歴史を学んでいると、庶民が怪しい風説やデマゴーグに踊らされて内乱や暴動を起こしてきたことを何度も知ることになります。
中国も例外ではなく、道教などのからんだ農民反乱が王朝を崩壊させた例も少なくありません。三国志でも、魏の曹操が黄巾の乱を鎮圧するところから建国に到ったことが記されています。黄巾の乱は道教系の宗教結社がおこしたものでした。
「鬼神を敬して遠ざかる」という孔子の姿勢は、秩序と規律を保つ為政者として賢明なものと言えるでしょう。
あからさまに否定してしまえば、それを信じている人々の怒りを買い敵対することになるので、崇敬の態度を保ちつつ、少し距離をおく姿勢を貫くのです。為政者は人心掌握するためにも、このような合理性と知性が求められます。
死後の世界や来世など、浮世離れしたことは一切口にしたり考えたりせず、今生を全力で送るという態度を終生貫きました。
人は未来に対する漠然とした不安などから、目の前のことに集中できなくなったり、やる気が失せてしまったりしがちです。
特に年齢を重ねると、それまでの経験から、ますますそのような傾向が強まってしまうものです。
しかし、そのような態度は「今を一生懸命に生きる」ということとは真逆な生き様と言えるでしょう。
将来のことが不安なため、目前のことに手がつかないような時、この孟子の言葉に触れると、本来の自分を取り戻すことができるでしょう。
孔子が貫いた現実主義の態度は、ソクラテスの「無知の知」という思惟構造と似ているところがあります。
ソクラテスも可知と不可知を峻別し、目前のやるべきことに全力を傾けていたと言われています。
ソクラテスは賢者としての評判が広まったことから、皆から意見を聞かれることが多くなったようですが、「未来はこうなる」などと言う人心を混乱に陥れるようなことは口にしなかったそうです。それでも、ソクラテスは若者たちの心を惑わしたという罪に問われ、裁判によって死刑を言い渡されます。彼が「無知の知」という結論に至るまでに行った問答によって、無知であることを指摘された人々などから恨みを買ってしまったからです。
ソクラテスに同情して牢番なども彼がいつでも逃げられるように鍵を開けていたそうですが、彼はそれを拒否しました。自身が持っていた知への愛と「単に生きるのではなく、善く生きる」という姿勢を貫き、票決に背いて亡命するという不正な道ではなく、甘んじて毒杯を飲む道を選びました。
孔子やソクラテスのように、常に冷静な心持ちで現実的・合理的な生涯を送るということは並大抵のことではありません。
只今のことに全身全霊を傾けて集中して生きるということが求められるからです。
これが出来ている人こそが、真に知性のある賢者であり、大きなものを得ている覚者と言えるでしょう。
自分がいつそのような人物になれるのか分かりませんが、学問の道を志したものとして、修養の日々を続けています。