2023.11.21

 Jアラートは、今日は本当に元気が出なかったとか、眠りすぎたとか、コーヒーが美味しいとか、そういった生活感や悩みを衝撃的な速度でかき混ぜて、戦争の予感へと凝縮させる。Jアラートが鳴ったときの混乱した時間が、一旦落ち着くと、急に生活感や悩みが「特別なもの」に思えてくる。だって、ミサイルが落ちて戦場になったら、自分は「男の会話」に向いてないとか、苦手な人をどうして苦手だと思うんだろうとか、そういった悩みを抱えてる暇なんかないはずだから。

 でも、Jアラートが鳴り響く中、安里方面から聞こえてきた大きな誰かの泣き声が、生々しく意味のあるものとして耳に残っている。うわん、うわああん、んあああわん。それと、犬の吠え声も。良い大人が泣きながら殺しあうのが戦争なら、今みたいな緊張感が70年前の戦争中もあったのかな。急に、耳には入ってきた泣き声に、胸ぐらを掴まれたような心地がする。昔のことが、急に今目の前に現れてくる。結局のところ、戦争は生活の内にあるものだし、生活もまた戦争の中で続けられる。なんだか、ちっぽけな悩みも、国と国の関係性というか、大きな事柄の中で再編されていくような心地がする。まるで、個人的に好きな曲を歌っている時に、むりやりオーケストラ隊がやってきたような。
 僕はそんな過剰に大きい声で歌いたくねーよ、って。

 結局、僕は大真面目に生きればいいのか、大真面目を笑って生きればいいのか、その二つを行き来しながら生きればいいのか(最近この行き来がしんどい)、どうすればいいかわからないなーと「個人的」に悩みながら、大きな音で鳴り響くJアラートを聞いているだけ。どうしたらいいかわかんないのだ。


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るか
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