雑記(2024.2.27)
最近、成すべきことが一件落着し、余裕ができた。余裕ができれば、人と話す、読む、遊ぶ、歩く、考える。そして、怒りが湧いてくる。余裕がない時は、怒ることもできないと、強く実感している。思えば、最近、自分はけっこう怒りっぽいことに気がついた。自分でも気が付かないほど、微細な「キレ」を身体の内に積もらせていて、なにかのきっかけで「こうしちゃいられない」「こんな世界のままなの誰のせいだよ馬鹿野郎」と思い立つ。
ここ二ヶ月、「気づき」をたくさん得ることができた。先日、スタッフとして関わった大学有志による能登半島支援チャリティーイベントはものすごく盛り上がり、4日間で25万円の寄付が集まった。こうして、石川県や能登半島で同時代を生きている人たちに連帯を示すことができるのは嬉しい。でも、なにより僕の目に新しかったのは、日々音楽に取り組む多くの学生メンバーや先生たちが、生き生きした表情と演奏で関わってくれて、チャリティーイベントの場に共鳴してくれたこと。毎日、出演者が確定している時間帯以外はオープンマイク状態になってしまったが幸、演奏者が演奏に来ては去っていくはずなのに、なによりもその人や「沖芸」の輪郭がくっきり立ち上ってくるようだった。あ、沖芸ってこんなことしてみたら喜んで関わってくれる人がたくさんいるんだ、って。その一方で、日頃舞台に立って演奏やパフォーマンスをする彼らが、舞台よりも肩の力を抜いて、自分のために歌ったり踊ったりしているようだった。ときに、舞台の上のものとしての「音楽」や「芸能」は、極度に演者を緊張させるし、演者と観客の関係を過度に綺麗なものとして言い聞かせてくる。「自由に生きています」と言っても、「良いモノ」をひねり出そうと、じつは全身に変な緊張が走っているのではないか。「観客のみなさまのおかげで」と言って置いて、その「観客」が一体どんな人なのか知ろうともせず、あるいは「観客のみなさま」なんか居なかったかのように、次の日に至ってしまったり。それらは、研究していたり、劇場でスタッフとして働く自分にも言える。そうではなく、自分もすっかり外の開放感に心地よくなりながら、歌や踊り、寄付箱を通して目の前を通る人を招き寄せる。結局、ある歌や音楽を、自分の「うた」や「おと」として歌い上げることから、全て始まる。
そういえば、昨日は、一日研究に時間を注ぎ込むつもりでいたら、魔がさして、いつの間にか友達と栄町を歩いていた。しまった、と思った時には、栄町の「宮里古書店」に立ち寄り、隣店の店主にコーヒーまで振る舞ってもらってしまっていた。しばらく古書店の隣店の店主と談笑していると、古書店の店主さんが帰ってきた。古書店の店主さんは、伊達じゃない録音マニアらしく、近くまで「猫の喧嘩している様子」を録音しに行っていたと言った。それから、古書店の店主さんがバリ島で録音した「早朝に村の大人と子どもがガムランを真似ながらスパイスを叩いて調味料を作る様子」の音を聴きながら、2時間ほど話し続けてしまった。去年の11月に伊江島に行った時、資料館で地誌をめくっている時、「一杯のお茶や飲まんむん(お茶は一杯だけでは飲まないもの。どんなに急ぎの時でも二杯以上飲むべきだ。)」という、沖縄のことわざを知った。このことわざを、忘れずに生きようと思った。コーヒーは美味しかった。
その「宮里古書店」で購入した、アジアの文芸誌『オフショア』を、今一日かけて読んでいる。とても良い雑誌で、これからの僕たちが生きる上で尊敬と熟読が欠かせない、大切な雑誌だと思った。第1号には、宮里古書店の店主さんも寄稿していて、「今後、例えば音楽で言えば、歌をやめない、絶対にやめないということ。歌い演奏を続けること。苦しみ、もがきながらも歌い続けている人が消えたら、この国は味気ない人間ばっかりになって本当に消えるよ。」という言葉が重く響く。第3号巻頭の、発起人・山本佳奈子さんによる言葉も、とてもクリティカルで切実だ。「“対等”にアジアとつきあっているはずの時代にどうして「やすい」や「おいしい」ばかりが枕詞として並ぶのか?歴史の話になったとき、「それは過去の話」と前ばかりを向いて記憶喪失を決めこんでいていいのだろうか−」。俳優であり民俗芸能アーカイバーの武田力さんとのインタビュー記事もとても面白かった。去年、「あ、共感とかじゃなくて。」展を観に行った時、全然ピンと来なかったのは、その豊富な文脈や意味を汲み取りきれなかった自分に理由があることを知った。より絶対的な「作品」だけでなく(よりも、と言いたい気持ちを抑えて)、「時間」や「場」をデザインする思考が、「継承」や「創造」を考える上では重要かもしれない。
そういえば、自分の「由来」を緊張感なしに語ることができないことにも気がついた。なぜなら、日本社会にとっては「悪人」であったり、「人間やめたひと」に育てられてきたから。学校や保健所に貼ってあるポスターに「人間やめますか」と深刻そうに日々問われ、その問いの届かないところで「やめた」経験を持つ人たちが、僕を育ててくれたから。
誰が「ひと」であるかどうかを決める力とか、ほんとどうでもいいのだ。まず、テメーが「ひと」であるかを問えよ。という怒りをキムチチャンプルーとともにかきこむ日。
2024.2.27