堤中納言の物語 【早稲田大学の古文】
早稲田大学で、「堤中納言物語」が続けて出題されたことがありました。
教育学部なのですが、2013年度に「はいずみ」、2017年度に「花桜折る少将」が出題されています。
「堤中納言物語」は、「浜松中納言物語」「夜の寝覚」「狭衣物語」などと同じ頃、11世紀後半に世に出た作品です。
そのため、「この物語は、11世紀後半と言う時代の洗礼を受けて成立しているのではないか」という仮説を立てて解釈しています。
内部的な構造性(文法や語法、句法の分析)だけではなく、外部的条件による言葉にできない内的価値にこそスポットを当てるべきだと感じるからです。
11世紀後半に出された他の作品から、価値的共通性を探ることで、1つの内的価値を決める外部構造が見えてくるような気がしているのですが、それが判断できるのは、これからのことになりそうです。
そういう意味で1つの参考となるのが、三角洋一著『堤中納言物語全訳注』(講談社学術文庫・1981年初版)です。
堤中納言の物語の第ニ説話「このついで」の解説で、「歌徳説話」という考えを述べています。(同書P.48)
歌徳説話の中でも、特に「2人妻型」というものがその典型としてあるようです。
これは、先妻と後妻の間で、後妻に心がうつってしまった夫に対し、先妻が、心の琴線に触れるような歌の力によって夫の心を取り戻す、と言うパターンを指します。
平安の貴族社会では、「ウタノチカラ」(つまり歌徳)が、大きな影響力を持っていました。
日本には、昔から言霊思想というのがあり、歌の霊力は何物にも勝る力を持っており、天地を動かすほどのパワーがあると信じられてきました。
古今集にある有名な序文「生きとし生けるものいずれか歌をよまざりけむ」もそうですし、明治天皇の御製歌である「天地を動かすばかりの言の葉の誠の道を極めてしがな」にも、その精神が表れています。
このような観点から、堤中納言物語に出てくる話を検証してみると、「このついで」に出てくる歌
では、縁語と掛詞を駆使しており、薫物の縁語として、火取り・思ひ(火)こがる(焦)、ひとりは「火取り」と「独り」の掛詞となっています。
2013年度の早稲田大学の入試問題では、「はいずみ」に出てくる
という歌にある「なかれ」は、「何と何の掛詞であるか」が設問として出されました。
ここでは、「川が流れる」の「なかれ」と、涙の「泣く」がかかっています。
このような技巧こそ「歌徳説話」がもつ歌の力であり、平安の時代精神と言えるのではないでしょうか。
高校の古文教育では、縁語や掛詞の指導は余りされません。
このような技巧より、登場人物の心情や助動詞の用法に意識が向いているからでしょう。
その一方で、「百人一首」の暗記には力を入れています。
百人一首の学習に、「縁語や掛詞の学習を加える」ことで、早稲田のような入試問題にも対応できるのではないでしょうか。
こうすれば「歌徳説話」の学習にも繋がるような気がするからです。