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【読書】『口の立つやつが勝つってことでいいのか』を読んで、「かわいそう」について考えた話
「かわいそう」について私が思っていたこと
私は「かわいそう」と思われたくない。特に自分の子どもが「かわいそうな子」と思われたくない。
「こんな小さいうちから、保育園で長く過ごさなきゃいけないなんてかわいそうに」とか言われたら「じゃあ生活費と私の奨学金を払ってくれ」と思うし、
食物アレルギーがある我が子に対して「誕生日やクリスマスにケーキが食べれないなんてかわいそう」とか言われたら、「肉も魚も食べれるし、本人、別にケーキ食べたがってないし」と思う。
あと仕事では、障がいをもつお子さんに出会うこともあるけど、かわいそうと思ってはいけない、この子がかわいそうにならない学級、学校にするんだ!と思っている。
頭木弘樹さんのエッセイ『口の立つやつが勝つってことでいいのか』
表題「口に立つやつが勝つってことでいいのか」では、子どものケンカの仲裁「ごめんね」「いいよ」でいいのかについて考えたとか、図工や音楽の鑑賞って評価できるのかについてそんな感想をもちました。
今回は、「「かわいそう」は貴い」の章を読んだ感想を詳しく記録したいと思います。
この章の中で、頭木さんは、難病で闘病生活を送った経験から「自然にわいてくる「かわいそう」という気持ちを、ただ否定していいのか?」と投げかけています。
そして、障害者はかわいそうではないという認識は大切で、社会を変えていかなければならないのはもちろんだが、変わらない社会にあって、同情してくれる人の存在はとても貴く、そういう人がいなければ、現状、生きてはいけないし、世の中も変わっていかないだろう…ということをこの章で述べています。
アレルギー対応食品と私
私はこの章を読んで、初めて日本ハムのアレルギー対応食品オンラインショップを見たときに、感動したことを思い返しました。品揃えが素晴らしいのです!他にアレルギーに対応した食品や取り扱うお店って探せば見つかるんですよね。私自身にアレルギーはないので今まで知らない世界でしたが…。
きっと、アレルギーをもつ人のために…と考えてくれた人がいるんだろうな…と。始まりは「かわいそう」と思う気持ちだったんじゃないかな。
少数派が生きやすい世の中に
世の中はまだまだアレルギーのない人中心です。
アレルギーに限らず、多数派と少数派なら多数派の生きやすい世の中であることはたしかです。
でも少数派が生きやすい世の中に変わり始めている部分もあるのではないでしょうか。
それは、誰かの「かわいそう」がきっかけかもしれません。
「かわいそう」と思われるのも思うのもそんなに悪いことではないのかもしれない。そんなことを考えました。