「レバニラ」という名前にモヤシは納得しているのか?
「ハムエッグ」は誠実だ。
"ハム”も”玉子”もお互いを尊敬しているので、料理名は平等に名乗っている。
一方・・・・・・
「レバニラ」は不正をしている。
「レバニラ」の根幹をなすのは、たしかにレバーとニラだ。
だが、ほぼ間違いなくモヤシも使われている。
しかし、その「レバニラ」という名称には「モヤシ」という名前は一切入っていない。
中華料理店において人々はぶっきらぼうに、
と注文する。
店の方も、
なんて答える。
厨房のオヤジが振っている鉄鍋の中では、次のような会話がおこなわれているに違いない。
こんなの、おっかしいだろ・・・・・・!
モヤシが可哀想だ;
というわけで今回のお題。
料理名のつけかた3パターン
そもそも、料理名はどのようにつけられるのか。
3つに分類してみた。
①自営業タイプ
「自営業タイプ」の定義は、
というものである。
鶏肉の唐揚げは、鶏肉が単体で使われる。
玉子焼きも、ネギや明太子などが紛れ込むこともあるが、それらはあくまで補助。
メインは玉子だ。
⭕長所⭕
自営業だけに、事業主(鶏肉など)単体の努力を旨味に直接反映できる。
職場での人間関係に悩むこともない。
❌短所❌
一方、働き手が自分一人しかいないので、体調不良などを起こした場合は業績悪化に直結してしまう。
⏹️向いている性格⏹️
責任感が強い食材。
手を抜けば、すぐにバレる。
②二人三脚タイプ
「二人三脚」タイプの定義は、
というものだ。
「たまごかけごはん」なら、玉子と白いゴハンの2種類だけが使われる。食材を2つ組み合わせることで、おいしさを引き立てあうことができる。
⭕長所⭕
平等に名前を表しているので、食材たちも納得できる。
食べる側も「これが使われているんだな」とハッキリ認識できる。(アレルギーの面で重要)
❌短所❌
相手に依存している、とも言える。
単体では力を発揮するのが難しい。
⏹️向いている性格⏹️
相手を尊重しつつも、自分の個性をしっかりと主張できる食材。
③チームプレータイプ
カレーは、
などが、力を合わせることでできる。
(じゃがいもは皮むきがメンドクセーので我が家では使いません!😅)
しかし、カレーという名称には食材名が一切入っていない。
全員が主張を控えることで、みんなが納得しているのだ。
まさにチームプレーである。
⭕長所⭕
複数の食材が集まることで無限の可能性が広がる。
日本人が好きな「寿司」「カレー」「ラーメン」などには多くの食材が必要。
料理名には、食材と関係ないものが使われるため、食材同士が喧嘩になることもない。
❌短所❌
”組織の歯車”となりがちな食材がいる。
⏹️向いている性格⏹️
「一人はみんなのために」を実践できるもの。
権力集中タイプ
しかし、上記3つの分類に当てはまらないものもある。
ひとつの食材が独裁政権をしき、不当に利益を得ているタイプだ。
たとえば、麻婆豆腐。キミのことだ。
麻婆豆腐は、豆腐屋と肉屋に間に住んでいた女性が作った料理である。
「豆腐」と「ひき肉」は不可欠だ。
しかし、料理名に「肉」という字はない。
お察しのとおり、レバニラも”権力集中タイプ”である。
レバーとニラの連立政権により、モヤシの発言力は封印されている。
たまに”レバニラモヤシ炒め”と称されることもあるが、”レバニラ”に比べれば圧倒的に少数だ。
なぜモヤシは料理名から”追放”されたのか。
麻婆豆腐の場合は、「肉」の字が省かれ「豆腐が」メインとなるのはまだ理解できる。
豆腐が占める量が多く、見た目からして”豆腐”という感じがするからだ。
一方レバニラは、レバー・ニラ・モヤシの容量はどれも同じくらい・・・・・・だろう?
なんなら、
「ウチのはモヤシが一番多いです」
という店もある。
このような扱いを受け、モヤシに不満はないのだろうか?
モヤシの無念は、私が晴らす。
そう誓って県立図書館で調べても「なぜレバニラには”モヤシ”の名前が入っていないのか」はわからなかった。
途方に暮れる日々――
モヤシのことで頭がいっぱいで仕事は手につかず、上司から叱責されることもしばしば(嘘です)。
しかし、
答えは自宅にあった。
ある時、何気なく自宅の本棚を眺めていた時のことだ。
一冊の本が目に留まる。
↓コチラの本!!
「ランチェスター戦略」とは、
のことだ。
もともとは軍事に使われていたが、今ではマーケティングの場で使われている。
この本の表紙をめくると、
と書いてあるではないか。
モヤシは書店でこの本を手に取り、
と思ったことだろう。
モヤシはレバーとニラが寝静まった深夜、この本を読みふけったに違いない。
そして次の文章に釘付けになる。
「差別化戦略」。
こちらの本では例として「朝専用コーヒー」が紹介されている。
アサヒ飲料は「朝専用」として「ワンダ・モーニングショット」を発売した。
と思うのが普通であろう。
が、20代~40代のビジネスパーソンが「朝、”気づけ”のようにコーヒーを飲む」場面を狙い撃ちしたことで大ヒットした。
「朝専用」にしたことで、総合な売上は伸びたのだ。
これが差別化である。
モヤシは、考えた。
そこで思いつく。
名前を捨てることはカンタンにできない。
社会生活において、自分の間違えられたら不快になるし、忘れられたら悲しくなる。
また、病院では「〇〇クリニック」など自分の名前を冠することが多い。
名前とは尊厳なのだ。
モヤシはそれを捨てた。
生き残るために。
名前を捨てる利点とは何か?
それには、
という特性が関係している。
たとえば、
といった具合だ。
例はいくらでも挙げられる。
日本語は略される時、4音になりがち――。
料理名もこの”宿命”から逃れることはできない。
だから、「レバニラモヤシ炒め」では不都合なのだ。
「レバニラ」の方がスッキリするのだ。
ピーク時における中華料理屋の厨房を想像していただきたい。
目も回るほど忙しいはずだ。
忙しい中華料理屋において、
なんて言っていたら、情報の伝達に手間と時間がかかる。
しかし、
なら、円滑にコミュニケーションが取れる。
自ら進んで名前を捨てたモヤシのことは、すぐに料理界に広まった。
と食材の間で評判になったに違いない。
その結果、モヤシは数々の料理で”採用”され、今日も市場に出回っている。
モヤシの「差別化戦略」は成功したのだ。
というわけで答え。
そんな「モヤシ」にも、憧れの人がいる。
それは・・・・・・
のり弁。
「のり弁」は、白身魚フライや、ちくわの磯辺揚げといった”揚げ物スター”が堂々と鎮座している。
が、名前には、どう考えても脇役の”のり”だけが採用されている。
”のり”は、江戸時代(”のり”の養殖が確立)からオニギリを支えている。
決して出しゃばることなく、淡々と黙々と仕事をこなしてきた。
その実績が認められ、”のり弁”という見事な名前が採用されたのだ(知らんけど)。
がんばれモヤシ。
君もいつかきっと主役になれる日が来る――。
(了)
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