おっぱいの悲鳴とディーマー
赤ちゃんが明日を生きる糧を母親のおっぱいから得る「授乳」。世の母親は幸せを感じる瞬間らしいけど、憎っくきD-MER(ディーマー)の所為で私には肉体的にも精神的にも辛い時間だった。
お乳を吸われると背中に虫唾が走る
夜、眠い目を擦りながら暗い部屋の中で、赤ちゃんの口におっぱいを含ませると、もぉーーッツライ。急に喉が渇いたようになって、乳首の辺りはモゾモゾするし、胸の辺りがサワサワするし、背中を虫が這うかの如くゾワゾワゾワゾワと、居ても立ってもいられない。時には親の仇でも取るかの如く乳首をギュゥッとつねられる痛みが走ることもある。
1人目を産んだのは2017年。その時はほぼ産後ノイローゼのような状態に陥っており、「自分に母性が欠片ほどもないから無意識的に授乳が不快と身体が感じているんだ」と思っていた。でも可笑しなことに、つい最近産んだ2人目では驚くほどのイージーモード育児にも関わらず、前回同様、授乳に違和感を感じる。程度の差こそあれ、ほぼ毎回。
そこで伝家の宝刀、グーグル先生。すると出てきたのは「D-MER(不快性射乳反射)」なるモノ。母乳が出る際に分泌される何かしらのせいで何かしらの脳内濃度が下がって、その影響で授乳中に不快を感じるとか、なんとか。
D-MER(不快性射乳反射)とは
授乳を始めると、気分が悪くなったり、イライラしたりする症状を「不快性射乳反射」といいます。最近いわれるようになった症状で、約9%の方にあるのではないかといわれています。一説では、母乳が出るとき、脳内のドーパミンが一時的に低下することで起きるのではないか、と考えられています。ですが、まだ原因はよくわかっておらず、対応方法などもわかっていません。
D-MERを感じる人が1割にも満たないマイナートラブルのせいか、育児業界で認知されてきたのも最近のようで、前回の授乳期間中はいくらネットで検索しても確かな情報は出てこず、助産師さんに聞いてみても全くもって分からなかった。保健師さんに相談してみても「疲れのせいかしらね?」なぁーんて、ほんわりはぐらかされる始末だった。
それが今では複数の育児向けウェブサイトでD-MERが取り上げられている。といっても詳細はまだまだ解明されてないようだが、実体が全て見えなくても、D-MERなるもののせいで授乳という行為を不快に感じている、それが分かっただけでまだ気はラクだ。
なんで私だけ授乳が鬼のように辛いんですかね?
でも敵が分かったことで新たなに浮かび上がるのは、
なんで他の人にはこの敵が敵に見えないんですか?
全体の9%しか射入反射を不快と感じる人はいないんですよね、普通のママたちは別名:幸せホルモンなんてハッピーな通り名のあるオキシトシンの影響で、授乳中に赤ちゃんをかわいいと感じたり、幸福感を感じたりできるんですよね。
なんで私はそう感じられないんですかね。
お乳を吸われる度に感じる不快感。乳首を吸われるという行為を未だ子育てに結びつけられていないのか、可愛い赤ちゃんが生きようと一生懸命になっているのに、それを温かい目で見てあげられないのは、母親としての資格がないからですかね。赤ちゃんがゴクゴクと飲む度に、今すぐ乳首を引き剥がして、力いっぱいバカヤローって叫びたいのは、私に母性がないからですよね。
…
……
………
って、誰に投げかけるでもないネガティブワードが次から次へと湧いてくるこの気持ちは、関連するネット記事の最後に必ず添えられている”自分を責めないで欲しい“っていう言葉では全くもって救われないようで。
生理的な現象だから仕方がない、それは分かる。頭では理解してる。
でも、
それでも、
自分を責めてしまう気持ちが無くなるわけではない。ただの生理的な不快現象が、自己肯定感を低く低く押しつぶず問題にすり替わることの方が多い。
聖母じゃなくても子供は育つ
絶賛すくすく育ち中の長女は、一回の授乳で2〜3時間寝てくれるようなお寝坊さんで、かつ2人目ということもあり、育てるこちらにも余裕があるせいか、暗い気持ちになるのは授乳中のみ。
泣きっぱなしの長男の際は、背中に虫酸が走る度に、母親になるという選択肢が正解だったのか、こんな私に育てられてこの子は幸せなのかと、「授乳が辛い」をイコール「育児が辛い」と脊髄反射的に捉えていました。
今でも授乳を始めた途端に感じる喉の渇きは私を不安の底に引き込みます。
でもそこは、もう2人目ですから。たとえ母性がなくても子供は勝手に育つんだよって大手を振って開き直り、スマホで大好きなマンガを読んで、授乳時間が終わるのを待つことができる。
D-MERの特徴の1つは、授乳の間だけ気分が沈むことだそう。現在の私も授乳するその瞬間まで普通なのに、授乳が始まった途端に身体がゾワゾワする、かと思ったら授乳が終わると長女の顔を見て、可愛くて可愛くて震えるほどに愛らしいと思える……。情緒がジェットコースター並みに不安定ですが、授乳以外は穏やかに過ごせています。
そもそも授乳が辛いと感じていた一番の要因は、“授乳中に幸せを感じられない母親としての私”。「授乳することで幸福感を感じることができます」「授乳中はなるべく赤ちゃんに集中するようにしましょう」という育児のマニュアルをただ鵜呑みにして、それが出来ていない自分に必要以上に劣等感を感じていた。
授乳のお助けアイテムのスマホも、「授乳してる最中にスマホなんて母親失格」という、私の脳内監査部が勝手に作り上げた“ちゃんとしたママ”像からは外れる行為だけど、今ではこの忌々しい育児パトローラーたちの目もさほど気にならなくなった。
長男が産まれてからの2年はほとんど記憶が無く、自分の母性の無さに苦しむ生き地獄だったけれど、無事3歳になった長男は元気で、可愛いくて、この子の母親で良かったと思える。
だからといって授乳真っ最中の今はD-MERをただの生理現象として受け止めるのは難しい。
だけど、授乳が終わってお酒も飲めるようになって今よりもっと年齢を重ねた時に、授乳のあの痛みも自分が母親の証だったと受け止められように、なっていたい。