『十八史略』のすすめ (鮎川義介の学問)
三菱や三井など名だたる老舗財閥を凌駕するほどの勢いをみせた新興財閥=日産コンツェルン。
それを一代で築き上げた創始者・鮎川義介は、明治・大正・昭和にかけて、政財界で『怪物』と恐れられながらも、その名を世間に轟かせていました。
彼は、森鴎外の『渋江抽齋』や『ステファン・ツバイク集』を絶賛する人に対して、「つまらんものを読んどるのう」と言い、その主張を一蹴したという逸話が残っています。
鮎川は「『十八史略』に登場する人物は、4517人だ」と断言しています。
この発言から、彼が『十八史略』をいかに読みこんでいたかがわかるでしょう。
彼は本の読み方についても、持論を展開しています。
『十八史略』や『資治通鑑』は、宋から元の時代にできたものですから、春秋戦国時代から数えても、1500年以上の中国正史を要約したものです。
読書は、「冊数」ではありません。
つまらない本を100万冊濫読した人よりも、『論語』を100万回精読した人の方が、はるかに崇高な人間性を育むことができるでしょう。
鮎川は、「『十八史略』の登場人物は、性格が全て違う」と言っています。
つまり、『十八史略』を精読するだけで、4517通りの人物像を知ることができることになります。
これこそが「人間学」と言えるでしょう。
科学やテクノロジーがどんなに進化したとしても、それと比例するように、人間性が進化することなど望むこともできない、きわめて稀なことです。
むしろ、現代の情報社会の実状を見ていると「退化している」と感じることの方が多いかもしれません。
どんなに技術が進化しても、実際に出会ったり、触れあったりすることから生まれる「人間関係」や「人との温もり」を超えるようなものは、そう簡単にはできないのではないでしょうか。
利益至上主義・技術至上主義を前面に打ち出した世の中では、「人に優しい社会」を実現することは、難しいことなのかもしれません。
現代日本において、技術立国の一翼を担っている新日鉄や日立製作所、日産自動車を傘下におさめていた「日産コンツェルン」を一代で築き上げた大物実業家の鮎川義介が、東洋の古典をひたすら精読することで、「人間学」を極めようとしていたという事実は、我々に多くのことを教えてくれるのです。
タイトル画像:鮎川義介(国立国会図書館のWebサイト)