るか
書いたエッセイです。
沖縄にまつわることを書きます。
読んだ本の紹介や、読んで考えたこと。
どこかに文章や詩などが掲載された際の告知をまとめました。
どうもこんにちは。るかこと、伊渓路加です。 伊渓路加として詩を書きはじめてから約3年経ちました。 そしてとうとう先月、詩集「流線形」を製作しました! 表紙および挿絵は、同じ大学に通う美術工芸学部の竹口莉央さんに依頼し、とても素敵な仕上がりとなりました。編集と本文デザインは僕自身が行い、印刷会社に依頼し印刷製本をしてもらった自主製作の詩集になります。 人は憧れなど様々な感情を他者に対して抱きながら、他者と出会うことを通して主体を立ち上げます。 この詩集では
最近、成すべきことが一件落着し、余裕ができた。余裕ができれば、人と話す、読む、遊ぶ、歩く、考える。そして、怒りが湧いてくる。余裕がない時は、怒ることもできないと、強く実感している。思えば、最近、自分はけっこう怒りっぽいことに気がついた。自分でも気が付かないほど、微細な「キレ」を身体の内に積もらせていて、なにかのきっかけで「こうしちゃいられない」「こんな世界のままなの誰のせいだよ馬鹿野郎」と思い立つ。 ここ二ヶ月、「気づき」をたくさん得ることができた。先日、スタッフとして
新年、あけましておめでとうございます。ただいま、帰省中。文字通りかけがえのない6年間を過ごした中高一貫の母校(以下、自森こと自由の森学園)の友達や教員とたくさん時間を過ごしている。 今、僕は、沖縄の大学に通いながら、自森時代に出会った「中野七頭舞」の継承に携わる人々とその継承のあり方について研究している。去年の9月には、岩手県下閉伊郡岩泉町へフィールドワークへ行った。自森生の時には、北上山地にいたる高い山々にさえぎられた遠い土地として憧れていたが、直接足を運んでみれば、東
Jアラートは、今日は本当に元気が出なかったとか、眠りすぎたとか、コーヒーが美味しいとか、そういった生活感や悩みを衝撃的な速度でかき混ぜて、戦争の予感へと凝縮させる。Jアラートが鳴ったときの混乱した時間が、一旦落ち着くと、急に生活感や悩みが「特別なもの」に思えてくる。だって、ミサイルが落ちて戦場になったら、自分は「男の会話」に向いてないとか、苦手な人をどうして苦手だと思うんだろうとか、そういった悩みを抱えてる暇なんかないはずだから。 でも、Jアラートが鳴り響く中、安里方面
北上山地の畑ワサビの植った森を歩いていた時や、大学の授業中にふと思う。僕が詩を書いていたって、なにになるんだろう。言葉を、バスキアの筆跡や、グレン・グールドのピアノのように、気まぐれで劇的に並べて、「詩」を見せることもできるだろう。だけど、そんな言葉の使い方がむなしいと思ってしまうのも心のうちの事実なのだ。 ファッショナブルに言葉を扱うことが、詩的だとは限らないし、むしろ詩とはかけはなれうることを知っている。それは視覚の問題ではなく、十二単を引きずる衣端の音に、無責任に
昨日は久しぶりに美術館へ行った。久しぶりの美術館、という響きはなんだか頭をワクワクさせてくれる。だから、行こうと決めた前日から少し体が浮きだって、しまいには、美術館付近でファミリーマートかと思って道路を渡った先が「お水屋さん」だったりもした。白を基調に緑と青のラインが引いてあったら、それはもうファミリーマートでしょ。心の中で悪態をつきながら、また反対岸の歩道へ渡って本物のファミマへ入店した。 向かった先は、宜野湾市に位置する佐喜眞美術館だった。丸木位里・丸木俊夫妻の
こんにちは、伊渓路加です。 長らく掲載告知をしていなかったのですが(体たらくなもんで…汗)、詩誌ココア共和国に僕の書いた詩が三ヶ月連続で掲載されていました。 「伊渓路加」というペンネームです。 3月号 佳作集Ⅲ 「特急列車」 4月号 佳作集Ⅰ 「春の輪」 p.s. 2021年度YS賞の選考記録として、秋亜綺羅さんが3月号佳作『月を喰らう』、9月号佳作『撃たれた声』を特に印象に残った作品として挙げてくれていました。 5月号 佳作集Ⅱ 「送迎」 いず
別に手フェチというわけではないが、最近、とても自分の手が気になる。それも、手の甲に浮き出ている血脈が気になる。そういえばなんだか手が老いた気がする、とバイト先の沖縄料理屋のキッチンで、まだ19歳の僕は思った。 洗浄機から奔り出る湯に当たり、すっかり薄皮が剥けている指の腹。人間の細胞は一年ですっかり入れ替わる、というが、この剥きかけの古い皮は、時間の経過の証拠でもあるのかもしれない。 そんなふうに数秒ぼーっとしていると、キッチン専属のOさんが何気なく僕に話しかけた。
『詩のこころを読む』という本は、詩人の茨木のり子が、日本の現代詩を若い人たちに向けて紹介したものです。茨木のり子は、1926年に生まれ、太平洋戦争の最中で青春を過ごしました。有名な『感受性くらい』という詩に象徴されているように、己を厳しく見つめながら読み手をも励ますような詩を、世に多く発表してきました。 そんな茨木のり子は、この本の中で、多くの魅力的な詩を紹介しています。ただ他人の詩を並べ、距離を置いて紹介しているのではありません。茨木は、引用と引用の間で、はじめてその
大学一年次の前期に受講した民俗学の授業の、期末レポートとして書いたものを載せます。先日、パソコンのフォルダを整理していたら見つけました。2000字以上の指定のところ、約6500字も書いてしまったのが懐かしいです。自分としては全力で取り組んだ記憶がありますが…。フォルダの中だけに置いておくのはなんだかもったいないので、記念としてnoteに載せようかと思います。 もしよければ読んでみてください。段落や強調など、note向けに手を加えてあります。 目次 1. はじめに 2.
どうも、るかです。 詩誌ココア共和国の2月号が、1/28に発売されました。 その2月号の傑作集Ⅲに、僕が書いた詩が掲載されることになりました! 伊渓路加『靴底』という詩です。 詩の冒頭部分だけ載せようと思います。 長らくnoteのほうに詩を投稿できていませんが、掲載報告という形で発表できるのはうれしいかぎりです。 ココア共和国は、掲載陣の方々の詩もとても素敵です。毎号、言葉が洗われるような心地のする詩がつまっています。 もしよければ、ご購読をよろし
昨日から、山之口貘の詩を読み始めた。 山之口貘は、沖縄県出身の詩人である。山之口は、1900年代当時の沖縄の名門中学に入学したにもかかわらず、画家を目指して上京をし、関東大震災を受けて帰郷を経験した。その後、再び上京し、貧乏暮らしをしながら詩人として活動した。 沖縄にいるならば、この詩人の詩を絶対に読まなくちゃいけないと思っていた。そんな思いと同時に、山之口貘のことについて考えると、中高校生を過ごした母校の、ある日本語(国語)教師のことを思い出す。僕の母校では、普通
かなり遠くの対岸から、僕の目へ向かって、住宅やビルの放つ灯りが届く。灯りはいろんな色をしていて、ひときわわかりやすく光ったと思えば消え、一瞬の間をおいてまた光る。点のような灯りが並び、なんだか一つの文章か星座のように見える。横一列の灯りが、岩礁の上の水たまりに映る。水面で縮んだり伸びたりして、灯りは柔らかい。意図しない送り手から意図しない受け手へ、意図せず届けられる灯り。意図せず届けられたものから触発されるのはどこか不思議で、同時にそれは、言葉の不思議さでもあった。 フ
僕は一体どれだけの言葉を蔑ろにしてきただろうか。 他人の発したある言葉や表現にひっかかる時がある。オカマ、頭がおかしい、人格が歪んでる、etc。こんな言葉が、魚の骨が喉を通らないように、頭の中でずっと鳴り響く。僕は、響きをなんとかないものにしようとして、上滑りな返答をする。あーね、だとか、あーとか。人は、そのまま楽しそうに喋りを続ける。しかし、僕はなんだか油っぽい冷や汗を流しているみたいな気持ちになる。目の前の落とし物を、拾わないまま去るのに似ている。きっとその落とし物
ここ1ヶ月、取り憑かれているように音楽ライブや琉球芸能の公演へ通っている。一週間に必ず1、2回は「ライブ」か「会」がつくイベントに顔を出している。そろそろやべー、と珍しく抑制心も叫びを上げている感じ。それはと言うのも、9月から10月にかけて新型コロナウイルスの感染者が一気に減少し、感染流行への措置も緩まりつつあるから足繁く通えている。 しかし、そんなに夢中で目の前の演奏を聴いたり、踊りを見たりしていても、全てが終わった後はなんだか心許ない。針に刺したはずの糸が、するりとほ
小沢健二の歌を聴くと、身体が、愛そのものになってしまう。しかし、歌の中で彼が声をかけてくれていても、まったく僕らにそっぽを向いた彼まで同時に視えてくる。 僕が中学3年生の頃。なんだか人と話してても、本当の自分(と思える自分)が見えてこなくて、新世紀エヴァンゲリオンなんか見て、目の前を流れる「憂鬱の画」に自分の鬱屈した思いを預けていたりした。まったくわけがわからないけど、自分のドロドロした想いが目の前に表象されていると思った。 まわりの大人は僕に、「思春期特有」「僕/