筑波大学は、なぜ「筑大」と略さず「筑波」と略すのか?
ある高校生が、進学について以下のように言った。
「僕は『筑波』にも興味があります🤔」
私は疑問に思う。
東京大学は、『東大』と略す。
京都大学は、『京大』と略す。
私の地元にある岐阜大学は、『岐大』と略す。
名古屋大学は、『名大』だ。
この論理でいったら、筑波大学は『筑大』と略されるはずだ。
しかし、『筑波』と呼ばれるのが一般的である。
↓「筑波」と略している例
なぜ、他の大学は『〇大』と略すのに『筑波』だけ『〇大』とならないのだろうか・・・・・・。
私立大学においては、
など、『〇大』とならないケースはたしかにある。
が、国立大学に限れば『筑波』は異端だと思われる。
これは、考えてみるしかない・・・・・・!
この記事について⬇️⬇️
❶略語の生成原則
そもそも、略語が生成されるときには、どのような原則があるのだろう。
略語の実例を並べて、考えたい。
分析すると、
『単語を構成要素に分解して、一文字目を抽出し、結合する』という原則があるようだ。(下記の図を参照)
この原則から考えると、東京大学が『東大』、京都大学が『京大』と略されるのは極めて自然である。
そして、筑波大学は、この原則で考えるなら『筑大』となるべきである。
やはり『筑波』と略すのは不自然なのだ。
❷「筑波大学」だけが異端なのか?
『筑波』以外にも、『〇大』と略されずに『〇〇』と略される大学はあるのだろうか?(国立大学に限定して考える)
各大学の略称は、以下のとおりだろう。
やはり『筑波』だけが異端・・・・・・かと思ったが、『一橋』も特殊であった。
話がややこしくなるので『一橋』の話はいったん、置いておく。(コメント欄に『一橋』のことを書いておきますね)
❸筑波大学出身の友人に聞いてみた
筑波大学出身の友人に、
と聞いてみた。
回答は・・・・・・
というものだった。
くっ・・・・・・。
ここまでなのか。
筑波大学出身者でもわからないのであれば、部外者である私が追究することは不可能なのかもしれない。
諦めかけた、そのとき・・・・・・!
と、友人が言うではないか。
これが突破口になるか!?
早速、すべての国立大学の発祥について調べてみた。
そこでわかったのが、筑波大学の「設置年」の特殊性である。
(下の表を見て考えてください。面倒なら、高速スクロールで!!)
(右端の「経過年数」は、大学が設置されてから経過した年数です)
上の表からわかること、それは、
筑波大学は、最も新しい国立大学!!
ということである。
多くの国立大学(新制国立大学)は、1949年施行の国立学校設置法に基づいて設置された。
それに対し、筑波大学は、統合などがいろいろあって(詳しく知りたいかたは、Wikipediaで調べてみてください)、1973年に設置された。
この1973年というのは、他の大学と比べて新しい年なのだ。
大事なことなので、繰り返す。
筑波大学は、最も新しい国立大学だ。
(創立は1872年と、歴史ある大学です)
❹大学以外の略称に注目
筑波大学と他の大学の違いはわかった。
だが、問いは解決されたわけではない。
ここで、『大学』とはまったく別の略称に注目したい。
さきほど、略称ができる原則を示した。
『単語を構成要素に分解して、一字目を抽出し、結合する』というものである。
ここでは、『筑波大学』→『筑波』のように、この原則に当てはまらない略称を挙げる。
図解すると、下記のとおりである。
これらの言葉に共通することは、何だろうか・・・・・・。
あっ!?
「今までのものとは違うよ」とアピールしている(;゚Д゚)!
つまり、『特定の要素をアピールしたい場合、その要素を抽出して略称とする』のではないだろうか。
そして、強調された部分は、差別化される。(ココ重要)
仮に、携帯電話が『携電』と略されたとしよう。
その場合、家にある電話、すわなち『家電』との力関係は同等になってしまう。
しかし『携帯』と略すことで、従来の電話と差別化され、その利便性が社会に広まっていった。(「従来の」という点が大事)
他の例として、『電子書籍』がある。
原則で考えると『電書』と略されるべきである。
が、紙の書籍との違いを強調され『電子』と略されるのだ。
↓『電子』と略している例
『電子』と略されることで、従来の書籍(紙の書籍)と差別化され、利便性(場所をとらない、など)がアピールされるのだ。
というわけで、ここまでのまとめ。
❺結論
では、以下の2点を使って答えを出したい。
1973年、文部科学省によって、筑波大学が大学として認可されたとき、以下のようなやりとりがあったのではないだろうか。
(以下、今までの考えを基にしたフィクションです)
1973年、筑波大学が文科省によって正式に認可される。
このとき、学長が教授たちを集め、言った。
会議は2時間続いたが、名案は出なかった。
そこで、とある教授(専門は言語学)が遠慮がちに言った。
その言語学の教授は、語った。
この意見は満場一致で認められた。
教授だけでなく、事務職員や広報は、『筑波』という略称を徹底して使った。
その結果、学生は無意識的に『筑波』と略すようになり、それが全国へと広がっていった。
(以上、私の想像終わり)
というわけで、結論です。
このnoteが筑波大学の関係者の方に届き、真実を知ることができるといいなぁ!!