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「わからない読書」の効用 【「感情老化」を防止する最高の方法】

自分には、生涯を通じて読了しようと決めている本があります。
タイトルは、『The Oxford Book of Essays』。
16世紀のフランシス・ベーコンから20世紀のノーベル賞作家チャーチルやラッセルまで、120人の作家による140のエッセイが集められています。
このように質の高いエッセイを読むことは、英文学習をする上で、重要なものと言えるでしょう。
目次に並ぶ錚々たる名前を眺め、知っている著者40名が書いたものから、とりあえず読み進めています。
購入したのは、2013年3月に丸善本店で出会ってからとなりますので、およそ10年の歳月が経っていますが、まだ全てを読むことが出来ていません。
掲載されているエッセイには、訳本が無いものも多いため、よくわからないまま読んでいることもしばしばです。
わからないまま遅々として進まない読書ですが、自分の実力養成のため、英語感覚の熟成のためにやっていることなので、全く焦ることはありません。
むしろ、「わからない」ことを楽しんでいるところがあります。
わからないものをわからないまま、何時間も何年もかけて読み続けることは、自分の知らないことを理解し、新しい脳の領域を開拓することにつながると考えているからです。
最初から何年かけてでも全部読破できればよいと思っていることもあり、昨日より少しでもわかる部分があれば良しとしているため、実力が追いつかず、理解できないことがあっても、気にすることなど何もないのです。

歳を重ねてくると、どうしてもわかりやすいものを好むようになります。
手っ取り早く知識を得ることを優先するあまり、解説本やハウツーものを手にしてしまうことが増えてくるのは仕方ないことかもしれません。
人生の中で与えられた時間は、それほど長くないので、楽な手段で理解できるのであれば、それを選択してしまうのは自然な流れと言えます。
しかし、それを続けてしまうと、失われるものも大きいことを覚悟するべきでしょう。

精神科医の和田秀樹さんは、長年にわたって、高齢者医療の現場で、多くの脳CTやMRI検査画像をつぶさに観察した結果、
「加齢によって脳は萎縮するが、均等に萎縮するわけではなく、前頭葉が最も早く萎縮することが分かってきた」
と述べています。
前頭葉が萎縮すると、「怒りが収まらない」「意欲が湧かない」「柔軟性が無くなる」といった症状が出てくるそうです。
和田さんは、これを「感情老化」と定義しています。

実は、平穏に、リスクを避けてといった考えで凝り固まってしまうことこそ、全身の老化の引き金になる“感情老化”の徴候

和田秀樹『体力の衰えより早く来る…「感情の老化」はこう防ごう』(日経電子版)

わかりやすいものばかりを読むことは、脳の刺激が少ないことから、どんどん前頭葉を使わない読書となってしまう可能性があります。
前頭葉を鍛えることなく過ごすことから、どうしても機能低下につながり、我慢や抑制が効かない、怒りっぽく感情的な性格になるリスクが高くなるのです。

このような「わかりやすい読書」と対極にあるものが、「わからない読書」と言えるでしょう。
英語の原文はもちろんのこと、古文や漢文など、日常生活であまり目にすることがないものを読むことは、非常に困難と苦痛が伴うものです。
「読書百遍、意おのずから通ず」と言いますが、それがなかなかの試練であることは、誰もが知っていることでしょう。
それを実現するためには、大変な「忍耐力」が必要とされるからです。

読書百遍という様な言葉が、今日、もう本当に死語と化してしまっているなら、読書という言葉も瀕死の状態にあると言っていいでしょう。

小林秀雄『読書週間』より

小林秀雄がいみじくも警鐘を鳴らしていたように、現代では「わからない読書」をする習慣がどんどん失われているような気がします。

わからない読書によって、忍耐力を養うことは、単に老化防止となるだけでなく、「人間性」の養成にもつながる重要なものです。
「人間性」(オーウェルがいうところの「decency」)は、つまるところ、他人を許せる「寛容性」にあります。
他人の「嫌なところ」「カチンと頭にくるところ」「趣味の合わないところ」などをどれだけ許せるかが、「寛容性」の指標となります。
つまり、「寛容性」とは「忍耐力がどれだけあるか」と言い換えることができるでしょう。

大変な苦痛をともなう「わからない読書」(=本物の読書)を好んでしている人は、忍耐力があり、他者に対する寛容性が具わっている人と言えるでしょう。
そのような人物こそ、イギリス人が理想とする「Gentleman」です。
いつも微笑みを絶やさず、穏やかで静かに話し、ユーモアも持ち合わせていて、どんなに主義主張が異なっていたとしても、穏やかに関わりをもつことができる人は、修養を積んだ人と言えるでしょう。
『論語』にも「威ありてたけからず」という言葉があるように、人として威厳があり、どのような場面でも大きな存在感を示す人物でありながら、人を攻撃するようなこともない「寛容な人間性」こそ、模範とすべきものです。

十代二十代という若い時から、本物の読書を続けながら、人間性の涵養に努めていくことで、いるだけで周囲を明るく元気にし、人々を繁栄に導く人物となることも決して夢ではないでしょう。
読書には、それほどの力があることを是非とも知っていただきたいというのが、今のささやかな願いです。








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