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ついに(今さら)読んだ「動物化するポストモダン オタクから見た日本社会」(東浩紀著)

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 東浩紀さんの本は、「観光客の哲学」(ゲンロンのやつ、そのあとフラミンゴ(?)のやつ)と、「訂正可能性の哲学」(バナナのやつ)を読んだりして、わりと好きですが、「動物化するポストモダン」はずっと読んでいませんでした。
 刊行当初まだ中学生(?)だったので読む気にもなりませんでしたが(そもそも全く本を読まない小中だった)、タイトルは当初からなんか聞いたことがあったような気がします。

 その後、「観光客の哲学」を読んで、当時の自分のフィーリングにフィットしたような感じがして、あー「動物化するポストモダン」も読んでみようかなーと思っていたものの結局今まで読んでいなかったという感じです。

塩梅の調整

 東さんの本は、内容どうこうの前に文章を書くスタンスで「塩梅」を調整しているような気がします。本書のスタイルは、最初に、何について論じるかを設定して、それについて、順番にテトリスを埋めるみたいに論じていく感じです。
 当たり前といえば当たり前なのですが、他の人の本だと、読んでる途中で何のことを言っているのか分からなくなって迷子になってしまうことは、(私は)結構あります。
 著者が熱が入るとそこばかり長くなっちゃって、今論じている部分はどこまで読んだら終わるのか、よく分からなくなることがあり、そもそも読んでいる自分は何も分かっていないのではとか、余計な自己嫌悪に陥ることすらあります。

 こういうのは結構キツいですが、少なくとも東さんの本は、今どの部分の話のことなのか迷子になることはそうないのでありがたいです(内容が分かっているのかどうかは別)。とりあえず、ここの部分はここまで分かって次に進めばいいみたいなガイドも入れてもらえるのもありがたい。

 また、この部分は論じませんとか、この部分は余計かもしれないけど何かヒントになるかもしれないから一応言っておくねとか、ここの部分はそんなに詳しくないので分かりませんでしたごめんなさいとか、断りを入れてくれるのでとても正直な印象があります。 
 無駄な記載も少ないような気がします。正確を期そうとして、もって回ったような言い回しになったり、必要以上に冗長になってしまったりということも少ないように思います(本書も第1章と第2章でだいたい目的は達成したと書いてある)。

 一方で、わかりやすさに特化して、平板でつまらなくなりすぎないように「調整」しているようにも思います。本当は、正確を期すれば、もっと一般ピーポーには専門的で難しすぎるような内容でも書けるのでしょうが、そこは「調整」しているようにも思います。
 また、東さんの本は、ただ読みやすいわけでもなく、ちょっとドキッとするポイントが入っている気がします。すごくわかりやすい本は、ああ、そうだなあ、そうだなあでそのまま最後まで行って、ああ、そうだったなあ、で終わるのですが、少なくとも本書の場合は、終わったときに、え、本当にそれでいいの・・・?という後味が残る。

 なので、「塩梅」がちょうどいい。

「分かったつもりになりやすさ」と「叩きやすさ」


 ただ、こういう本は、一方で気をつけないといけないこともあると思っています。二点くらいあります。

 一点目は、書いてある「内容」が、簡単で分かりやすいとは限らないということです。
 文体が読みやすいので、何か分かった気になっちゃって、結局分かっていない可能性があります。
 本書も、(本当に)言いたいことを読み取るのは、実は難しいわけで。ただ、確実に一つの見方を提供しているような気がするので、それは押さえたいなと思いました。

 二点目は、一点目とも関係しますが、「塩梅」を調整しているのに、ドキッとすることを言うので、その論拠でそこまで言い切っちゃっていいの!?と思ってしまうところがあるということです。これは批判の対象にしやすい、炎上しやすい面もあるということかなと思います。
 「動物化するポストモダン」なんてその典型です。読む前からタイトルだけでドキッとします。「ポストモダン」が、あるいは「オタク」が、「動物化」しているんだなんて言ったら、批判の対象になるのは目に見えてます。
 ついでに言うと、20年前はまだ「オタク」に対して、心理的な抵抗があった。自分は飽きっぽい性格なので「オタク」といわれることはなかったのですが、当時は「オタク」は蔑称だったと思う。それだけで、この本を読むことそのものにすら心理的抵抗があった気がします。だから今までこの本を読めなかったのかもしれない(単純に全く読書をしていなかっただけでもある)

 これは逆に言うと、本書にはいい感じの反論可能性があるともいえるかもしれません。

 ただ、ここも注意が必要ではないかと思います。

 例えば、ざっくり「オタク」を例に挙げた物語消費からデータベース消費へという流れが、「動物化」を示すという論旨に対して、いや今の「オタク」はストーリーを重視しているから「データベース消費」じゃない、筆者はそもそも「オタク」が分かっていないのだと批判するのは、クリティカルな指摘になっていないおそれがあります。
 (本当に)言いたい内容を読み取れていないと、反論が成り立っているのかすら、まともに検証することもできないわけです。

 本書は既に20年以上前に出されているのですが、今読んでもあまり現在との差を感じません(取り上げている作品はさすがに古いですが)。
 そのことからすれば、この当時において、いい感じの反論可能性を残しつつ、一つの見方をたたき台として提供しているといえるかもしれません。
 そういう意味で、日本現代文化研究の古典という帯がついているのも納得です。

 ということで、この本の言いたいことはちゃんと押さえておきたいなぁ笑。
 自分の中の<内なる図書館>(ピエール・バイヤール)を形作ってくれそうな気がします。

 しかし、もう眠くなってしまいました。
 まったく塩梅を調整できなかった。
 またの機会があれば。

 つづく(?)

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