「老子入門」【鴻鵠先生の漢学教室7】
「大器晩成」「和光同塵」「天網恢々疎にして漏らさず」といった故事成語は「老子」が起源です。
「老子」は、もともと儒教に対するアンチテーゼとして存在しました。
「老子」には、儒教の礼教主義・道徳主義のドグマを批判する言葉が多くみられます。
例えば、「老子 十八章」に次のような言葉があります。
ここでは、頭でっかちな学問万能主義では限界があると言っています。
この十八章では、次のような言葉が続きます。
儒教が最も重要視する「仁」や「義」といった「人間中心主義」の考え方では、天地自然や宇宙の大法則である「大道」を無視することになるため、世の中は乱れ、国家は混乱してしまうと言いたいのでしょう。
その主張は、次の言葉からもわかります。
どんなに科学が発達しても、地震や火山の噴火を止めることはできません。そう言った意味では、現代の科学というものは、老子が問題にしている「慧智」そのものと言うことができるでしょう。
自然は、人間に都合良く活動してくれません。
天変地変を目の当たりにしたとき、人は、天地自然の法則に従わざるを得ないという事実を改めて認識します。
「老子」を読むことによって、平時にあっても、そのことを忘れることなく生きていくことが出来るようになるでしょう。
欧米では、「老子」は「タオイズム」と呼ばれており、とても人気があります。
アーサー・ウェイリーが翻訳した「老子」は、京都大学の小川環樹さんが訳された「老子」(中公文庫)の訳注にも引用されています。
また、フォークナーの翻訳で有名な英文学者の加島祥造さんは、英語訳やドイツ語訳の「老子」を読んで、初めて「老子」がわかったと言っています。
加島さんは、1993年に現代自由詩訳として「タオ-ヒア・ナウ」をパルコ出版から、その後「タオ-老子」を筑摩書房から出版しています。
(「タオ-老子」は、今でも、ちくま文庫から出されているので、簡単に手に入れることができます。)
日本人にとって、「老子」が唱える「無為自然」という考え方は、とても感性に合うものです。
茶道や和歌、能楽といった日本文化の理解に、「老子」の思想理解は欠かせません。
仏教説話の「無常観」や新古今和歌集の「幽玄観」などは、無為自然の思想が根底に流れています。
そのような意味でも、「老子」は、多くの人、とりわけ若い人にこそ読んでほしい古典と言えるでしょう。