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活字の悦び呼び起こせ!『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』・Contents Diving(1)

お気に入りの詩歌である。

たのしみは めづらしき書 人にかり 始めひとひら ひろげたる時

橘曙覧「独楽吟」より

52首。いずれも「たのしみは」で詠み始める。1878年の作品らしいが、素朴な幸せに憧れる我らにうったえかけるものがある。
豪奢でなくてもいい、何かその日の暮らしの中で、ほくそ笑むくらいの楽しみ。先に紹介した一句には、書を手に取るときの愉しさを思い出させる。

しかし。いま巷では、時代をよく観察した本が売れている。三宅香帆著,『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』(2024,集英社新書)である。
このnoteの扉写真にあるように、紙の本で購入して読んだ。カフェで、風呂で、仕事机で読んだ。すいすいと引き込まれて3日で読了。本の題名が中身に負けているくらい、すごい本だ。

読めなくなるのである。本を楽しめないのである。
読書自慢の人たち、周りにそれなりにいるが、「積読」(つんどく)状態だとよく聞く。自分も心当たりがある。そして、帯の「疲れてスマホばかり見てしまうあなたへ」が、「はい、私です」と返事しそうになる。スマホは見る、本は以前ほど開かない。

著者である三宅氏は、この謎について、明治、大正、昭和、平成そして令和と時計の針を戻し進めながら研究を進める。さながら読書文化の探偵のようである。

明治のころの働く人々は、どんな本を読んでいたのか。なぜ読んでいたのか。

昭和の首都圏、勤務先へ一時間かけて通う通勤電車の中で、時代小説に胸を熱くするノスタルジックな場面。

読書と働く人々の関係を、数多くの先行研究を紐解き引用しながら、その謎に迫っていく。

その過程で浮かび上がるのは、我々がやはり、コンテンツアニマルであるということ。物語や主張・論説を好む属性があること。素敵なのは、いつの時代も、その時代の生き方と共に書が傍らにあるということ。

三宅氏の本を読みながら、本で書かれていること以上のことが、自分の頭の中で発想や気づき、懐かしさや新しさとなって、湧き出てくるのがたまらなかった。

ラ・ボエムで本を読む

内容は本書を読んでもらうほかは無いが、一つ。

YouTuberの書評動画で満足しないほうがいい、ということだけ強く言っておく。

話を聞くのと体験するのが全く違うように、YouTuberの話を聞くのと本書を読むのとでは、全く違う。
ハッキリ言っておく、YouTuber書評は浅い。偽物感さえある。もし良い体験をしたいのであれば、紙の本で読むことを勧めたい。



どうか思い出してほしい。

活字に飢えたことがあることを。私は学生時代、海外に2ヶ月旅をしていた頃、タイの海でどうしても、日本語の活字が恋しくなった。
旅に出る前に、アルバイト先の女の先輩に浅田次郎著『霞町物語』という文庫を貰った。
「海外に行くと、日本の本が読みたくなるのよ」

海、波の音、本

本当だった。

海のバンガローで、波の音を聞きながら、貪るようにして活字への飢えを満たしたのを今でも覚えている。早送りなどせず、読み飛ばさず、一口ずつ味わって食べるように、よくよく読んだ。


いまはどうだろう。
活字をどんな風に扱っているだろう。そう問われると、目を伏せてしまう。

自己実現仕事主義の社会の中で、余暇の存在すら、変化してきていることを、「シリアスレジャー」の概念を引き合いに出しながら、著者は論説する。この本は読書本の域に留まらず、人生論や幸福論にまで足を伸ばしている。

このnoteの見出しを「活字の悦び呼び起こせ」とした背景はここにある。

私は日本人であって、本を楽しまないことは、日本に住みながら日本食を楽しまないのと、同じくらい勿体ないと思う。日本に住みながらアニメや漫画を楽しまないのと同じくらい勿体ないと思う。
毎週書店には並びきれないくらいの新刊が出る。

「本を読めばいいのね、はいはい、読むよ読む」と閉じずに辛抱して考えたいのは、その営みを「楽しんでいるか」どうかということ。

そして、もしも楽しめていないのであれば、それが何故なのか、どうしたら良くなるのか、考えることに時間を費やすのは、人生の長さを考えると、案外大切なことなのではないかとここに記して、これを閉じることにする。

※私が、海外で活字飢えを満たした本
浅田次郎著『霞町物語』

https://a.r10.to/h5G6Ra


余談。はみ出し。ここは読み飛ばしていい。

昔、「フォトリーディング」なるものが言葉として流行ったことがあるが聞いたことはあるだろうか?名前の通り、写真のように瞬時に本の内容を目に焼き付けて、目にも止まらぬ速さでページをめくりめくり、あっという間に読み終える、多読に向いた読書法。
私はサバンナのウサギのように疑い深い警戒心のある動物なので、昔も今も信じていないが、このフォトリーディングが登場した文脈にも思いを巡らせることができた。
できる人はスゴイですね、と称賛したいが、自分はその能力欲しいとは思わない。
それよりも、本文に書いた通り、読書を味わえる感覚を、美食家の食事体験のような感性を養いたい。


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