断片集、つぶやき集13 ノウハウよりノウフー、どういうわけか"これは絶対に入手したい"と思わせるもの
断片集、つぶやき集13 ノウハウよりノウフー、どういうわけか"これは絶対に入手したい"と思わせるもの
目安文字数 2300
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初めて、グラップラー刃牙のコミックスを本屋で立ち読みしたときに、どういうわけだか、この作品を自分は絶対に入手しなければならない、という気持ちを抱くようになった。
グラップラー刃牙をその後購入した。
その後、グラップラー刃牙を自分と同じように面白いと思っている学友と出会って、良い友人となった。
その友人との出会いと友情は自分にとって何か画期的な意味があった。
グラップラー刃牙以外を含む、いくつかの漫画作品が、仲介役みたいな役割を果たして、その交流は築かれていったように今振り返ると感じられる。
時々、訳もわからず、これは絶対に入手したい、と自分に思わせるものと遭遇することがある。
そういうものは、ずっとずっと自分の脳裏にしぶとく鳴り続ける通低音として、自分の頭や心に強くしがみついてきて、振り払おうとしても振り払うことはできないように感じる。
そうした感覚は、まるで、「絶対にこれを入手せよ」 という不思議な声やメッセージのようにも感じられて、そうした声に従った場合、後になって、その声に従って本当に良かった、と思うことが実に多いように感じている。
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DIY作業において、資材や材料の在庫が今どのくらいあるか、自分自身で把握できていると心強い。
用具を入れたボックスが何かと混雑してくると、資材の在庫の量の把握が難しくなることが多い。
意識的な、こまめな掃除と整理整頓が大事だと感じる。
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時々、iPhoneのホーム画面のアプリを、順番をあれこれ変えてみて、気分の転換を図っている。
放っておくと決まりきった配置で時間が長く経ってしまうが、時々かき混ぜておくと、忘れていたことに気づいたり、新しい発想が生まれたりして良いように感じている。
本棚も、1度置いた本が長らく同じ場所に居座り続けるということは結構あるけれど、時々意識的に配置を動かしていくことで、マンネリ化の防止や新しいアイディアの呼び込みにプラスがあるかもしれない。
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ラジオで、ノウハウ(know-how)より、ノウフー(know-who)の方が大事な場合があるという話をしていて面白く思った。
ノウハウというのは、誰がその方法を紹介しているかはあまり重要ではなく、取り入れると便利なやり方を知るというものである。
ノウフーは、「自分が信頼しているこの人の言っていることなら言うことを聞こう」 という具合の心の動きから、やり方や情報を自分の中に取り入れていくということらしい。
初めて聞いた言葉で、面白いと思った。
日本に住んでいる外国人の方たちは、同国人で、自分の住んでいる地域のリーダーのような人がいると、その人のことを信頼している場合、「その人の言うことなら自分たちも信じよう」という心を持つことが結構多いようである。
自分も、自分が信頼している作家、例えば小林秀雄や河上徹太郎の言うことならば参考にしてみよう、という具合にものを考えることが多い。
こういうこともノウフー(know-who)的な考え方と表現して良さそうに感じている。
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ウィリアム・ジェイムズにまつわる文献を読んで、ジェイムズが シャルル・ルヌヴィエの著作に大きい影響を受けたと知った。
ルヌヴィエの著作に、日本語でも外国語ででも、どういう形でも自分も触れることができたら、と思って、手近なwebサイトなどで調べてみたが、手頃な接触方法を見つけることができなかった。
ある作家の愛読書を自分も触れてみる、ということを、面白がってやっていると、ある所から奥は、中々足を踏み入れることができなくなることがある。
小林秀雄→ベルグソン→ラヴェッソン
(このラヴェッソンの著作が中々手頃なアクセスが得られない。)
小林秀雄→ベルグソン→ウィリアム・ジェイムズ→ルヌヴィエ
(このルヌヴィエの著作が中々手頃なアクセスが得られない。)
こうしたことを惜しく思うが、今の時点でも書物が自分の処理可能な分量より多い気がしている。
現在の課題図書を処理しきれていないところに、更にラヴェッソンや、ルヌヴィエまで追加で用意に入手できると大変なので、かえって好ましい状況なのかもしれない、とも思う。
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写真のデータの整理が、前よりは良い状況になっているけれど、まだまだ乗り越えていかないといけないハードルがいろいろあるように感じている。
いろいろな日常の雑事に追われて、時間とエネルギーを確保できないまま日が過ぎているが、どこかで気合を入れて写真データの整理整頓を行いたい。
この問題が長年自分の中に付きまとっていて、この問題が無事に気持ちよく解消されたら、ずいぶん気持ちがすっきりされるのではないかということを思う。
解消したい。
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ある友人が、勉強や習慣付けの効果が本当に実感できるようになってくるのには、割と時間がかかるように思っている、ということを話していた。
その友人は、語学の勉強をあるときに初めたが、しばらくその成果を実感することができなかったという。
その友人の語学の勉強の成果が、本人に目に見える形で感じられるようになってきたのは初めてから大体半年が経過した頃だったということを話していた。
食事の習慣を変えるということでも、その影響が顕著に現れてくるのにはタイムラグがある、という話を時々耳にする気がしている。
自分などは、何か新しい習慣などを始めると、すぐ目に見えやすい変化がすぐ来るように内心期待してしまう傾向があるが、こうした話を頭の片隅に置いておくと良いように最近思っている。