしろ好きなのに追われて焦る日常でした。

一汁三菜は敷居が高いけれど、一汁一菜はできそうだと思えるのです。

前述では苦言を呈しましたが、栄養士養成施設での学びは大きな収穫がありました。基本の型と栄養成分と整え方、その他傷病別の対応についても基礎は学習しました。

卒業後に気づきましたが、わたしが知りたかったのは実はその先です。基礎知識を得ても日常に落とし込めない。しかし、それらは経験を積んで自らが積み上げていく永遠の課題だと理解するのに20年を要しました。

仕事での「食」から手が離れた途端に、おもしろいくらい食との距離が近くなりました。あれから時を経てようやく体感できたのです。今は自由に食と向き合っています。

土井氏の教えは柔らかく沁み込むような感覚です。その後、ご縁があって麹のプロに教えていただいたり、ある健康法に再チャレンジして体型が変わるなど、主体的な暮らしを楽しんでいます。波及効果で家族も少しずつですが食への興味が高まりました。

複合的な取り組みを進めた結果得られたものは、栄養一辺倒では気づかなかった部分でしょう。
食事を含めた快適な暮らし、それは継続可能な習慣。そこに落とし込めるのが「一汁一菜」です。

型を持つ強さはどの世界でも共通しています。
生活習慣、スポーツ、受験勉強など、型を起点に柔軟性が生まれて創造性につながり、新しさを求め続ける。もちろん修正も中止もできます。

重要なのは「続けられる」かどうか。

まずは自分と家族のために作ってみよう。
その先は体調、時間、力量、予算、お弁当などを考え合わせて築くのがいい。一汁二菜でも十菜でもフリースタイルでOK。時にゼロ菜でも飯だけの日があるかもしれない。外食、コンビニやスーパーを冷蔵庫にしても、今の充足が最優先だからそれもあり。

最小限「これは作れそう、食べられそう」の感覚を大切にしたい。

型をもてば習慣になって一生続けられる。

食とのかかわりは、家族はもちろん自分の人生を支えて幸せに生きるための土台です。
幸せを生み出す気力体力の源泉であり、コミュニケーションにまで及びます。食事を放棄せずに少しずつ継続できるのは「一汁一菜」の思いがあるから。

経験と解釈を綴りましたが、改めて考える機会をくださった土井善晴氏の『一汁一菜でよいという提案』を年の瀬にありがたく再読しています。



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